スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。

世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。

ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。

ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。

この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。

▶前回:「全部わかってるんだから」すべてを見透かす妻の発言に慌てた夫がとった行動とは…




Vol.4 投資家・匠(41歳)の新たな出資先


「俺が1,000万円出資するよ。自分のお店出すといいよ」

5回目のデートで、『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』を訪れた匠は、隣に座る舞の目をまっすぐ見つめながら言った。

「君のことは好きだけど、下心からじゃないよ。君が成功すると思っているから出資するんだ」

「すごく嬉しい…。長年の夢だったんです」

舞の頬に一筋の涙がこぼれた。

その涙に気づかないふりをするように、匠は左腕に着けた「オーデマ ピゲ ロイヤルオーク オートマティック」に目を落とす。



匠の職業は、投資家だ。

匠は、税制的な優遇措置などもあるシンガポールで10年前・31歳のときに投資会社を設立した。

この10年間に多くの財を築き、その資産を基に投資ビジネスも展開していた。

そして半年前、匠は日本に拠点を移すべく帰国した。

その日、匠はシンガポールから日本までの7時間のフライトで溜まった疲れを癒すために、六本木のスパを訪れていた。

この時、施術を担当したのが舞だった。

「綺麗な女性だな」というのが第一印象だ。

舞の施術で心地よくなった匠がうとうとしかけていた時…。

「大分お疲れですね。肩も腰もカチコチですよ。もっと自分を大切にしなきゃダメです」

他愛もない言葉だったが、ビジネスの最前線を走り続け、癒しを求めていた匠の心をほぐすには、十分だった。

心も体も癒やされた匠は、施術後に「今度食事でも行きましょう」と名刺を渡した。

何回かデートしているうちに、舞が自分の店を持つ夢を持っていることがわかった。

彼女の技術力はもちろん、人柄にも惚れ込んでいた匠は、若い可能性にかけてみようと出資することを決めたのだ。


1年後


その日の晩、ふたりは東京タワーが一望できるバーにいた。

舞が麻布十番に開いたスパは、高い技術力と彼女のキャラクターが評判を呼び、たちまち人気サロンとなっていた。

「ここまで、よく頑張ったね。話題性はもちろん、事業としても大成功だよ」

「すべて匠さんのおかげです」

「ところで、そろそろ俺の彼女になってくれないかな。これからは公私共にパートナーになってほしいと俺は思ってるんだ」

この1年、匠は何度も舞に告白していた。

だが、その度に「サロンの立ち上げで忙しいから」とかわされてきたのだ。今夜こそ良い返事が聞けるのでは、と匠は期待していた。

しかし…。




「私、2店舗目を立ち上げようかと思ってるの。今は仕事以外のことは考えられなくて…。ごめんなさい」

「それなら、また出資しようか」

匠の提案を舞が遮る。

「今度は、自分の力で立ち上げてみたいんです」

「そっか、舞ちゃんもいまや立派な経営者だな」

快諾してくれるだろうと考えていた匠は、拍子抜けしながらも言葉を続けた。

「遠慮しないで、もっと頼ってよ」

「ありがとうございます。嬉しいですけど、匠さんみたいな素敵な経営者になりたいから、自分で頑張ってみます」

呆気なく公私共に振られた匠は「そっか」と呟き、高級時計のロイヤルオークを見つめる。




実は匠には感情を落ち着かせたいときに、時計を見つめる癖がある。

自分が大切にする時計を見つめることで、心を平静にするという、おまじないのようなものだった。

匠が愛用しているのは、世界三大時計ブランドに数えられるオーデマ ピゲ社が1972年に発売した“オーデマ ピゲ ロイヤルオーク オートマティック”。

高級時計製作の常識を覆した一品として知られており、世界初のステンレス製プレステージ・スポーツウォッチとして発表された画期的な時計だ。近年流行の“ラグジュアリースポーツ”という概念を造り出した伝統あるモデルでもある。

洗練されたポリッシュ仕上げや、神秘的なギヨシェ彫りの文字盤、特徴的な八角形のベゼルのデザインなど個性溢れるこの時計を匠は気に入り、まるで自分の相棒かのようにいつも身に着けていた。




舞の秘密


1週間後。

「おい、匠。あれ舞ちゃんじゃない?」

東京ミッドタウンにある『orange』のテラス席でワインを楽しんでいたとき、友人が声を上げた。

彼が目線の方向を見ると、若い男といちゃつきながらお酒を飲んでる舞の姿が目に入った。

― ま、まさか…。

これまで見たことのない舞の女っぽい姿に動揺する。


「舞ちゃんもやるね〜」

舞のサロンの常連である友人がおどけたようにいう。

匠も彼に合わせ、ははは、と相づちを打つが、内心は穏やかではなかった。

― あの男いったい誰なんだ?彼氏がいるなんて聞いてない!

嫉妬心に震えながらも、心を落ち着かせるためにいつものように時計を見る。

その日、結局匠たちは、舞に気づかれないように会計を済ませ、自宅へ戻った。




次の日の夜。

匠は六本木の行きつけの店に舞を呼び出した。どうしても真相を確かめたかったのだ。

ほどなくして、急いだ様子で舞が店に駆け込んできた。

「遅れちゃってすみません。匠さん、今日はどうしたんですか?」

「お疲れさま。うん、ちょっと聞きたいことがあってさ…。昨日、六本木で舞ちゃんを見かけたんだ。一緒にいたのは、彼氏?」

匠は、核心をつく質問をした。

一瞬「まずい」といった表情をした舞を、匠は見逃さなかった。

「違うの、彼はただの友達で…」

「いや。変な嘘はやめてくれ」

舞はためらう姿を見せながらも、観念したのか少しずつ話し始めた。

「嘘をついてすみません。私、実は2年前から付き合っている彼氏がいるんです。匠さんが、私に好意を持ってくれていることは気づいていたので、自分の夢を叶えるために出資して頂きたくて、言い出せませんでした」

話をしながら、舞は泣いている。匠は「どんな男なの?」と言いたいのをこらえて、舞の言葉の続きを待った。

「実は、彼とは結婚するつもりです」

舞のひと言を聞き、匠は自分の恋が終わったのだと悟った。と、同時に女性にこんな嘘をつかせてしまうほど、自分は恋に溺れていたことにも気づく。

「わかったよ。もし、仕事で困ったことがあったらいつでも俺を呼んでよ」

舞の決死の告白に、匠は投資家として精いっぱい虚勢を張って答える。

「本当にごめんなさい」

舞は仕事がまだ残っているので、と去っていった。

彼女が去ったあと、匠は、いつものようにロイヤルオークを見た。

店のダウンライトに照らされたロイヤルオークは、美しくキラリと光っている。




―1年後―

「本当にみんなのお陰です。ありがとう!!これからもよろしくお願いします」

今日は、舞の2店舗目のサロンがオープンする前日でパーティーが行われている。

お祝いに駆けつけた匠は、スタッフに激励の言葉をかける笑顔の舞の姿を遠くから眺めていた。

― 無事、ひとりでやりきったんだ。もう俺はいらないな。

2店舗目の開店にあたり、自分の力を試したいという舞の意思を尊重し、匠は一切の口出しをせず見守っていた。無事にやり遂げた舞を見て、匠は誇らしかった。

舞のスタッフへの挨拶が済んだタイミングで、匠は彼女に話しかける。

「開店おめでとう。これからが大変だぞ。頑張って。これ、開店祝い」

緑の紙袋を舞に手渡す。

「ありがとうございます」

舞は満面の笑みで答える。「そうだ、俺はこの笑顔に惹かれたんだ」そう思いながら舞の笑顔を見つめる匠。

彼女が「開けてみてもいいですか?」と言いながら、袋から重厚な箱を取り出した。

箱の中に入っていたのは、輝くダイヤがフェイスに散りばめられた、凛として美しい腕時計だった。

「匠さん、これって…」

驚く舞に「おめでとう。じゃあね」と、匠はその場を去った。

舞と初めて食事をしたとき、ロイヤルオークをつける匠を見て「素敵だな、私も成功したら時計、欲しいな」とうらやましそうに眺めていたのを匠は忘れていなかった。

― これからも、目標にむかって頑張れ。この時計はそんな自立した女性に似合うよ。

六本木の雑踏の中、匠は不思議と清々しい気持ちだった。

「次はどんなビジネスに出資するかな」とつぶやき、ロイヤルオークに目を落とすと、八角形のベゼルがきらっと日差しに反射した。

▶前回:「全部わかってるんだから」すべてを見透かす妻の発言に慌てた夫がとった行動とは…

▶1話目はこちら:「いかにもって感じ」高級時計を愛用する男に女性が痛烈な言葉を浴びせたワケ

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