働き方改革やリモートワークの広がりで、独立・起業ではなく「第二の本業」をもつ中高年会社員も増えている(写真:kouta/PIXTA)

人事コンサルタントとして活躍する田代英治さんは、40代で大企業との雇用契約を業務委託契約に変更して、引き続きその会社の人事部で働きながら、会社の外では人事コンサルタントとして活躍してきた経歴を持っている。業務委託に切り替えた当時、年収は半減し、家族の反対もあったという。それでも、業務委託を選んだのはなぜか。いま振り返って、その選択はよかったのか。これらの疑問に応えるために、長年、中高年の会社員や定年後に活躍している人たちを取材し続けてきた楠木新氏が、会社べったりでも、独立・起業でもない、第3の道として「二つの本業」を成功させるヒントを、田代さんに聞いた。

「言ってすぐに後悔しました」

楠木新(以下、楠木):田代さんは長年、川崎汽船という大手企業で人事部に勤務され、異動の話が出たのをきっかけに会社と交渉して、雇用契約を業務委託契約に変更しました。今ならともかく、十数年前には非常に珍しいことだったでしょう。


田代英治(以下、田代):私より以前には社内にそうした例はありませんでした。私の場合、2004年に出版された秋山進さんらの『インディペンデント・コントラクター』 という本を読んで、雇用契約以外の働き方もあるのだと知りました。異動の話が出た時に、「人事の専門家を目指していたので、部署を移りたくない」という思いがあって、とっさに「業務委託」という言葉が出てしまったんですが、言ってすぐに後悔しました。「こんなことを言って、もしかしてこのまま退職することになるんじゃないか」と不安になったのです。

楠木:十数年前に田代さんからその話を伺った時には、「よくそんなことが言えたなぁ」と感じました。

田代:人事部に配属されたのは偶然でしたが、仕事に興味が湧いて、社会保険労務士の資格も取り、「この先、人事を一生の仕事にしていこう」と思っていた矢先でしたから。

楠木:上司はどんな反応だったのですか?

田代:私が申し出たらその場で、「いいんじゃないか」というニュアンスがあって、その時点で方向性が決まった感じはありました。

楠木:それはすごい。ただ、上司が「いいだろう」と言ってくれても、会社が認めてくれるかどうかはまた別問題でしょう。

田代:そうですね。最初に「業務委託に」と申し出た面談から、正式に会社からOKが出るまで、1年ほどかかりました。私が44歳の時でした。

「妻は反対していたのですが…」

楠木:勤務の形は、どうなりましたか?

田代:「週3日午前中は、これまで通り出社をして、それ以外はフリーランス」になりました。週に3日は私のほうから提案しました。その時に社内で手掛けていたのが人事制度を改定するプロジェクトで、それを完成させたかったのです。プロジェクト以外の社内の仕事としては、若手や新しく人事部に転入してきた人たちからの相談対応など、コンサルティング的な業務を担当するようになりました。社労士の資格を持ってはいましたが、社会保険の手続き業務などの社労士がメインにやる業務は引き受けませんでした。

楠木:報酬はどのように決めたのですか?

田代:そこは最後までお互い、話を避けていたところがありましたね。平日5日のうち3日は会社に来るということで、当時の年収の半分くらいになりました。妻は専業主婦だったし、子供はまだ小さかったので、それでもきびしい状況でした。でも逆に「それだけあれば、第二の本業で何とかカバーできるのでは」とも思っていました。

楠木:奥様はよく独立を許してくれましたね。

田代:正直ハードルは高かったです。会社の業績もよかったですし、妻は反対していたのですが、妻の両親が前向きな方たちで、「そこまでやりたいと言っているんだから、まあいいんじゃないか」と言ってくれました。もし家族全員が、最後まで徹底的に反対していたら、さすがにひるんだかもしれません。

楠木:契約切り替えのときは、いったん退職届を提出して、そこから新たに業務委託契約を結んだわけですね。その時点で、社外で稼ぐ目処は立っていましたか?

田代:いえ、全く立っていませんでした。会社の了解が取れてから実際に業務委託に切り替えるまで半年ぐらいあったので、その間に新しい業務に手をつけておきたかったのですが、退職直前まで採用面接で猛烈に忙しくて、有給休暇も全然消化できませんでした。

楠木:田代さんのそういうところが、会社に評価されたのかもしれませんね。それから今日まで、ずっと川崎汽船で働いてきたのですか?

「会社員の感覚が強みになっています」

田代:10年ぐらいは、ずっと週3日出社していました。2015年ぐらいでしたか、社内で働き方改革の話が出てきまして、私が改革のプロジェクトリーダーを務めることになって、ほぼ毎日出社するようになりました。やりがいのある反面、「でも、これじゃもと通りじゃないか」と感じまして、プロジェクトが終わったところで出社を週1日に減らしてもらったんです。その後は週1で会社に出勤していたのですが、新型コロナの影響で、テレワークが中心となって、必要に応じ不定期に出社する形になりました。

楠木:なるほど。新たに始めた人事コンサルタントの仕事のほうが、本業になっているのですね。私の場合は、生命保険会社の仕事と並行して、著述業に取り組んでみて、「会社に在籍しているメリット」を感じるようになったのですが、田代さんの場合はいかがでしたか?

田代:私も同じです。人事の仕事では会社員としての感覚が非常に大切なんです。会社にも席を置いているので、人事部の課題や会社員の悩みを共有したうえで、アドバイスができる。それが人事コンサルタントとしての私の強みになっています。

楠木:会社員としての仕事と第二の本業との間で、相乗効果はありましたか?

田代:それはあります。守秘義務があるので何でもというわけにいきませんが、会社での経験を社外に活かすということだけではなく、社内の仕事でも「外ではどうなっている?」という相談はよくあります。把握している社外の事情や実態を社内の人事運営や制度策定にも役立てることができます。結果として、双方の仕事にメリットがあると考えています。

楠木:働き方改革やリモートワークの広がりで、第二の本業もやりやすくなった印象がありますが、そういう人は実際に増えているのでしょうか?

田代:増えていると思います。私の人事コンサルタント会社の仕事を手伝ってもらうために、マッチングサイトで人材の募集をかけたことがあります。そうすると、いろいろな立場の人たちが応募してくれて、なかには「兼業でやりたい」という大企業に勤める人もいました。やはり、ここ1、2年でそうした流れが出てきているんですね。

楠木:私の場合は、会社には何も言わずに第二の本業に取り組んでいたのですが、田代さんのケースは会社に対してもオープンにして、きちんと契約して取り組んでいます。1つの典型というか、とてもいい事例だと感じます。「自分も同じような働き方をしたい」と、田代さんに相談に来る人はいますか?

田代:そこはあまりないですね。むしろ転職の相談に来る人はいます。だいたいもう心は決まっていて、最後の一歩を踏み出すために相談に来られるんですね。

「今も心理的なハードルは高いと思います」

楠木:なるほど。基本はまだ「このまま会社で働くか」「辞めて起業や転職するか」の二者択一なのですね。田代さんのような働き方を広げるために、会社に期待することはありますか。

田代:私が業務委託契約への切り替えを切り出した時は、「このままキャリアが終わりになるんじゃないか」という不安がありました。今もそういう心理的なハードルは高いと思います。ですから会社に業務委託契約を認める制度があるといいと思います。

楠木:たとえば健康機器のタニタさんのような制度ですね。タニタさんの場合は、希望者に対しては、「社員を個人事業主に代えていこう」というトップの方針があるようですが。

田代:そこまで積極的でなくても、「うちは雇用契約を業務委託契約に切り替えたいという人がいたら認めるよ」ぐらいの姿勢でアナウンスしてくれたら、社員も言い出しやすいでしょうね。

「あのとき踏み出してよかった」

田代:私の場合、40代初めまでは会社にどっぷりで、会社と家の往復しかしていませんでした。でも「外に出てみたい」という気持ちはあって、『週末起業』という本を読んで、著者の藤井孝一さんの主催する交流会に参加しました。『インディペンデント・コントラクター』を読んだ時もすぐ、著者の秋山進さんに話を聞きました。本を読んだだけで何も行動しないで終わっていたら、違った人生を歩んでいたかもしれません。

楠木:私も全く同感です。興味のあるところに実際に足を運んでみる、話を聞いてみるという肌感覚を得ることが大事ですね。

田代:結局、40代で迷いながらも業務委託を選んだわけですが、今になって振り返ってみると、「あのとき踏み出してよかった」と正直思います。それができたのは、上司と会社に恵まれていたからでしょう。

楠木:これから先のキャリアについては、どんな構想を持っていますか?

田代:私は、現在61歳で、生まれも育ちも福岡県直方市ですが、故郷の街に貢献したい気持ちがあります。今から65歳までに足がかりとなる拠点を直方市に作って、そこで今とは違う仕事を始めたいと考えています。私の場合、高校は広島県福山市でしたし、大学は神戸で、妻の実家は四国なので、そういった青春時代を過ごしたところを中心に、あちこち回って仕事できないかと思っています。

楠木:直方市には今も同級生は多いのですか?

田代:そうなんです。帰るといろんな人が集まってくれて心強いです。

楠木:老後はそういう仲間も大切ですね。もし神戸に事務所を作られるときは声を掛けてください。私も神戸出身なので、今後事務所を持つことも考えています。

田代:いいですね。ぜひ実現させて、2人で面白いことをやりましょう!

楠木:本日はありがとうございました。

(構成:久保田正志)

(楠木 新 : 人事コンサルタント)