福岡県の筑前町に貴重な実物が現存しています。

日中戦争やノモンハン事件などで多用された軽戦闘機

 1936(昭和11)年の10月15日、中島飛行機(現SUBARU)が開発した九七式戦闘機が初飛行しました。

 旧日本陸軍向けに1930年代後半に開発された機体で、初飛行の翌年、1937(昭和12)年に採用されています。旧日本陸軍にとっては初となる低翼単葉(主翼が1枚構造)の戦闘機であり、同年に始まった日中戦争やノモンハン事件などで主力戦闘機として運用されました。


旧日本陸軍の九七式戦闘機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 1941(昭和16)年12月に始まった太平洋戦争でも、本機の後継として開発されたキ43(後の一式戦闘機「隼」)の配備が遅れたため、序盤は陸軍の数的主力として用いられました。

 しかし、戦争中盤以降は性能不足や後継機の登場などにより第一線からは退き、もっぱら練習機や後方の防空用として使われます。ただ、戦争末期になると、特攻機として多数が使用されました。

 なお、本機は外国へも輸出されており、タイ軍や満州国(現在の中国東北部)軍でも運用されたほか、中国では日本の敗戦に伴って中華民国軍(中国国民党軍)と紅軍(中国共産党軍)の双方が本機を接収し、自軍装備に転用しています。

 ちなみに、九七式戦闘機の生産数は約3382機。これは日本戦闘機としては、零式艦上戦闘機(1万機強)、一式戦闘機「隼」(5751機)、四式戦闘機「疾風」(3421機)に次ぐ第4位の数です。

 また本機をベースに二式高等練習機が開発・生産されており、こちらはより多い3710機が生産されています。