ある意味異形!? 軍用機の名門「マクドネル」が生み出した世界に1機のビジネスジェットとは
かつての名門航空機メーカー「マクドネル・ダグラス」の片翼を担ったマクドネル社。軍用機を主力に掲げる同社が唯一民間向けも視野に入れて実用化へ進められた飛行機が存在します。どのようなモデルだったのでしょうか。
ユニークなエンジン配置を採用
かつてあったアメリカの名門航空機メーカー、マクドネル・ダグラス社(現在ボーイング社の一部)は、1967年にダグラス社、そしてマクドネル社が合併したことで誕生しました。民間機の分野において、ダグラス社はさまざまなヒット作を生んだ“名門”として知られている一方、マクドネル社はもっぱら軍用向けモデルを主力商品としていました。
そんなマクドネル社が、民間向けも視野に入れて実用化へ進められた飛行機が1機だけ存在します。「マクドネル119」です。
マクドネル119(画像:ボーイング)。
マクドネル119は、全長約20m、全幅約18mの小型機です。いまでいう「ビジネス・ジェット」に近い位置づけの商品でした。
通常このサイズの飛行機は胴体後部などにエンジンを配置することが多数派ですが、この機は主翼の下に、左右それぞれ2機ずつのターボ・ジェット・エンジンを設置するという、100席以上の大型ジェット旅客機とよく似たエンジン配置でした。巡航速度は約840km/hで、4000km近くを飛ぶことができ、500m程度の短い滑走路でも運用できる性能を持つように設計されていました。
そのようなマクドネル119は、当初は民間機ではなく、軍用も想定していた飛行機でした。客室は配置により10席から30席弱まで設定でき、12台の救急ベッドも搭載可能。また純粋な輸送機としてだけではなく、航法士や爆撃士、レーダー操作士、電子戦闘技術者が飛行中に訓練できるような仕様にもなっていたといいます。
異色のマクドネル機「119」なぜ誕生?
アメリカ空軍では1950年台中盤ごろ、比較的小型ながら、旅客だけでなく多用途に使用できる機体「UCX」の開発を、当時ジェット軍用機の開発に成功していたマクドネル社と、ロッキード社に依頼しました。
ここでマクドネル社が掲げた設計案が「119」でした。同社はこの機を、軍用機として開発しているものの、民間需要も見越して機体を考案したと記録されています。一方、ライバルのロッキード社も史上初のビジネス・ジェットとされる「ジェット・スター」につながる機体を製作します。
アメリカ空軍むけロッキード「ジェットスター」(画像:アメリカ空軍博物館)。
ただ、UCX計画はロッキード社の案が採用。これが「C-140」となります。119の敗因は、エンジン開発の遅れがひとつとされています。また、主翼が胴体下面に配置してあり、その下にエンジンを搭載したことから、地上からの異物をエンジンに吸い込むこと(FOD)が想定され、そこが懸念点のひとつとも言われていました。
軍用では不採用となってしまったマクドネル社は、「119」を民間向けに実用化を進める方向に動きました。
一時は「アメリカの航空会社の王」と契約も…
マクドネル社は型式名を「119」から、「220」に変更し、当時アメリカの航空業界における一大航空会社であった「パンナム(パンアメリカン航空)」へ売り込みをかけ、170機リースをするという暫定的な受注も獲得しました。
ちなみに型式名を119の次の番号である「120」ではなく、「220」という名称としたのは、マクドネル社が1939年に飛行機メーカーとして事業を開始して20年経過しており、次の20年を目指すといった意味合いがあったとか。
パンナムのボーイング747SP(画像:パン・アメリカン航空)。
マクドネル119/220は1959年、初飛行に成功。翌1960年には実用化に重要なプロセスのひとつであるFAA(連邦航空局)の型式証明も取得し、順調に実用化へ向け進んでいるように見えました。
ただ、ここで社長であったマクドネル氏がこのモデルの開発中止を決定します。これは開発費の懸念やパンナムとの暫定受注が失注となってしまったことが一因とされています。こうしてマクドネル社唯一のビジネス・ジェット機の出現は幻に終わりました。
結局、マクドネル119は、試作機1機だけしか製造されずに計画中断となりました。その後、マクドネル社は民間旅客機部門を持つダグラス社と合併。マクドネル・ダグラス社として、待望の民間機を世にだすことになったのです。