81年前の10月12日、北海道のローカル線、胆振線が全通しました。

道央の準幹線


北海道でも活躍したキハ20系気動車(画像:写真AC)。

 今から81年前の1941(昭和16)年10月12日。室蘭本線の伊達紋別と函館本線の倶知安駅をむすぶ延長90.5kmの国鉄ローカル線、胆振線が全通しました。

 活火山・有珠山と洞爺湖の東浦をまわり、羊蹄山の東裏から倶知安に達する、道東でも有数の路線延長を持つローカル線でした。ほとんど山間部を走りますが、沿線で産出される鉄鉱石の輸送という重要な使命をもっていました。

 京極駅からは脇方駅へ、1駅間だけの支線がありました。もともと倶知安から伸びてきた京極軽便線の終着駅で、有数の鉱山都市として栄えていました。

 1968年10月時点のダイヤを見ると、急行列車の最盛期らしい、奇々怪々な列車運用を各地で見ることができます。そのひとつが胆振線経由の急行「いぶり」で、上下線とも「札幌発・札幌行き」という運転でした。

 反時計回りを例にとると、札幌を12時10分に出た「いぶり」は、小沢で岩内線・岩内行きを切り離し、次の倶知安で函館本線・上目名行きを切り離し、胆振線に入ります。伊達紋別では洞爺発の急行「とうや」を連結し、東室蘭では室蘭発の急行「ちとせ」を連結し、札幌へ18時44分に”帰還”するというダイヤでした。

 通し列車は急行含めて1日6往復。1978年10月時点では5往復に減っていました。すでに鉱山も斜陽を迎え、閑散地域を走る胆振線の経営状況はいかんともしがたく、1986(昭和61)年に廃止を迎えることとなります。

 胆振線廃止後、ながらく道南バスが「胆振線代替バス」として倶知安〜伊達紋別間を走っていましたが、2022年10月1日をもって喜茂別〜大滝間が廃止となりました。偶然か必然か、この区間こそ、鉄道も駅間距離13.4kmの区間を持ち、全通を迎える最後の開通区間となった、長い長い山岳区間だったのです。

 
※一部修正しました(10月12日10時43分)。