109年前の10月8日、鹿児島県と宮崎県にまたがるローカル線「吉都線」が全通しました。

吉松は幹線ターミナル駅だった


吉都線のえびの飯野駅(画像:写真AC)。

 今から109年前の1913(大正2)年10月8日、鹿児島県の吉松駅と宮崎県の都城駅をむすぶ、吉都線が全通しました。

 当時、門司港から「鹿児島本線」が、八代から吉松、国分を経由して鹿児島までを結んでいました。そう、現在の肥薩線は、もともと鹿児島本線だったのです。海側ルートでは、水俣周辺の開通に時間がかかっていました。

 その「鹿児島本線」から、宮崎方面へ分岐する「宮崎線」として建設されたのが、この路線でした。その後、都城からさらに延伸していき、1923(大正12)年には「日豊本線」に改称。九州の東側の大幹線の一部となったのです。

 吉松駅が「鹿児島本線」と「日豊本線」の接続駅だったのは、わずか4年。1927年に現在の鹿児島本線が全通し、吉松ルートは「肥薩線」に改称されます。5年後の1932(昭和7)年には、霧島の峠越えルートが開通し、日豊本線も新線へ切り替え。吉松ルートは「吉都線」に改称され、現在に至ります。

 1925年4月時点のダイヤを見ると、吉松〜都城の通し列車は1日6往復。ほとんどが鹿児島を発着し、延岡・佐伯・大分・門司へ向かう長距離列車でした。朝6時40分に門司駅を出発した241列車は、吉松駅に21時50分に到着。終着駅・鹿児島駅に到着するのは0時17分で、約17時間半の旅路でした。

 1967年10月時点では、宮崎から吉松・八代経由で博多へ向かう、急行「えびの」が2往復運行されていました。そのうち1往復は急行「からくに」と併結していて、吉松の隣の栗野駅から、今はなき山野線を経由して出水駅を発着していました。

 現在はローカル輸送の路線として、1日9往復が運行。何本かは肥薩線と一体運行で、隼人方面へ直通運転しています。