晴海ふ頭と豊洲地区にまたがる運河に、貨物線のアーチ鉄橋の遺構が残っており、人気スポットとなっています。ところが現在、足場が組まれており、往時の姿の一部が見えなくなっています。何が起きているのでしょうか。

歴史的に価値のある鉄道橋

 東京都江東区の豊洲駅の北側、晴海ふ頭とを隔てる運河に、朽ちて錆びたアーチ鉄橋が残っています。


足場に覆われた旧晴海橋梁(乗りものニュース編集部撮影)。

 この鉄橋はもともと鉄道橋で、晴海ふ頭と越中島貨物駅をむすんでいた東京都港湾局の貨物線「晴海線」の名残です。開業したのは1957(昭和32)年。1989(平成元)年まで現役でした。

 周辺の遺構は徐々に姿を消し、塩浜地区にわずかに残るのみです。その中でもこの晴海橋梁は特に当時の鉄道情緒を色濃く残しており、晴海通りの橋から至近距離で見えることから、東京の廃線跡の中でも特に人気のスポットとなっております。

 建築史の中でも価値が高く、日本初の「ローゼ橋」及び「連続PC桁」による鉄道橋なのです。ローゼ橋とはアーチと桁部の両方で力を支える構造のこと。桁橋と純粋アーチ橋の中間と言えます。PC桁は、コンクリートの中にあらかじめ引っ張った鋼材を入れて、コンクリートを収縮する方向に支えるように強化した桁のことです。

 その晴海橋梁が現在、足場で覆われ、全体像を見ることができなくなっています。一体何が起きているのでしょうか。

晴海橋梁の今後は

 これは、晴海橋梁を遊歩道として再整備する事業の一環です。2017年に構想され、2019年から事業が正式にスタート。まずは耐震工事を行い、そのあと遊歩道としての設備を整える計画です。2021年度は晴海側の橋脚補強工事が行われ、今年は豊洲側で実施されています。東京都港湾局によると、最終的な完成予定は2025年度です。

 橋脚の耐震工事といっても、ピカピカの橋に生まれ変わるわけではありません。できるだけ当時の雰囲気を損なわないよう、吹付補強や、落橋防止ケーブル、緩衝ピンの設置などにとどまっています。そのため、工事が完了した晴海側を見ても、さほど違和感はありません。

 最終的な遊歩道のデザインはまだ明らかにされていませんが、イメージとして思い浮かぶ同様の例が、横浜市みなとみらい地区で1997年に整備された「汽車道」です。こちらは1986(昭和61)年に貨物営業が廃止。トラス部を残したまま、板張りの遊歩道として再整備しています。遊歩道上には線路のモニュメントが残されています。

 少なくとも現在と大きく変わるのは、無造作に残されていた、錆びたレールと枕木とバラストによる"線路”の風景はなくなってしまうでしょう。草や雑木が生えつつも、鉄路としての確かな存在感を放っており、今にも貨物列車がやってきそうな雰囲気でした。

 数年後、この橋は人々が歩くことができるようになりますが、生々しい鉄路の記憶は、多少なりともどこかへ去っていくのかもしれません。