※この記事は2020年10月08日にBLOGOSで公開されたものです

新型コロナウイルスがもたらした打撃は、それぞれの地域にも大きな影響を与えている。広島県尾道市もそのひとつだ。日本やドイツで都市論・空間論などについて研究を行っている大谷悠さん(同市在住)に、緊急事態によって揺れる地域の「ふれあい」について紹介いただいた。

店舗でも、住宅でも、公共施設でもない、しかし人びとの居場所となっているような場所=「コミュニティスペース」。

家庭環境にかかわらず子どもたちが集まる「子ども食堂」や、人びとが本を共有し集まって読書会を開く「私設図書館」など、様々なタイプのコミュニティスペースが分断されがちな人たちをつなぐ場所として存在している。

ところがコロナ禍では、人びとの「ふれあい」が「リスク」だとみなされるようになった。

これを受けて、コミュニティスペースの運営者は何を考え、どんな対応をすることになったのか。筆者の住む広島県尾道市にあるふたつのスペースにおける試行錯誤の現場を通じて、WITH-コロナの時代に揺れる「ふれあいの場所」を展望してみよう。

日本一短い船旅の先にあるゆるやかな子どもと大人の居場所 私設図書館 さんさん舎

広島駅から東に約80km、車で約1時間半の距離に位置する尾道市。その尾道の渡船場からフェリーで約3分、「日本一短い船旅」を経て向島に降り立つ。

渡し場から南へ下った場所に現れる商店街の真ん中に、「私設図書館さんさん舎」はある。可愛らしいイラストの看板がかけられた、大きなショーウィンドウをもつ建物の中に入ると、30㎡ほどの小さな空間に、本や漫画がきれいに収まった棚が並んでいる。

立ち上げ人で代表の瀬戸房子さんは2児の母。自らの小学生の娘が不登校になったことをきっかけに、「学校でも家庭でもない子どもの居場所が必要だ」と改めて意識するようになる。子どもだけでなく大人もふらっと訪れ、ゆっくりと過ごせるような私設図書館をつくる、というアイディアはここから生まれた。

2018年に空き家となっていた元化粧品店の物件をみつけ、仲間と共に約1年かけて少しずつ片付け、2019年春に開館した。空き家に残された棚や家具をうまく再利用しながら組み合わせてつくられた空間には、持ち寄りと寄付によって、漫画から学術書まであらゆるジャンルの本1500冊以上が揃っている。

コロナ前は週4日ほど開放されていて、10人ほどのボランティアスタッフが交代で店番をしていた。利用はすべて無料。学校に行っていない子どもも来られるように、なるべく平日の昼間から開けていた。

口コミによって徐々に地元にその存在が知られるようになり、子どもをはじめ、近所に住む高齢者、向島・尾道に移住して間もない若者など、様々な人びとが訪れて、思い思いに時を過ごす場所になっていた。財政面でも、マツダ財団の青少年育成に関する助成金を得、活動を応援したいという志のある個人からの寄付も集まり、光熱費などの必要経費の一部がまかなえるようになってきた。

コロナ禍でもほそぼそと、でもしっかり開ける

こうして活動が軌道に乗ってきた矢先の2020年春、コロナがやってきた。3月末、尾道でも感染者が出たことから、「大事をとって、4月中は様子を見る意味で一応閉めることにしました」と瀬戸さんは振り返る。

その後、5月から週に1度、時間を短縮して再オープンを始めた。その後は徐々に開ける日と時間を増やしていき、7月からは、コロナ禍以前とほぼ同じように週に4日開館している。

しかし、利用者は減少した。スタッフがつけている日誌をみると、コロナ以前は5人~10人ほどの利用者が訪れる日が度々あったが、コロナ以降は利用者0の日が続くように。

それでも「ほそぼそと開け続けることに意味があると感じています」と瀬戸さんは強調する。学校が休校になることで家にいる時間が増えた結果、子どもも親もストレスを抱え、親子関係がギクシャクすることが多い。さんさん舎の利用者にもスタッフにもそんな状況を抱えた人が少なからずいる。「そういうときは、誰かと無理に喋らなくてもいい。ふらっと訪れることができて、ほっと一息ついて心を落ち着かせる場所が必要です。困ったときに『ここに行こう』と思える場が『いつでも開いている』と思えることが重要なんです」と瀬戸さんは言う。

現在は感染防止のため、手洗いや消毒をしてもらい、換気を徹底。それまで自由だった飲食の持ち込みは制限している。

「そもそも、さんさん舎は、大人数でわいわいイベントをするような場所にしようとは思っていませんでした。大切にしたいのはあくまで普通の日常。それに実は私、人がたくさんいる状態は苦手なんです」と瀬戸さんは明るく笑う。

「いつでも開いていて、大人も子どももスタッフも、みんながそれぞれの楽しみ方で過ごしてもらうのが理想。そもそもそんな場所を目指してきたし、コロナ禍でもそのコンセプトはまったく変わりません」。むしろコロナ禍になったことでさんさん舎の「それぞれの人がのんびり過ごせる、まちの居場所」が実現されているとすら言える。街道沿いに佇むさんさん舎は、今日も、ほそぼそと、でもしっかりと、白い扉が開いている。

世界中の人びとが「三密」で「濃厚接触」 閉鎖を選んだソーシャルキッチン尾道

その一方、「閉鎖」の道を選んだコミュニティスペースもある。

「尾道を訪れるなら、とりあえず”チャイダー”に行け!」。筆者が尾道を初めて訪れた2014年、友人からそう言われたことをよく覚えている。駅から歩いて5分ほどの場所、商店街と海の間の路地に、民家を改装した「チャイサロンドラゴン」、通称“チャイダー”がある。

“チャイダー”の立ち上げ人で代表の村上博郁さんは、壁崩壊直後の90年代、ベルリンでDJとして活躍。旧東ベルリンに残された廃墟を仲間と共に即席のイベントスペースに仕立て、数々のパーティーを行っていた。村上さんは、同じく空き家だらけの尾道に可能性を感じ、2013年、ゲストハウスとカフェからなる”チャイダー”を立ち上げた。

コロナ禍以前、10人も入ったらいっぱいになるような小さな部屋で、日本、アジア、欧州、アメリカなど地球上の様々なところから来た若者たちが一緒にワイワイとごはんをつくっていた。ごはんのお代は投げ銭制。地元のアーティストや尾道へ移住してきた人、地元に長く住む人びとやゲストハウスに宿泊中の旅行者、地元の大学の先生などなど実に様々な人びとが集まり、まさに「三密」状態で、「濃厚接触」する日々。「場所はオーガナイザーではなく、その場にいる人びとが関わり合って初めて良いものになる」。ベルリンでの体験で培われた村上さんの考えが息づいている場所だった。

コロナ禍は「必要なことにチャレンジするきっかけ」

夜な夜な繰り返されていたインターナショナルな宴はしかし、コロナ禍によって突然終わりを迎える。

4月に広島県が出した休業要請を受け入れ、村上さんたちは”チャイダー”を一旦閉じた。その後要請は5月半ばに解除されたが、「三密を避ける形で営業すべし」とのお達しが出る。しかし、この小さな空間で三密を回避するのは至難の業だ。

ある利用者からは「空間を仕切り、空調設備を整え、人数を制限することで対応できるのではないか」との声があがる。しかし村上さんは「いろいろな人が偶然に乱入してくることこそ“チャイダー”の面白さだ。ルールを設けると、場所の自由さが無くなってしまう。」と悩んだ。

「密を回避するために人の出入りに制限を設けては、ひらかれた交流の場という”チャイダー”の本義を失う」と考えた村上さんが思案の末にたどり着いた結論は、「閉める!」というものだった。

現在、村上さんは仲間を集め、新たなプロジェクトにチャレンジし始めている。”チャイダー”を続ける中で「小さな交流の場だけでは限界がある」と自身の活動に疑問を感じるようになっていた村上さんは、コロナ禍を機に、近隣の住民たちと一緒に尾道の自宅近くで農業を開始。次のステップとして養鶏や太陽光発電事業を考えている。また、空き地を活用して屋外で密にならずに集えるような場所づくりなどを構想中で、10月末には「ガーデンフェスティバル」を企画中だ。

「持続化給付金を受け取ることで、今まで通り事業を継続することはできるが、それだけしていてもジリ貧に陥る。むしろコロナ禍を、新たなテーマに踏み出すきっかけにするべきだ」。そう語る村上さんは今日も尾道で乾いた大地とたどたどしく格闘しながら、新しい挑戦を続けている。

コロナ禍に対する始まったばかりのコミュニティスペースの挑戦

さんさん舎と”チャイダー”という、ふたつのコミュニティスペースは、コロナ禍においてまったく対象的な決断をした。さんさん舎は活動の原点に立ち返り、ほそぼそと、しかし確実に継続することに意味を見出し、”チャイダー”はそれまでの路線をスパッと切り替え、新たなプロジェクトに挑むことを選んだ。

WITH-コロナの時代、「新しい生活様式」と人との「ふれあい」をいかに両立させるのか。そこにはひとつの正解があるわけではない。だからこそ、それぞれの現場では、なぜ、なんのために、どんな活動をするのかという根本的なことを改めて自問自答し、不確実性の中においても勇気を持って次の一歩を踏み出している。コロナ禍は、自身の活動について見つめ直し行動を起こす機会になり得るのだ、ということがふたつの事例から見て取れる。それぞれの場所でそれぞれの人びとの挑戦は、まだ始まったばかりだ。