※この記事は2018年12月12日にBLOGOSで公開されたものです

1970年代初頭に結成された英ロック・バンド「クイーン」を題材にした映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、世界各国で大人気となっている。

題名はヒット曲「ボヘミアン・ラプソディ」(1975年リリース)から取っており、リード・ボーカルとピアノを担当する故・フレディ・マーキュリーが主人公だ。

バンドのほかのメンバーとなるブライアン・メイ(リード・ギターとボーカル)やロジャー・テイラー(ドラムとボーカル)と出会い、これにベースのジョン・ディーコンが参加して、バンドとして大成していくまでを描く。クライマックスは1985年に行われた「ライブ・エイド・コンサート」での見事なパフォーマンスだ。

米国では、映画の興行収入が音楽伝記映画のカテゴリーで第1位となり、来年7月からは全米ツアーが行われるという。

『ボヘミアン・ラプソディ』超ヒット、全世界で5億ドル突破へ―日本、海外興収第3位にランクイン(THE RIVER)

日本では、50歳以上の「母親世代」が成人の子供と出かけて両者ともに感動するというリポートが続々出るようになった。また、「傑作」という評価も出ている。

▽辛口批評家も大絶賛「ボヘミアン・ラプソディ」を見逃すな(日刊ゲンダイDIGITAL)

ところが、英語圏の媒体に掲載されたプロの映画評はこの映画を酷評している。

ネットワークプランナーで「ワイズプロジェクト」代表を務める友人の殿岡良美氏によると、「映画評論家の評が最悪で観客の評価は極めて高いというねじれ現象」があるという。

一体、どのような「酷評」があるのだろう。

イギリスではクイーンは一目置かれた存在

その前に、クイーンとイギリスについて若干説明しておきたい。

16年前からロンドンに住みだした筆者は、イギリスでもクイーンやボヘミアン・ラプソディが大変な人気で、クイーンが一目置かれた存在として見られていることを知った。

クイーンを題材にした番組が頻繁に放送されるので、「カメラの前で」という但し書きはつくが、生前のフレディ・マーキュリーが、そしてブライアン・メイやロジャー・テイラーがどんな話し方をするのかを見聞きする機会が多い。ネット上にも動画がいっぱいだ。

ベースのジョン・ディーコンは現在、一切公の席には出ない方針をとっているが、メイやテイラーはそうではなく、クイーンというバンドも解散していないので、「現役」である。

メイは、エリザベス女王の即位50周年記念で、バッキンガム宮殿の屋根の上でのギター演奏を行っている。

また、ロンドンの劇場街でロングラン上演された(2002-14年)のが「ウィ・ウィル・ロック・ユー」というミュージカルだ。日本でも2004年に上演された。クイーンのメンバーは出てこないが、バンドの曲がたくさん使われた。非常に質の高いミュージカルで、筆者は家族とともに堪能した。

クイーンはイギリスの国民的なバンドとして人気を維持しており、映画「ボヘミアン・ラプソディ」は本家・イギリスでも大ヒットとなっているわけだが、いくつかの米英の大手媒体の映画評は非常に手厳しい。

米ニューヨーク・タイムズ「映画よりも、YouTube上にある本物のクイーンの動画を観た方がいい」

まず、ニューヨーク・タイムズの映画評を見てみよう。

見出しは、クイーンの曲の題名をそのまま使い「AnotherOneBitestheDust」(直訳:「また一人が戦いで倒れて死ぬ」)とある。

▽‘BohemianRhapsody’Review:AnotherOneBitestheDust(10月30日付)

映画評は、書き手自身もクイーンのファンで、ボヘミアン・ラプソディが体に染みついているという話から始まる。

2時間超の映画は昨今の映画の長さからすれば、特に長くはないが「果てしなく続くような感じがした」。映画は「できうる限り記憶に残らないように」作られたようで、例外はフレディ役を演じたラミ・マレックがつけていた「入れ歯」だったという。

映画の「いったいどこからどこまでが真実で、どこからがフィクションなのか?」という疑問がわいてくるという評者は、おそらく「どちらもあったのだろう」と結論付ける。

脚本家と監督は「素晴らしい見せ場」で物語をつづってゆくが、「ドラマチックな盛り上がりも心理的な洞察もない」。

映画は「同性愛者の欲望について、あるいは1970年代の性の解放が80年代のエイズ危機につながってゆく中、同性愛者をめぐる政治状況をどのように扱ったらいいのか、わからないように見える」。

例えば、同性愛者のマネージャーとフレディの関係は「最大限のスキャンダル、放蕩、中毒、搾取の悪夢として、そしてフレディは堕落した罪のない人」として描かれるが、現実は「もっと興味深く、もっと微妙なものだったのではないか」。

いずれにせよ、映画は「陳腐さを積み上げた宮殿」になっている、とバッサリ。

「あるバンドが有名になることを目指し、成功後は甘さと苦さに遭遇する」、「誤解された天才が芸術のために苦しみ、最も心を寄せてくれる人を遠ざけた後、赦しと償いを得る」というストーリー展開は、「その大部分が本当に起きたことかもしれない。しかし、本物らしいとは思えない」。

映画よりも、ユーチューブ上にある本物のクイーンの動画やレコードを聴いたほうがいい、と評者は締めくくっている。

英ガーディアン「非常によくできたカバーバンドを見せてもらったように感じる」

次は英ガーディアンの映画評。星5つの中で、星2つという手厳しい評価が付く。

▽BohemianRhapsodyreview-FreddieMercurybiopicbitesthedust(10月23日付)

評者は、フレディ役のマレックによる「素晴らしい演技」を別とすれば、「先駆的なミュージカルのオデッセイ(長い冒険の旅)というよりも、非常によくできたカバーバンド」を見せてもらったように感じる、という。

それでも、主演男優や監督の交代といった様々ドタバタがあったにもかかわらず、「完成した」だけでも、ひとつの業績だという見方をする。

マレックの演技自体は、当初は「当惑」を感じたという。「気取ったアクセントは誇張されすぎているし、フレディの上側の前歯が下側の前歯をほぼ覆っており、かみ合わせが深くなっているという顔の特徴もそう感じる」。マレックは入れ歯によってこれを達成したわけだが、まるで「漫画シンプソンズのキャラクターが出てきたように見える」。

しかし、話が進み、フレディ役のマレックが短髪となり、口ひげを生やすあたりから最後の場面までに「フレディ役になり切っている」とほめている。

最後のコンサートの画面も迫力があるが、「ものまねの功績だ」としている。

「本当の問題点」は、フレディのステージの外の人生の描き方だ。先のニューヨーク・タイムズの映画評同様に、こちらを十分に描き切っていないという見方をしている。

映画はフレディのショーマンとしての部分を称賛するが、「人間としての(フレディ・)マーキュリーには本当には肉薄しなかった」。

FT「映画はウィキペディアの記載をなぞったかのように進む」

満点が5つ星の中で、こちらも2つ星だけを付けたのが、フィナンシャル・タイムズ(FT)の映画評だ。

▽BohemianRhapsody-astunninglybadFreddieMercurybiopic(10月24日付)

評の見出しがショッキングだ。「ボヘミアン・ラプソディ、驚くほどダメなフレディ・マーキュリーの伝記映画」というのだ。「astunninglybad(驚くほどダメな)」と言われてしまったら、元も子もない感じがする。

まず、主演男優や監督の交代などの紆余曲折があったことを記し、もろもろを考慮に入れても、それでも「驚くほどダメな映画」という結論になるという。映画として「いい加減」で、物語(筋)は「無意味なレベル」に編集されている。「一体、フォーカスグループは何を考えていたのだろう?」

フォーカスグループとはマーケティング調査の1つで、複数の人々を集めて、製品やサービスなどについて意見を出してもらい、その結果を製品の発売などに生かす仕組みだ。

映画はクイーンが結成されるまでの話から始まるが、「ウィキペディアの記載をなぞったかのように進むので、登場人物は真似をしているだけにしか見えない」。フレディ役のマレックの演技は「誰かをまねしている人をまねている」ように見えるという。登場人物のセリフは「悪ふざけのよう」に聞こえる、とも。

フレディの天才的な能力は「当たり前のこととして描かれ、移民家庭の話は深く追及されずに『この要素も入れました』という風に挿入される」。

代わりに長々と語られるのはフレディと「メリー・オースティンとの短い結婚で、そうしたほうがフレディのセクシュアリティをめぐる混乱についてよく説明ができるからだろう」。

なぜプロと観客の評価に「ねじれ」状態が起きるのか

ここで紹介した映画評はいずれも『ボヘミアン・ラプソディ』について、かなり辛い見方をしていた。

イギリス(ガーディアン、フィナンシャル・タイムズ)とアメリカ(ニューヨーク・タイムズ)の辛口度の違いは特にないように思える。

冒頭で紹介した「傑作」という評価や大ヒットぶりと、取り上げた映画評との間の差はなぜ生じるのだろうか。

まず、英語圏、特にイギリス国内ではクイーンのドキュメンタリー番組がよく放送されており、ブライアン・メイも音楽以外のテーマ(例えば環境)でメディアに出ることがあるため、クイーンの、特にフレディの人生についてはすでに情報がたくさん出ている。

どんな声で話し、どんな体の動かし方をするかもイギリス人なら知っている・・・ということを先に書いたが、事前の知識があると、自然に比べてしまうのは仕方ないところだ。

バンドの成り立ちやその功績については共有していることが多いので、プロの評者としては期待が高くなる。「もっと知らない情報が詰まった、フレディ自身に肉薄した映画が見たかった」という本音が出る。

要は、映画が1つのドラマとして十分に説得力のあるものだったかどうか、これが評価の決め手になる。この点をどう見たかをしっかりと書かないと原稿料は出ないだろう。

ほめるべきことはほめ、ダメと思うところははっきりと指摘する必要がある。そうでないと、「筆がなまったな」と思われてしまう。読者に特定の映画の鑑賞を勧めるために評を書くのではなく、自分はどう評価するのかを記すのが目的である。

したがって、プロの評者はファンからすれば意地悪に、厳しく映画を見るのが常である。

一方、映画館を訪れた人は、著名バンドを題材にし感動を呼ぶ音楽と感情移入しやすい筋を持った映画に素直に反応し、胸を熱くさせているのではないだろうか。

クイーンファンの筆者が観た本音

筆者自身はどんな感想を持ったのか、書いておきたい。

筆者は10代半ばでクイーンを初めて聴き、当時(1970年代半ば前後)、大きな衝撃を受けた一人である。初期のアルバム「旋律の王女」や「クイーンII」に収められた、ドラマチックで華麗な多彩な音楽に魅了された。

今でも、その衝撃は忘れていないし、携帯電話には数枚のアルバムを入れている。映画の中の曲を共に歌い、足踏みをし、最後は感動するだろうことを信じて疑わなかった。

そこで、嬉々として映画館に足を運んだ。しかし、最後には本物のクイーンの動画と曲が流れるので、この時は100%感動したのだが、そこに至るドラマの部分には疑問を感じ、もし100点満点だったら、「25点」が本音だった。

ここで紹介した3つの映画評、特にニューヨーク・タイムズの映画評には同意する部分が多く、星2つぐらいの評価だ。

その大きな理由は、クイーンあるいはフレディのファンかどうか、その音楽が好きかどうかを度外視しても、一つのドラマとして感動するような作りになっていない感じがしたからだ。優れたドラマやドキュメンタリーがテレビで放送され、ロンドンのウェストエンドに行けば第1級の芝居が見られるイギリスなのに、と驚いてしまった。

筆者が考える「優れたドラマ」とは、登場人物一人一人に実在の人物のようなリアリティがあって、それぞれの場面が必然的につながってクライマックスに至る構成になっているもの(もちろん、故意に場面のつながりに必然性を設けない、ドラマチックな盛り上がりを入れない、登場人物にリアリティを持たせないというドラマの方法もあるだろう)。

そういう意味で、「優れたドラマ」にはなっていない感じがした。平たく言えば、「ふつうに見て、リアルな感じがしない」。クイーンのほかのメンバーのバックグラウンドの説明が全くないので、紙芝居を見ているような思いもあった。

つまるところ、今回、「ボヘミアン・ラプソディ」を見ていて、まるで音楽バンドのプロモビデオのような、日本でクイズ番組などの中に入る「再現ドラマ」のような感じがした。

フレディやほかのメンバーの立ち振る舞いをテレビで見てきた筆者からすると、ブライアン・メイ役は本当にそっくりだと思ったが、フレディの話し方、特に若い時の話し方にも違和感を持った。カメラの前の本当のフレディはもっと早口だし、前歯は本当の歯だから、マレックが演じたような「歯が邪魔で発音しにくそうな」若い時の描写に、「?」と思った。

また、ニューヨーク・タイムズも指摘しているように、「どこまで本当で、どこからがフィクションなのか」も疑問だった。事実関係の本当か・嘘かというよりも、フレディの心の中の描写である。

メイやテイラーが実際にインタビューでよく言っているのは、「フレディは非常にプライベートな人だった」。つまり、彼は心の深いところをバンドのメンバーにさえにもあまり言わなかったそうだ。

このため、女性の恋人とマネージャー役の男性との間で揺れるフレディの場面の数々は「本当かなあ」と思って見ていた(とは言っても、「物語」であるし、メイもテイラーもこの映画に関与しているので、ひとまず置いておいてもいいのだが)。

しかし、上記のもろもろがあっても、それでも筆者は映画を見てよかったと思う。それは、映画を作った方にはある意味では申し訳ないが、最後に本物のクイーンが出てくるからだ。映画が一気にスリリングになり、筆者はアッという間に10代の自分に戻った気がした。すぐにクイーンの音楽をまた聴きたくなった。

上記の映画評が「正しい見方」というわけではない。観客一人一人の感想があって、それでいい。

筆者のように、「クイーンもフレディも、もちろんその音楽も好きだが、映画自体はちょっとね・・・」というのも大ありだと思う。

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さらに細かい点について、映画と実際の違いを語る動画は以下(英語)。「ボヘミアン・ラプソディ」が「ハリウッドで作られたフィクション」であることを了解の上で、「この素晴らしい映画」を楽しもうと呼びかけている。

▽BohemianRhapsody:TheRealReasonsCriticsDidn’tLikeIt|OSSA