※この記事は2018年11月30日にBLOGOSで公開されたものです

M-1が間近だ。12月2日(日)、その本番を迎える。全4640組のエントリーから勝ち抜いたファイナリストは以下の9組となった――

・和牛
・霜降り明星(初)
・ゆにばーす
・見取り図(初)
・かまいたち
・スーパーマラドーナ
・ジャルジャル
・トム・ブラウン(初)
・ギャロップ(初)

ここに、当日発表の敗者復活1組が加わり、全10組が王座を目指す。言わずもがなM-1は、現在のお笑い界で最大の栄誉と影響力がある賞レースだ。刻一刻と迫るこの運命の日を前に、各所から優勝予想が飛び交っている。

のだが、それとは別の副菜的な処で、興味を醸すのが審査員の面々だ。今回、審査員を務めるのは以下7名――

・松本人志
・上沼恵美子
・中川家・礼二
・オール巨人
・サンドウィッチマン・富澤たけし
・ナイツ・塙宣之(初)
・立川志らく(初)

初選出となったナイツ・塙宣之と立川志らく。この二人が果たしてどんな得点をつけていくのか、大いに興味をそそられる。

ナイツ塙「M-1はうまさを競う大会になった」

塙宜之はナイツとして、M-1に3度出場を果たしている。2008年にはNON STYLE、オードリーと並び最終3組に残っている。塙はその経験も踏まえたM-1に関する持論を、今年夏にネット上のインタビューで語っていて、現役プレイヤーによる冷静な分析の数々に感心させられた。

2015年にM-1が5年振りに復活し、参加資格を従来の結成10年以内から結成15年以内に延ばしたことによって、経験値の高いやつがごろごろいるようになった。競馬で言えば、3歳クラシックから、古馬のレースになってしまったようなもんです。だから、昔ほど強い武器を持っていても通用しなくなっちゃいましたね。それ以上に経験値がものを言うようになってきてしまった。新しいことをやらなくてもいけるぞ、と。

とろサーモンが優勝を決めた「石焼き芋」という、一人が石焼き芋屋さんに扮するネタだって、同じネタで何度も予選落ちしてるんですよ。でも15年目の「石焼き芋」ならいけるということは、単純にうまくなっただけじゃないですか。そういう大会になりつつある。

芸歴10年目以内の大会だったら、去年なんかは、ジャルジャルのネタとかがもっと評価されてたと思いますよ。新しいという意味では、いちばん目立ってましたから。

関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第2回】 - 集英社新書プラス

M-1第2期(2015年)以降の優勝者は――

・2015 トレンディエンジェル (当時結成11年目)
・2016 銀シャリ (当時結成11年目)
・2017 とろサーモン (当時結成15年目)

塙の指摘どおり、結成10年以内のコンビによる戴冠は無い。ルール変更が結果に影響している。さらに塙の分析は審査員である松本人志へと及ぶ。

先ほどM-1がうまさを競う大会になりつつあるという話をしましたが、松本さんだけはずっとぶれてない。M-1の定義は、新ネタ発表会だと思ってるんですよ。新しいことをやらないと意味がないと。

だから、他の審査員と1年ぐらい評価のズレがあるんです。06年に優勝したチュートリアルのネタも、05年の時点で、すでに松本さんはものすごく高く評価していた。1年経って、そこにうまさが出てくると他の審査員も追随するようになる。

僕らも09年は、松本さんの評価は下がりましたけど、紳助さんはうまくなったと前年より高得点だったんです。紳助さんは松本さんとは対照的なところがあって、昔からM-1は漫才のうまさを評価する大会だと思ってるところがあったんです。

関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第2回】 - Page 3 - 集英社新書プラス

M-1第2期では2015年に松本人志は審査員を外れている。その翌年から復帰し、最終決戦で松本が票を投じたのは――

・2016 和牛(2位)(結成10年目)
・2017 和牛(2位)(結成11年目)

塙による松本の分析と、ここ2年の優勝結果が意味するもの…、それは大会の在り方によって、M-1審査員総体による評価が「うまさ」を評価する傾向にあり、M-1の象徴的存在でもある松本人志のジャッジが「新しさ」を評価するスタンスであることと、差異が生じているというM-1の現実だ。

「うまさ」のとろサーモン対「新しさ」の和牛

ちなみにM-1における漫才の「うまさ」とは、完成度とか、バランスとか、後半にかけての爆発力、さらに言えばテクニックを究める職人性だ。

そして「新しさ」は、オリジナリティであり、発見であり、誰も目をつけたことのなかった視点であり、笑いのセンスを更新する革新性だ。

これが持ち時間である4分間の中に明確に見えることもあれば、わずかな差として含まれたりすることもある。前回の最終決戦におけるとろサーモンと和牛は、どちらもハイレベルな漫才で甲乙つけがたい審査を迫られた。

塙の分析にのっとり便宜的に、とろサーモンを「うまさ」側、和牛を「新しさ」側としてみる。審査員はどちらの価値観に重きを置くか、その選択を突きつけられた。そして、

☆とろサーモン「うまさ」→ 博多大吉、春風亭小朝、中川家・礼二、渡辺正行
☆和牛「新しさ」→ 松本人志、上沼恵美子、オール巨人

もちろん、審査員個々の最終ジャッジにはそれぞれの内なる基準があっただろう。だが、ナイツ塙による分析から展開すると、M-1審査員のスタンスとは何なのか、その大きな輪郭が結果となって現れてくる。

さて、今年の審査員であるナイツ・塙宜之はどちらのスタンスなのか。ナイツの漫才は、代名詞となった「ヤホー」以降、そのスタイルに固執することなく前半の仕込みを後半に全回収したり、ボケに独自の法則を潜ませたり、歌う土屋をひたすらツッコんだり…漫才の新たなフォーマットを開拓することに重きを置いている。

他の多くの、というかほとんどの中堅漫才コンビが自身のフォーマット(ハード)を維持したまま話題(ソフト)を変えることを新ネタとしている中で、ナイツのフォーマットそのものを創作する意欲は抜きん出ている。ゆえに塙は「新しさ」を評価するスタンスになるはずだ。

志らくは「談志イズム」の継承者か

そして、塙と並び初の審査員を務めるのが立川志らく。志らくはどういう審査スタイルとなるのか。自身のツイッターでは「師匠の談志がM1の審査員になってから10年。私が同じ席に着きます。」(11月23日)と感慨深さをつぶやいている。(立川談志は第2回大会、2002年に審査員を務めているので、正確にはそれ以来の「16年」だ。)

立川談志は芸人への愛情が強く、かつ稀代の見巧者だった。談志による芸人の評価には芸の巧拙とは別に、芸人が纏う独特の匂い、美学、佇まいのようなものも大いに含む。談志は大衆の評価に迎合することなく「いいものはいい」と、自身の基準で芸人を見ていた。まだ世に売り出す前の若きツービートをいち早く評価した一人である。

談志によるM-1(第2回大会)での審査で思い出されるのは、テツandトモの総得点がとくにハネるものでなかったのを受けて「お前らはここに出てくるヤツじゃないよ。もういいよ。俺ホメてんだぜ。わかってるよな?」というコメントだ。

談志は既にテツトモを認めていた。ゆえに、コンテストの得点に一喜一憂する必要はない、もはや自身の芸風を確立して俺に認められた芸人なのだから…と伝えたのだ。だが、その言い方が(いわゆるいつもの談志なのだが)不機嫌に突き放すような気難しいトーンだったので、周囲は重たい空気に見舞われた。しかしそれは正確には、談志によるテツトモへの公開承認だった。立川談志はホメているのに怒っているように聞こえてしまうの「なんでだろう?」ではあったが…。

要するに談志は、スタジオの観客が爆笑しようがしてまいが関係ない。自身の基準にあえばその芸を評価する。そんな立川談志のイズムを、ありとあらゆる面で色濃く受け継ぐのが弟子の立川志らくだ。

志らくに談志イズムが根付いているとすれば、志らくのM-1審査員としてのタイプはどうなるか。「うまさ」に重きを置くタイプを「巧」、「新しさ」に重きを置くタイプを「新」、両方どちらとも言えるタイプを「巧新」としたとき、志らくは「巧」「新」「巧新」のどれでもなく、「談志」としておきたい。

おそらく、ギリギリの選択を迫られた時は「談志ならどうする?」という憑依回路が志らくの中で発動してジャッジする…それが「談志」タイプということで。

2018年は「新しさ」重視派の審査員が多数

以上を踏まえて、今年のM-1審査員にタイプを付記してみる。

・松本人志(新)
・上沼恵美子(巧新)
・中川家・礼二(巧)
・オール巨人(巧新)
・サンドウィッチマン・富澤たけし(新)
・ナイツ・塙宣之(新)
・立川志らく(談志)

全体に「新」派が「巧」派より多い状況だ。これが結果を大きく左右するかもしれない。はたまた不確定要素としての「談志」が何かしらの影響を及ぼすのか、そんな審査員達のスタンスあれこれを横目で眺めつつ、とにもかくにもメインである10組の漫才師達による激突、12月2日(日)18時34分からの生放送を今は只々待っている。