セクハラだと言う以前の問題 - 赤木智弘
※この記事は2018年11月18日にBLOGOSで公開されたものです
内閣府が東幹久を起用して制作した、セクハラ防止啓発ポスターが、女性たちから批判されているようだ。 ポスターの作りが、セクハラを問題視しているというよりも、なんでもセクハラと主張する風潮に異を唱えているように見えるというのだ。(*1)
こうしたセクハラ啓発に対して「何でもセクハラと言われたら、部下とコミュニケーションが取れない」と反応する人がいる。男女平等を叫ぶ人たちは、こうした上司に対して「セクハラだ!」と批判をするのだろう。
しかし、それは本当にセクハラなのだろうか?
例えば女性の部下に対して「もうそろそろ30だろ。結婚相手いないのかよ、行き遅れになるぞ」と言っている上司がいるとする。今の風潮で言えば、上司に対して「セクハラだ!」という声があがるのだろう。
しかし、一方でその上司が男性の部下に対して「もうそろそろ30だろ。結婚相手いないのかよ。妻を養ってこそ一人前だぞ」と言っていたとすれば、それは女性性に対してハラスメントを行うセクハラではなく、権力を利用して部下のプライベートに土足で踏み込む、パワハラなのである。
「何でもセクハラと言われたら、部下とコミュニケーションが取れない」と反応する上司は、同じことを男性の部下に対してやっている可能性が高い。だから「男にはやってもいいことが、女性にはやってはいけない」と言われているように感じて、混乱してしまうのである。
だが安心して欲しい。上司は何も混乱する必要はない。同じパワハラを男性は我慢して、女性は我慢していないに過ぎない。 本当は男だって、仕事の上司にプライバシーに踏み込まれるのは嫌なのだ。その事を理解していない上司は、決して少なくない。
では、どうすればパワハラにならないか。本気で悩んでいる上司もいるだろう。
その解決方法は簡単だ「部下とコミュニケーションを取らなければいい」で終わりである。
部下のプライベートに土足で踏み込まなければコミュニケーションをとれないなら、コミュニケーションを取らず、仕事だけのドライな関係で過ごしたほうが、遥かにマシなのである。
コミュニケーションは職場の潤滑油ではあるが、同じ潤滑油でも部下が嫌がるコミュニケーションは混ざり物が多く、円滑な意思伝達を阻害する、そんな粗悪な油でしか無い。粗悪な油なら存在しないほうがマシだ。
それでもどうしてもコミュニケーションを取りたいならどうすればいいか。
それなら自分の事を話せばいいのだ。妻のこと、子供のこと、趣味のこと。他人である部下の生活に立ち入らず、自分のことを開けっぴろげに話す。そうすれば、たとえその話をめんどくさがられても、セクハラやパワハラにはならないのである。
ところで、あなたは妻が最近どのような事をしているか知っているだろうか?
あなたの子供が、今は何に興味を持っているか知っているだろうか?
それ相応の立場にいる人は、そもそもセクハラなど気にしている場合ではない。気にするべきは家族とのコミュニケーションだ。
そもそも部下とコミュニケーションを取っている場合ではない。妻や子供とコミュニケーションを取れない人間が、身内でない他人とマトモなコミュニケーションをとれるわけが無いではないか。
結局「上司」という社会的権力がなければ、他者とコミュニケーションを取れない人間が、むやみに部下のプライバシーに踏み込み、セクハラやパワハラをやらかしてしまうのである。
セクハラなど気にする前に、ちゃんと家族とのコミュニケーションが取れているだろうか?
仕事にかまけて、家族を後回しにしてはいないだろうか?
家庭をないがしろにする上司は、部下から尊敬されない。
セクハラだパワハラだと悩む前に、まずは自分の生活を大切にすることが重要だ。
家庭で相手にされないことの寂しさを、仕事にあてつけて逃げてはいないだろうか?
仕事の部下が、あなたの話を嫌がらずに聞いてくれるのは、あなたが上司だからであり、あなたが魅力的な人間だからではない。
そんな家庭生活も空疎な、上っ面だけの上司の話を聞きたいと思う部下が、本当にいるだろうか?
家庭生活が充実していれば、部下のプライベートなど利用せずに、自分の周囲から、自ずと話題が湧き出るものである。
家族との生活を充実させることこそが、仕事での円滑なコミュニケーションにつながるのである。
*1:内閣府がTwitterに掲載 東幹久起用の「セクハラ防止啓発ポスター」に批判(ライブドアニュース)http://news.livedoor.com/article/detail/15595526/