※この記事は2018年11月03日にBLOGOSで公開されたものです

シリアで武装勢力に拘束され、10月に3年4か月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さんが2日、東京都千代田区の日本記者クラブで、帰国後初めての記者会見を行なった。

虐待など非人道的な扱いを受けた一方、武装勢力から渡されたノートには長期間に及んだ過酷な監禁生活を日記にしたため続けた。「自己責任」と非難する声がネット上であがる中、「可能な限り説明することが私の責任」として臨んだ会見は予定を大幅に上回る2時間半以上に及び、拘束から解放されるまでの経緯を詳細に明かした。

会見の最後には、人気バスケットボール漫画「スラムダンク」の名言を思わせる「あきらめたら試合終了」との言葉を紹介。「諦めたら、精神的にも肉体的にも弱ってしまうとずっと考え続けていた」と理由を話した。会見の様子をほぼ全文の書き起こしでお伝えする。

◆写真公開から半年で解放と期待

ずっと言われていたのが、「日本側が反応しなくなったら帰すからな」と言われていたので、パキスタン人と一緒に帰した場合、状況証拠になると。そういうことをしてやろうということなのではないかと期待していたんですけれども、11月22日に、パキスタン人に明日また帰すぞと言いに来ました。

1週間後が、11月29日。私の写真が公開された5月29日のちょうど半年後なんですよね。という日程的なものを考えて、これは解放じゃないかと期待しました。

彼の食事を持ってくる連中が、指を立てるんです。何か言いたいんだろうなと思ったんですけれども、これは解放だぞということを言っているんじゃないかと思い期待していたんですけれども、この頃、周囲にいる囚人と話をしたいなと思ってしまって。

話してはいけないと言われていたんですけれども。横の部屋にはパキスタン人がおり、上の部屋にはシリア人の親子がいました。話している様子を聞いているとそのシリア人の親子も人質だったようです。

◆バングラデシュ人「求婚を断ったら一家丸ごとさらわれた」

話している様子を聞いたんですけれども、親子のブローカーがきて英語で話し始めたんですね。他の囚人に分からないように。近所に住み始めたバングラ人が求婚をしてきたので、それを断ったら仲間を連れて襲撃してきて一家丸ごとさらわれたと言っていました。それが1年以上前だと。

半年前に妹が出て行ったということを言っていて、これは人身売買されてきたんだなということがなんとなく分かりました。彼ら自身がさらってきたというよりも、人身売買のマーケットがあって、彼ら自身もそれに関与している。売っているかどうかはわかりませんが、それを買ってきて人質にとり身代金を取るということもやっているという組織なんだということが、うかがえました。

それから、囚人の会話の中で、あと何か月いるんだということを言い合っているんですね。日数は決まっている。たとえば、敵対するアサド政権の兵士であったりすると、日数決まっていて帰していたらちょっとおかしいだろうと。色々聞いていると、イスラム法廷で裁かれて、何らかの罪を犯し、それで運ばれてきた受刑者じゃないかという印象を受けています。

◆受刑者の引き受けがビジネス?

短い人だと数日で出て行ったり、1か月、10ヶ月であったりするんですが、毎週1回、何かしらのイスラムの更正プログラムを受けているので。大きな声でクルーアンを読み上げることなどをされているような様子で、これは、イスラム法廷から受刑者を受け入れて、それで対価を得て稼ぐこの受刑者の引き受けのビジネスをしているんじゃないかという印象を私は受けています。

それから人質ですね。私の部屋は何箇所か移されているんですけれども、そのあと周りの囚人も代わりまして、人質ではなく、外国人の義勇兵がたくさん捕まっているようで、エジプト、ヨルダン、パキスタン、アフガニスタン人であるということをお互いにペラペラしゃべっているんですね。彼らは自分はヌスラであるといったり、アハールシャムであるといったり、イスラム国であるといったり。そういうことを会話で言ってるんですね。

◆囚人と看守の間には冗談も

そういった会話を聞いて、ヌスラの囚人がいるんだ、と今でも彼らがどうして彼らが捕まっているのかがわからないんですが、彼らも「あと何日で解放だ」ということで深刻な様子もなく話をしていて、食事をもってくる看守とも色々と冗談を言い合っているような状態で、深刻な立場にある囚人という印象ではなかったですね。

それから、アサド政権の兵士も捕まっているようで、彼らが兵士と呼んでいるのが聞こえまして、彼らはたびたび拷問を受けていて、拷問の叫び声が何度か聞こえました。棒のような固い何かで叩いている音がたびたび聞こえました。

◆囚人と話したことが武装集団にばれる

ハシッシ・大麻の売人も捕まっているようで、彼ら自身が治安維持をしていて、そういった人々を捕まえて、何か月か監禁するということをやっているようだというのが周りの声を聞いてうかがえました。

しかし、周りの囚人と私がしゃべっていたというのが彼らにばれてしまいました。周りの囚人に「このあたりはジャバル・ザウィーヤという場所らしい」と言ったのがばれてしまい、11月29日、私がめどにした日も過ぎてしまいました。

その1週間後くらい、フロアに囚人が連れてこられれひどい拷問が始まって。見せしめのような。そういった反応などを見ていて、ジャバル・ザウィーヤという情報が、彼らとしては知られたくない情報だったのではないかなと私は思っているんですけれども、私と話した人物だけが周囲に残されて、そのほかの囚人は、全部いなくなりました。

つまり、それ以上その話をしないようにということですかね。という様子を見て、この地名というのは信ぴょう性高いのではないかと思っているんですけれども。

◆囚人の尋問を聞かされる

シリアの地図を見ますと、ジャバル・ザウィーヤというのは、イドリブの県都であるイドリブ市のさらに南にある。ジャバルというのはアラビア語で山という意味で、山岳地帯というか、田舎のほうのようです。そういう場所に移されていたと。

途中から部屋を移されまして、彼らの事務所のすぐ横の部屋に移されまして、事務所というのが、囚人の尋問をしている部屋で尋問がよく聞こえるんですね。

周りに他の囚人がいないので周りとは話せない環境に移されたんですけれども、尋問の様子を聞いているとやはり、ヌスラの捕虜に対する尋問をしている様子が聞こえました。ハシッシであるとか、シリア軍の兵士に尋問している声が聞こえてきたと。外国人なんですけれども、尋問する声も聞こえました。

◆スパイを疑われる

事務所のすぐ横でそういった声がよく聞こえるんですけれども、彼らが尋問しているすぐ横にトイレがあって、トイレに入ると、トイレの音が聞こえるんですけれども、そんな部屋に私を入れたので、聞こえていることはあまり気にしていないんじゃないかなと思ったのですが、足元忍ばせてトイレにはいると何か疑われるかなと思いまして。

あえて水を流す音などを大きくしてそこにいるよということを知らせたんですけれども、彼らはトイレをしたり、頭を洗うふりして盗み聞きをしているという解釈をしたようで、私がスパイ行為しているという解釈をし始めたようです。

彼らが尋問しているときにトイレに行ったりすると、その直後にその時に尋問していた人物はどかして別の人物を連れてきて、みせしめの拷問を始める。非常に激しく殴って、うめき声をあげるということを私の部屋のすぐ外で聞かせるということを始めまして。彼らは「何をしてはいけない」ということは口頭では言わないんですね。

◆ヌスラのふりをしていた?

そういうことをやって、こちらが察しなければいけないということなんですけれども、見せしめということで始めました。3月半ばごろには英語のクルアーン(イスラムのコーラン)や本を持ってきまして、「2日後に話をしよう」と言われました。

その2日後にイスラム教に詳しい通訳もきて目隠しされずに談話をしたんですけれども、イスラムについてイスラム国のようなものがなぜ生まれてくるのかというような会話をしていたんですけれども、事務所に、ヌスラの囚人の尋問のをした資料の束とかあったり、バナーが貼ってありました。

それから、部屋の中の棚のすべての引き出しにロゴが貼ってあって。ヌスラが看板を変えて、タハリズシャムという看板をつけていたんですけれども、そのロゴがいくつも貼ってありました。

組織名は言わないといっていたのに、わざと見えるように貼っていて、どういうつもりなのかなと思ったんですが、その頃すでに報道ではヌスラが捕まえているということがほぼ確定事項のように報道されていたので、ひょっとすると彼らはヌスラのふりをしたのかなというのが私の印象なんですけれども。

◆「日本人だと言ってはいけない」

その面談の少し前に施設のリーダーである人物と話をしたことがあったのですが、英語ができる人物で、「東京から来たのか?」と何度も聞かれました。周りに囚人がいないので、普通に答えたんですけれども、周りの囚人とは話してはいけないというこの理由というのが、報道されている日本人の人質というのが、この施設にいるというのが他の囚人にばれてしまうと、その囚人が出所した時に、周囲に話すかもしれないということでした。

インターネットなりニュースなりに流れている人質があそこにいるということが流れてしまうかもしれないので、周囲に日本人であるとか、私を特定できることを言ってはならないというようなことを私は理解していました。

◆日本人と答えると拷問ゲームが始まった

それに対して、彼らはあえて「東京から来たのか」と聞いたり、「日本から来たのか」と聞いたり、「Are you Japanese???」と20回くらい連発して聞いてきたり。それで日本人と言ってしまったら「言ってはいけないことをいった」として拷問がまた始まったりですね。

そういう妙なこのゲームのようなものが始まりまして。そういう一環で、その施設のリーダーが来て、彼もそういった「東京から来たのか」みたいなことを言ってきたんですけど、彼は「我々は改宗を強制することはしないから」とリーダーから明言されまして。

ここに来る前の民家でも改宗は強制しないということはずっと言われていたんですけれども、イスラム教に関する面談の中で、「戦いについて話をする」と。敵対にする異教徒に対して改宗を求める。改宗しないのならば人頭税の支払いを求める。どちらも拒否するならば殺害する、という順序があるのだということを彼らは言っていました。

では、日本人もそうなのかと聞くと、全ての異教徒が対象であると。ならば自分もそうなのかと。監禁されていますし人頭税を払うことは無理だと。では、改宗は強制ではないのかと言ったんですが、彼らは気分を害したようで、「いままで誰か強制するようなことを言ったか?」というようなことを言われました。

「言われていないけれども、お前たちの代表は何を考えているかわからないし、どうなんだ」ということを言って、ちょっと言い争いではないんですけれども、ちょっと雰囲気悪くなったんですね。

◆拷問がエスカレート

そしたら、翌日もまた拷問が始まりまして。他の囚人を連れて来てですね、アフガニスタン人をどうも連れてきたようなんですけれども、「お前はシーア派だろう」と聞いて、「スンニだ」と言ったので、「スンニなの?じゃあいいわ」と言って戻して。

また別の囚人を連れてきて、「お前礼拝やってみろ」と。お前ムスリムじゃないだろと言って、拷問を始めまして、「ムスリムだよ、ムスリムだよ」というと「じゃあスンニの礼拝やってみろ」といって礼拝させて、戻して。これもやっぱり見せしめで。

強制しないと言っているのに強制するんじゃないかということを私が言ったので、それに対する、そんな組織ではないのに分かっていないのかという意味での拷問だったのかなと思うんですが。

直接何も言わずにメッセージを送ってくるというやり方をするんですね。私の側としては、そういうものさえ彼らの要求にちゃんと応えていたら、解放なんじゃない期待をして、事務所で話しているときにはトイレには行かないなど努力始めたんですが、段々とエスカレートしてきて。

彼らが食事を配り始めた時にたまたまトイレに入ったら、彼らが食事の音を盗み聞きするためにトイレに入ったというよくわからない理屈が始まり、また見せしめの拷問が始まったりしまして、どんどんひどくなってきて、私が身動きした音がするだけでまた拷問が始まったりしました。

◆幅1メートル・長さ2メートルの場所に移動させられる

先ほどの事務所のあったところからまた部屋をいくつか移されたのですが、最終的に移された場所というのが、幅1メートル・長さ2メートルみたいなところに移されまして、その両側に彼ら自身が入っていて。

私の部屋から聞こえる音をずーっと全力で聞いていて、私が何か物音を立てると電気を消したりとか、ちかちか点滅させたりとか、扇風機を消したりとか、夏なので扇風機がないとサウナ状態になるんですけれども。

それから食事を持ってくるけどども、缶詰をもってくるけれども入れないとか、ヨーグルトを入れるけれども5ミリも入っていないとか、鶏肉を持ってくるけれども骨だけ大量に集めてくるとか嫌がらせが始まりました。

途中から、この水浴びをするとやはりそういうことをし始めて、水浴びは禁止らしいということが分かりました。なんでこういうことを始めているんだろうと思ったんですけれども、どんどんとエスカレートしていって。

◆指の関節がなる音もNG

例えば指の関節が鳴るパキッていう音がするだけでも、だめだと。彼らが何か話し声をしたり、何か物音を立てた後に私が物音を立てると1分以内くらいの目安だったんですけれども、盗み聞きをしたから身動きをしたという理屈のようで、それで何か音を立てると先ほど言ったような拷問を拷問を始めたり電気を消したりを始めまして。電気を消され、扇風機まで消されると、非常に熱くなりました。

私は鼻炎なんですけれども、扇風機が回っていると風が入ってくるので、鼻で呼吸しやすかったんですけれども、電気を消されてしまうと鼻がすごく詰まってしまって鼻息の音がするんですね。

そうすると、このふざけて鼻息をさせているという解釈することで電気をちかちかさせたりですね、トイレの蛇口から水を流すとキーンというものすごい高温の高温の音が響くんですけと、その音をわざとさせたり。何分間も。頭が痛くなるくらいの、でかい音でそういう音をさせたりですね、嫌がらせというか、してくるようになりまして。

◆食事以外は身動きが取れなくなる

結局、何をやってはいけないのかずっと解釈していくと、身動き全然できないじゃないかと。彼らもきっと、部屋の外をうろうろしたりとか、囚人がしゃべっているときに身動きしてはダメだということもわかりまして、そうするともうほとんど1日中だめじゃないかということも分かってきまして。そうすると身動き全然できないんですね。身動きできるのは、彼らが食事を持ってきたとき。

つまり私の意思じゃなくて、彼らがものを持ってくるので、そのタイミングなら動ける。なので、食事を済ませ、トイレを済ませ、関節をバキバキと鳴らして。その後ならないように。そのあとまた寝っ転がるということをやっていたんですけれども。なぜそういうことを始めたのかなというのが、まず彼らは日本側から金取れると思っていたのに、どうもメッセージをしたのではないかという疑いを持っていたということと彼らの解釈によるスパイ行為をやっているという扱いで、そういった虐待のようなものを始めたのかなと。

一方で、私の感触だったんですけれども、そういった彼らが仕掛けてくるゲームのようなもの。ゲームだというそのものにはほとんど意味がないですよね。何か音がした後に1分以内に私が動いたらだめだというものにはほとんど意味はないんですけど。「それがすべてできれば帰す」ということなんだろうという理解はして、彼らの要求にすべて応えようとしたんですけれども、はっきり言って不可能だなと。

◆水を飲んだりつばを飲むことも困難に

例えば、体の向きを変えるだけでも彼らは音を聞いていて、あとはまくらの上で頭の向きを変えるだけでも彼らはその音を聞いている。鼻息も聞いている。この鼻息がダメだというので、私も一生懸命鼻をかんでなんとか鼻を通そうとするんですが、鼻炎なんで通らない。

そういうことを無理に続けると、だんだん耳がおかしくなる。水飲んだりつばを飲んだりすると、(耳の辺りが)パキパキと音がするようになりまして、その音をふざけてやっているという状況になりまして、その音も「ふざけてやっている」と思われるようになりました。それ以降はつばも飲めない。彼らが物音を立てているときに、1分以内に動かなければどうも大丈夫だという感触だったので、その隙間を見て、コップにつばを吐いて、また元の態勢に戻ってというようなことを始めました。

そうすると、つばを吐くのもだめだということになって、聞こえないようにつばを吐いても、置いたときにコップのカタッという音が鳴ってしまうと、壁をゴンゴンゴンとされて、「別の場所においたの分かってるぞ」というサインを送ってきました。私自身が聞こえないような音まで聞いている。1メートルの幅の部屋の両側に24時間、ずっと私の音を聞いている非常に不気味な状態になりました。

◆「ドアに50センチ以上近づけない」ルール

それから、ドアには小窓がありまして、その上や横に隙間があるのですが、彼らはドアの外にカメラを置いていて、その隙間から中が見えるんですね。ドアの50センチぐらいのところはカメラに写る。私がドアに近づくと、外を見ているか、そこで盗み聞きしているという扱いになるので、「ドアに50センチ以上近づいてはいけない」というルールが設定されました。それは体全体ではなく足が写ってもだめということで、長さ2メートルしかない中の50センチには足も写ってはいけないので、1.5メートルしかない。その範囲でしか寝ていなければいけない。

だから膝はずっと曲げている状態か、膝を伸ばして腰を曲げている「く」の字の状態になっていました。幅も1メートルしかないなので、寝返りを打とうとして転がると、壁が間近にあるので、体を持ち上げて、横を向いて動かさないといけない。そうするとまた音がするので、身動きが全然できない状態でした。

◆寝転がった状態で指も動かせなくなる

そんな状態で寝っ転がった状態で24時間、指も動かせません。これが始まったのは8月の頭からで、だんだんとエスカレートしていって、身動きもできなきない状態になったのは、10月、11月ぐらいでした。その間、水浴びは一切なしという状態です。

◆ハンガーストライキを始める

これはどう考えても不可能だということになったので、彼らに対して飯を食わずに「ハンスト」を始めたんですね。食事を食べるとエネルギーになり、食べた後にまったく動かないのはきついので、もう食べないと。食わなければ、そのうち動かなくなるの

で、お前らの求めている「一切動かない」というのができるから「帰せよ」と言いました。

食事を持ってくるんですが受け取らないというのを始めて、その代わりに改宗をすると。イスラム教徒になると。そうすると1日5回礼拝しなければいけないので、5回動けるわけです。1日2回、食事の時だけしか動けないなら、改宗してイスラム教徒になることで5回追加しまして。

イスラム教の逸話の中で、アッラーとムハンマドが話をして、1日5回の義務が設定されるというものがあります。アッラーは最初に1日50回を求めたのですが、ムハンマドがそれは難しいということで最終的に説得して5回になる。

イスラム教徒なら知っている逸話なので、私は5回の礼拝をそれぞれ10回やって、50回やると言いました。体を動かさないのはとにかくきついので、そういうやりとりをして、なんとかして条件を緩和しながらやっていました。

◆20日間絶食「骨と皮みたいな状態になった」

食事取らなくても24時間動かない。寝ている間に体が動いてもダメなんで。寝ることもできない状態ですから、はっきりいって不可能ですよね。結局20日間絶食状態。骨と皮みたいな具合になってきて。一日に1リットルぐらい水分取るべきと言われるんですが、これって食事も含めてですよね。

普通に食事していたら1リットル取れるんですが、本当に意識しないと取れなくて。脱水症状のような形になっちゃって。肌もカサカサになってきて、つまむと戻らないような状態になって。それから仰向けに寝ていると胃が圧迫されて吐き気がして、ものは出ないんですけど、ずっと戻しているような状態。

だから横向いていないと寝れない。礼拝のために立ち上がると立っているだけでも胃が圧迫されてまた吐き気がするような。立ち眩みで、くらくらするような状態で、体力的にかなり厳しい状況になってきたんですけど。20日間立つまで彼らはそれを続けるんですね。

◆2018年3月29日:「もう帰すから食え」

この20日間経って2018年3月29日に彼らの代表者の部屋に移されて、「もう帰すから食え」と。二日後に別の施設に移して、「今から20日以内に日本に帰す」と言われました。

その部屋に2人のウイグル人がいまして、彼ら2人と一緒に帰すよということ言ってたんですけど。移動する先は普通の民家だと。ウォータープレイス。池なりなんなりのある環境のいいとこに移すよと。そこではっきり解放を言われ、その2日間後、実際に別の施設に移されました。

◆刑務所に移される

移された先の平屋の「ロ」の字型をした施設で、最初に移された場所は刑務所でした。真ん中が中庭になっていて、内側に向けてドアがついている。ドアには小窓がついていて、そこから食事を持ってくるんですけど。2日間そこにいてから、もっと良い場所に移すと言われました。

そこに移されたときに、そろそろ解放なのかと水浴びをしてしまったんですが、そしたら電気を消されまして。やってはいけなかったみたいですね。そのまま結局、その部屋から移されず刑務所のまま。

ここ少し抜けているんですけど、4月の5日ごろ。「日本側に送るから、家族へのメッセージ書け。妻との思い出を書け。できるだけたくさん書け」と言われてそれを書きました。ウイグル人の民家なんで、おそらく近くにあるんではないかと。ということで、近くに水がある遺跡があるような場所。詳しい人であったら、ひょっとして特定できるんじゃないかと私は思っているんですが、そういう場所に移されました。

◆2018年6月:「私の名前はウマルです」

そういう場所に半年間いたんですけど、その間に動画撮影を何回かされました。6月半ばには「私の名前はウマルです」と言って、日付を言っているものを作ったのですが、ウマルというのは私が改宗したときにウマルというイスラム名を付けています。で、私はトルキスタンの施設に移って以降、ウマルと呼ばれたんですね。

名前と日付を言えと言われて動画を撮影したんですね。なんで日本語でやるんだろうって疑問に思いました。彼ら日本語分からないですから、何言うかわからないですよね。それまでの動画ってのは全部英語だったんですけど、私が何を言っているかわかるように。それが日本語だった。

日本語で何か言わせるということは、彼らがわかる部分を注意しなきゃいけないと思いましたよね。つまり安田純平と言ったらだめなんだと解釈して、ウマルと名乗ったわけです。で、撮られたのがそのウマルという動画なんです。

◆礼拝でうめき声を上げてしまう

でそれさえクリアすれば今日は帰されるかもと思ったんですが、その頃は腰を痛めてまして、礼拝するときにうめき声が叫び声を上げているような扱いになって、そういう声を出すのはダメというルールが設定されてました。しかしその時もうめき声をあげてしまって、結局帰されませんでした。

それが帰されない理由かどうかははっきりはしないですよ。私の名前はウマルですというだけの動画というのは内容的に意味があるとは思えない。日本語でしゃべっているものを彼らのもとに送るとは考えられなかったんですよね。何を言っているかチェックできないわけですから。

だから、私はこれを公開するものではなくて、彼らなりの遊びというか、ゲームをやっているんだという解釈をしていました。

◆2018年7月5日:イタリア人の囚人が入る

7月5日にイタリア人の囚人が入りました。私の動画「ウマルです。韓国人です」と同時に、彼の動画も公開されました。彼は同じ施設にいました。

イタリア人というのは食事として配られたひよこ豆の缶詰があったんですが、これがイタリア製だったんですね。彼らがイタリア人と話しているときに、彼はアラビア語はあまりできないんですけど英語で「I don`t like this」と言っていて。

ひよこ豆はイタリア語ではこう言うんだ。私の母国語のイタリア語ではこう言うんだと言っているのが聞こえて、「あっ、こいつイタリア人なんだ」と。

中庭でやっていたんですけど私は近くにいたので。イタリア人がここにいるんだということは認識しました。彼と直接話すのは許されなかったんですけど、彼もずっと同じ場所にいたと。

◆「ウマル、韓国人」の動画を撮影

7月25日。ウマル、韓国人というのも、これはやはり彼らの側から求められたもので、 日付と名前と国籍。それから「非常に環境が悪い場所にいる。助けてくれ」というのをすべて日本語で言えと。私は察しまして、名前と国籍は彼らは聞き取れるだろうと。この場で私は日本人とは言わずに韓国人といったんですね。

彼らウイグル人ですから中国人ではなく韓国人と言えと。私は韓国人と言っていたんですね。ここに来る前の大きな施設では中国人と言ってたんですよ。ここでは、韓国人のウマルと言っていたので、「日本語でそれ言えよ。お前賢いから分かるよな」と言われて、韓国人ウマルですと言ったのがあの動画です。

◆わざと泣いているような言い方で撮影

で、泣いているバージョンと泣いていないバージョンを取るので、まず泣いていないバージョンを取り、その後泣いているバージョンを唐辛子を食べ、手についた汁を目の周りに塗って涙が出るように、鼻水が出るように。ああいった話し方をしているのはわざと泣いているような言い方でしゃべれと言われたというのがあの動画の撮影の様子です。

そういった動画が撮られて、いくつかこういった動画が撮られました。公開されたものと公開されていないものがあるようです。

◆2018年9月29日:以前いた施設に戻される

そうこうしているうちに半年近くたってしまって。9月29日に、以前いたジャバル・ザウィーヤというところの大きな施設に戻されました。戻されたというのは、戻されたあとにやはり施設の代表者に会いまして。

以前お会いした同じ人物に会いました。同じ施設に来たんだと分かったんですけど。ここに移されて、その後10月15日ごろに、以前身動きしてはいけないという部屋に移されまして。また、身動きしてはいけないゲームが始まりました。

そのかわり、扇風機はずっと回していて。音はある程度免除されるんですよ。寝返りぐらいは打てる。ある程度免除されていたんで、彼らも帰したいのかなあと。

この代表者と話した時も「あと1週間ぐらいで帰すから」とやはりまた明言されたまして。10月の1週目に彼と会ったんですけど。「すぐ帰すから」といわれて。それがまた、それと同時に動いてはいけないゲームとかいうゲームが始まって、なかなかクリアしきれず伸びていったんですけど。

◆「いい加減許してくれ」と泣きつく

10月15日にまたこの部屋に戻ってきて、この部屋は無理だ、以前20日間ハンストやっても無理だったんで。「この部屋はもう絶対無理だから勘弁してほしい」と泣きつきました。

イスラムのいろんな予言者ムハンマドの残した言葉であるとか、神は我々に課す義務を軽くしてくださるとか、人間というものは弱いものとして作られている。神は許しと慈悲を与えてくれるのであるとか、そういった文言とかいくつも読み上げて、俺は弱い人間なんだと神ですら慈悲を与えてくれるのだと。どうか慈悲を与えてくれと。もういい加減許してくれと。

40か月以上というのはいくらなんでもひどいじゃないかと。監禁している理由というのも元々金銭要求だし、私の解釈では身動きしてはいけないとかどう見てもイスラムに基づく監禁ではない。これはハラームであると。ハラームはイスラムに反する行為であると。で、もしも殺せばそれは払拭することできない重大なハラームであると。決定的に重大な罪を犯さなければ軽い罪については免除されるといった文言があったり。

その決定的な罪とは何かということについて、預言者ムハンマドはそれこれであるという説明があるんですね。そういうものをこちらから話をして、「これ以上無理だ」ということを訴えかけました。

◆2018年10月22日:「帰すか殺してくれ」と懇願

10月22日は絶対これ以上やらないでくれと。「これ以上やるくらいだったら殺してくれ」と。「これ以上は無理だから、帰すかもしくは殺してくれ」と。これ以上身動きもできない状態、身動きできないということはトイレも行けない。トイレも行けないということは水も飲めない。

この時、例えば、彼らは囚人が礼拝を呼び掛ける「アザーン」を聞いた後に礼拝をしたら、「アザーンを盗み聞きした」という扱いでダメなんですね。

かなり異常だと思うんですけど。だから礼拝ができない。このとき、時計もなかったのでいつ礼拝していいか分からないわけですよ。ハンストの時は時計があったのでこのアザーンを無視して1日5回の時間で、自分で時計を見てアラームを鳴らして「この時間だから礼拝をするんだ」と。周りの音を聞いてからではなくて、ということでやっていたんですけど。

戻されてから時計がなかったんで、そうすると夕食がくるのが(午後)4、5時くらい。次の翌日の食事が来るのが(午前)10、11時なので、その間は15~16時間トイレに行けないわけですよ。トイレに行かせないとか、そのために水を飲ませないのは「ハラームじゃないか」ということを訴えて、「こんなものを続けるのはやめろ」と。

「お前らはジハードのためにやっているのではないか?」と。「お前らのジハードは革命のために政府と戦うとか、それがお前らのジハードではないのか?」と。「どう考えてもこれはジハードじゃないだろう」と。「あなたたちは立派なイスラム教徒であると私は信じる」と。「これ以上ハラームなことを続けるはずはない。40カ月、これをめどに解放してくれ」と。この頃、かなり強く訴えました。

◆「なんてこと」解放に期待の40か月目前でミス

それで21日の夜、この頃も扇風機をかなり盛大に回してきまして、少しくらい動いても全然音は聞こえないくらいになってきて、それでちょっと眠った後に寝返りを打ってしまったんですね。「どさっ」という音を立ててしまって。それと同時に電気を消されまして、「ああ明日22日で40カ月ちょうどの解放めどなのに、何てことをしてしまった」と思ったんですけど。

彼らはすぐ電気を戻して出力もどんどん上げていって。扇風機の出力も彼らは自在に変更できて、文句があるときは本当に最小出力に変えたり、今のところ問題ないぞというようなサインで出力を上げたりするんですが、その時は出力をどんどん上げてきまして。もう夜中の間も最大出力でずっと回していて、物音に関してもかなり免除されているのかなと。明け方近くになったら今度はどんどん下げていきまして、「何だろうこれは」と思ったんですが、周りの囚人らから全然話し声がしなくなって、これはトイレに行っていいというサインかなと。

要するに物音が全くしないということを聞かせているのかもという解釈をして、トイレに行ってみたらその後出力を上げていったんですね。だからあれは多分正解だったのかなと思っているんですけど。

それで朝まで出力がどんどん上がっていって、どうもこのままうまくやっていけば解放なのかもと思っていました。

◆2018年10月22日:「今から帰すから」と連絡が来て荷物をまとめる

この10月22日にシリアに入ってからちょうど40カ月の日、私が「絶対にこの日を過ぎないでくれ」と言ったその日の午後、「今から帰すから」という連絡が来て、荷物をまとめて車に乗りました。「今から日本だぜ」と。「うれしいか?」と、「お前、東京に住んでいるのか?」と聞かれて、「東京だ、東京だ」と言ってしまったんですけども。

これも「日本人」と言ってはいけないルールだったようで、結局この日は一戸建ての民家に移されたんですけど。「今晩解放か明日か」という話だったんですけど、結局、一晩また引っ張られました。

◆2018年10月23日:「今からトルコに行く」

10月22日夜に民家に移され、翌日23日朝、「今からトルコに行くから」と言われて車に乗せられ、また移動していって車が止まり、彼らが何かやり取りをしている後に、車から降ろされて別の車に乗せられ、その車の中で英語で「もう大丈夫だから」と。「お前は安全な状況である」と言われて。

彼らはトルコ人だと言ったんですね。たばこを吸い始めて。私が監禁されている間はずっとたばこを吸う人間を見なかったので、たばこを吸う人間が横にいるということはこれは彼らじゃないなと。これは彼らの言う通りトルコ人なんだなとそこで感じたんですけど。

◆トルコ入国後も続いた目隠し

その車に乗せられた時も目隠しをされていました。そのまま移動してきまして、国境付近からトルコのハタイ県のアンタキヤという都市まで運ばれたんですが、そこの入管施設に入れられたんですけど、入管施設の100メートルくらい手前になって目隠しを外されて、「もうお前はこれで解放されたんだ」ということを言われた。

入管施設の中に入って、事務所に行って「解放だよ」ということを言われたというのが解放までの流れです。私の解釈では、トルコの情報機関が恐らくシリア側まで入り込んで、私の引き受けをしたんじゃないかと。

つまりトルコ側に戻す間、目隠しをしていたわけですよね。トルコ側で身元引き受けをしたのであればずっと目隠しをする必要はないんじゃないかと思うんですよ。だからシリア側にどこからどこまで入り込んだのかということを隠すために、トルコ側が引き受けたにもかかわらず、1時間近く目隠しを続けていたのではないかなと私は解釈しています。

◆身柄保護に「オペレーション成功」

トルコ側がオペレーションに成功して私の身柄を引き受けたとアナウンスをしているんですけども、そのオペレーションというのはシリア側にまで入り込んで私の身を受け取ってアンタキヤまで運んできたというのが彼らのオペレーションではないかと私は解釈しています。

つまり、トルコの情報機関が襲撃をして身柄を確保したとかそういうことではなくて、オペレーションというのは彼ら側から通報を受け、場所の指定があり、そこで身柄を引き渡すという連絡があって、それを目的通り遂行した、オペレーション成功というのがトルコのアナウンスしている中身かなと私は解釈しています。ここまでが解放までの流れになります。