※この記事は2018年11月02日にBLOGOSで公開されたものです

シリアでの拘束から解放されたジャーナリストの安田純平さんをめぐり、ネット上を中心に「自己責任論」に基づく批判があがっている。2日の日本記者クラブでの会見で、自己責任について問われた安田さんは「紛争地に行く以上、自己責任と考えている」と認めた上で、「批判いただき、自分の行動を検証していただくのは当然と思っています」と述べた。報道陣との質疑応答は以下の通り。

紛争地のような場所に行く以上、当然自己責任

――世界の報道機関も報じているが、ネット上のバッシングや、自己責任といった指摘もある。日本社会の姿、民度、文化の許容度を映し出しているような現状をどう受け止めていますか。

これは私自身の行動で日本政府並びに、多くのみなさまにご迷惑をおかけしたことので、私自身に批判があるのは当然だと考えています。何があったのかも含めて、皆様に批判いただき検証いただくことは当然と思っておりますので、そのことについては特に疑問というのは特にないです。事実に基づかないものもあるように思いますので、あくまで事実に基づいたものでやっていただきたいというお願いというのはあります。

自己責任についてですが、当事者である私が述べるのは言いづらい部分ですが、紛争地のような場所に行く以上、当然自己責任であると考えております。紛争地で日本政府が何かしらの救出をするというのが、非常に厳しい環境にある。だからこそ、政府は退避勧告というものを出している。そういった場所にあえて入っていく以上、相応の準備をし、何かあった場合に自分に起きたものは自分で引き受けるという準備、態勢としての準備、心の準備というものをやって入るものだと思っております。それによって自分の身に起きるものは、はっきりいって自業自得と考えています。

一般論ですが、そのことと行政がどうするかというのは全く別であって、その本人がどういう人物であるか、どういう準備をしたのかということと、行政が行うことは全く別として存在していて、その本人がどういう人かによって、行政の対応が変わるとなると、民主主義国家として非常に重大な問題であります。

今回、外務省の対応について、国として行政として、やるべきこと、できることをやっていただいたと私は解釈している。紛争地で人質になった日本人の救出、情報収集というのも非常に難しい。というなかで、可能な限りの努力をこの3年4か月の中で続けていただいたというふうに解釈しております。解放の理由であるとか、きっかけは分かりませんけれども、日本政府の原則として邦人保護は必ずやる、それから身代金を払うことは絶対にしない。この二つが大原則ということなんですが、その範囲の中で、できることというのを探っていただいたと解釈しております。

外務省の努力に感謝

(外務省からは)その間情報収集した内容なども上がっているのですが、報道されている私の近況であるとか、外務省から伺った私の近況でかなり事実と異なっているようなものがあります。例えば、施設平屋の半ば独房にいた間に私は独房を使っていたとかですね、それから周囲の塀が高くなったのでどうも本人が神経質になっているらしいと、そういう情報が入っていたらしいんですけど。これは事実に基づかないですね。9月下旬の段階でも外務省に入ってきたそういった情報も、錯そうというか事実に基づかない部分もかなりあったようで、情報収集がかなり困難だったことはうかがえるかなと思っております。

非常に情報収集が難しい、それから、これを機にあたかも拘束者とつながっているような振りをしている者、話を持ち掛けてくるいろんな人がいるので、その中で本当に私の状況を知っている人物を選ぶのが非常に難しい状況で、捕まえている組織にたどり着くというのは外務省であっても非常に困難であったのかなと解釈しております。それについては理解していますので、外務省が努力をしてくださったことに対して、何か私自身不満に思うこともないし、やれることをやっていただいた。その間家族のケアもしていただいたので、本当にありがたいと思っております。

――危険な地域に入るときに一番大事なのは、助手、案内人の選定ですが、難しくかつ大事だと思います。どういう根拠から信用できたのでしょうか。

実際に案内人に従って入る以上は、信頼するかしないかの最終的に二択になるんですけど、入ったということは信頼したということになります。他の日本人のジャーナリストであったり、シリア人の難民の支援をしている小学校の人たちから紹介された。後藤(健二)さんのガイドを以前にもやっていた。というあたりで、入り方の説明であったり、後藤さんとのかつてのやり取り。

例えば、彼らと後藤さんとで子供たちの教育プログラムを立ち上げた当時の写真などを見せてもらったんですけど、後藤さんと一緒に衛星電話というか、機材を入手してそれでインターネットにつなぎながら子供たちが勉強するというプログラムを立ち上げて。実際に後藤さんと一緒に買った衛星電話がこれだという話も聞いて。実際にこういう活動をしていた人だということを聞いてですね、こういう人なら大丈夫じゃないかと判断しました。

――拘束されている間に絶望する瞬間はありましたか?

身動きが全然できない。どう考えてもこれは不可能と思った時は、かなり腹立ってドアを蹴りまくりましたね。そんなに(武装勢力がたてる音を)聞かせたくないなら鼓膜を破って耳を潰してくれ、それでいいじゃないかと。一生耳が聞こえなくて家族と話すことができなくても。それでいいじゃないかと。お前らは聞かれたくないんだろと。お前たちも俺もそれを望んでいるんだからやってくれとかなり言ったんですけど、無視されましたね。そういうことはありました。ドアを蹴りまくった時は絶望感ですよね。不可能じゃないかと、それは何回もありましたから。

――戦場からの報道は使命と考えているのでしょうか。必要性についてどう考えていますか?

使命というのは、私自身が誰かから求められているとかそういうおこがましいことは考えていなくて、私自身が知りたいこと、疑問に思っていることを現地で取材してそれを皆さんに知っていただくということをできればいいなと思ってやっています。

必要性については、特に国家が武力を行使する場合について、国家というのは原則として人の命を守る存在であると思うんですが、戦争というのは国家が人を殺すという決定をするわけですよね。それについて、それがどのような影響を及ぼすのか、殺された人はどうして殺されなければいけなかったのか、国家がそういった行動をすることを国民がよいと考えているのかどうなのかということを判断する材料は絶対に必要だと思います。

それは民主主義の社会、国には決定的に必要で、その判断材料は当事者である国家から提供されるものだけではなくて、第三者から提供されるものがあるべきだと考えています。

したがって、紛争地、非常に厳しい場所であっても現地の情報を取りに行く人は絶対に必要というのが私の考えです。現地の人が流すものと、外部の人間が見るものは、見方も変わるので。当事国の人なりが入って見ることも必要だと思いますし、紛争を行っていなくても、そこでまた難民が出てくるとかめぐりめぐって日本にもいろんな影響があったりします。直接軍隊を送っているとかいうことではなくても、地球上で紛争なりが起きている場所があれば、そこで起きていることを見に行く現地に入るジャーナリストの存在は徹底的に必要というのが私の考えです。

今後の紛争地取材は「全く白紙です」

――報道では、シリアの現状が大きく報道されていない現状があると思いますが、現状についてどう考えていますか?

私自身の行動で日本政府、ならびに多くの人にご尽力いただいたので、まず私の行動がどうであったのかという検証がまずされるのは当然であると思っていますので、今現在わたし自身のことについて報道の注目が集まるのは当然だと私は受け止めています。ですが、できれば、その先で何が起きているのか、この先どうするのかということまで関心を持ちづつけていただきたい。それから、私を捕まえた組織が何者なのかということは、これは当然暴くべきだと思ってまして、自分自身やるのは今はなかなか難しいのですけど、そういうことを含めて関心を持ち続けていただきたいと思っております。

――家族は長い間安田さんの無事を願ってきたと思います。特に奥様は表に立って活動されてきました。活動へに対する気持ちに変化はありましたか。

家族には何もしないようにと言っていたのですが、家族の気持ちとしてそれは難しいのかなと。思っていた以上に、身内で言うのも変ですけど立派な対応をしてもらったと感謝しています。私自身の取材については、家族にはあまり話していなくて。自己責任だと思っていますから。家族は私自身ではないので。特に両親もかなり年でして。今回私が捕まっている間に、亡くなっているということもあり得たわけで、そのことはずっと気にかけていましたから、いい加減親孝行をしなくてはということも考えていますので、今後の取材の仕方であったりの部分で、もう少し慎重に考えるというのはあるかもしれません。

――つらい経験をされたと思いますが、今後も紛争地に赴いて取材をしますか?理由も教えてください。

現在、今後行くかどうかについては全く白紙です。分からないです。