床運動で金メダルを獲得した村上茉愛。その後現役引退を表明した【写真:アフロスポーツ】

写真拡大

東京五輪床運動で銅メダルの女子エース

 体操日本代表の村上茉愛(日体ク)が24日、現役引退を表明した。東京五輪床運動で銅メダルを獲得した女子エースの25歳。この日は世界選手権(福岡・北九州市立総合体育館)に出場。種目別決勝を床運動金メダル、平均台銅メダルで終え、競技後に引退を明らかにした。

 村上がホームの拍手を受けながら舞った。H難度の大技「シリバス」にも成功。拍手のボリュームは次第に大きくなっていき、目立ったミスもなく演じきった。着地を決めると大歓声。日の丸が揺れる客席を見つめると、涙が溢れ出した。

 得点は13.966点。暫定トップだった個人総合女王の21歳アンゲリナ・メルニコワ(RGF=ロシア連盟)に0.034点届かず、この時点で2位。インクワイアリー(問い合わせ)を行使した。問い合わせが受理され、14.066点のトップに浮上。笑顔を咲かせ、大きな拍手が注がれた。

 閉会式後に日本代表選手たちが会場に登場。客席にTシャツを投げ入れるサプライズをした。壇上で記念撮影を終えると、村上はマイクを握ってスピーチ。「皆さん応援ありがとうございます。私は今日で引退します。最後に感動を与えられたと思います。本当に感謝しています。皆さんの応援があったからここまで来られた。これからも体操ニッポンをよろしくお願いします」と話し、引退を表明した。

 さらにその後の会見では想いを表現した。

「凄い大きな拍手をいただいて、凄く楽しかったです。五輪に向けてもたくさんの人に支えられて自分の目標を叶えた。その後に何のために体操を続けるか考えて、最後の最後に無観客だったのは心残りだった。たくさんの人に自分の演技を見せたかった。そういうモチベーションをいただけて、応援してもらえて幸せな2か月でした。応援がなかったら続けられなかった。

 監督と話をして『何を言ってもいい』と言われたので言いますけど、今日で引退します。始めた頃は純粋に体操が好きでやっていた。ちょっとずつ力をつけて、五輪でメダルを獲りたいと思うようになってからは凄く辛かった。メダルを掲げることは簡単だけど、叶えるのは難しい。それくらい辛いことを乗り越えないと五輪でメダルを獲れない。それだけ簡単じゃないこと。

 良くケガをしたし、成績が上に行ったり、下がったりいろんな道を歩んだけど、最終的に五輪でメダルを獲れたし、耐え抜いた分に成績が出た。よく頑張ったねって言ってもらえて、やってきたことが間違いじゃないとわかったし、幸せだと思った。

(引退理由は)精神的なものもあるし、腰を怪我して引退が近く見えた。いい状態の時に自分で最終地点を決めたいと(コロナ禍の)自粛の後くらいに決めていた。よくここまでやったと思う。今は休みたい。

 ただ、体操女子は世界であまり成績を残せていない。日本女子も海外で戦えたことは今回見せられたと思う。次へのステップ。次のパリやロス以降の五輪でたくさんの日本女子がメダルを獲れる裏方になれるようにしたい。それは今考えているというだけで、まだ実行をしていないです」

数々の功績、小学6年時にH難度の「シリバス」成功

 今大会は左足首痛を抱えながら出場。東京五輪を集大成の場としていたが「メダルを獲って見に来てもらえるチャンス。自分のためではなく、人のために演技をしたい」と世界体操を目指した。母・英子さんが見守る中で演技を披露。満身創痍の体で最後まで戦い抜き、競技人生を終えた。

 神奈川出身の村上は3歳で体操を始め、小学6年時にシニア選手でも難しいといわれるH難度の「シリバス」を成功。中学2年時の全日本選手権種目別の床運動で初の日本一に輝いた。初出場だった13年世界選手権で女子種目別の床運動4位入賞。15年に日体大に進学し、16年リオ五輪では団体総合の4位入賞に貢献した。

 17年世界選手権は、種目別の床運動で日本女子63年ぶりの優勝。18年大会は日本初の個人総合銀メダル、床運動銅メダルだった。エースとして迎えた東京五輪は団体総合で5位、個人総合で日本女子歴代最高の5位。種目別床運動で3位となり、日本女子種目別で史上初のメダルを獲得した。(THE ANSWER編集部)