52歳の漫画家・古泉智浩さん。古泉さん夫婦と母(おばあちゃん)、里子から養子縁組した7歳の長男・うーちゃん、里子の3歳の長女・ぽんこちゃんという家族5人で暮らしています。
今回は、夏休みを満喫するうーちゃんのお話です。

小1のうーちゃん、初めての夏休み。朝顔の絵日記を描くはずが…



養子のうーちゃんは小1で、初めての夏休みが終わりに近づいています。毎日けっこう暇そうにしているので「そろそろ学校行ってみたくならない?」と聞いてみました。
「ならない」

学校では心を閉ざしているというので、行きたくはないようです。宿題は7月中に終わらせてしまおうと話していて、午前中だけ行っている学童保育でドリルは終えています。

ほかに朝顔の絵の宿題や、自由研究などの課題があります。毎日やらなければならない音読や一言日記、一日分だけの絵日記もあります。

朝顔の絵は、花の絵と種の絵の2枚描きます。ところが朝顔が見当たらないのでうーちゃんに聞いてみると、学校にあると言います。それが夏休みが始まって1週間くらいでした。

●朝顔の絵の宿題。でも肝心の朝顔はどこに…?



うーちゃんと学校に朝顔の鉢植えを取りに行くと、グラウンドの隅に隣のクラスの男の子の朝顔がぽつんとあって、そこからちょっと離れた場所にうーちゃんの朝顔が横倒しになっていました。みんなは1学期が終わった当日に持って帰っていたようでした。


クラスで1人ずつ朝顔を持って帰っていない生徒がいて、それがうーちゃんでしかも倒れたまま何日も経っていて、花はしおれて葉っぱも黄色くなっています。1年生でいちばん悲惨な朝顔でした。

花の絵はどうしたものでしょう。このまましおれた絵を描くと言うのもありはありですが、うーちゃんに受け止めることができるかと言えば疑問です。ママの実家のおばあちゃんが朝顔を育ててきれいに咲いている最中だったので、その絵を描くことにしました。


それから20日くらい経った今、しおれていた朝顔は蘇り、葉っぱはきれいな緑色で、再び花を咲かせています。この朝顔はもうダメだと勝手に諦めていた僕が間違っており、朝顔の生命力のすごさを侮っていました。赤や紫のとてもきれいな花で、よくみると明日咲きそうなつぼみもあります。そして種もできて、種の絵は自分の朝顔で描きました。

●ランニングに釣り、夏休みを満喫するうーちゃん。神社では事件も…。



夏休みは海に行ったり映画館に行ったり、釣りに行ったり、ランニングをして体を鍛えたりしようと胸を膨らませていました。ところがうーちゃんは学校のプールでよほど怖い思いをしたのか、海には全然行きたがらず、とうとう1回だけでした。3歳の里子のぽんこちゃんとは4回くらい行きました。

僕は運動不足にならないように週1くらいのペースでランニングをしていたので、夏はできれば2日に1回くらいにペースを上げてうーちゃんと一緒に走れば、うーちゃんも体力がついて元気な子になるはずだと考えていました。うーちゃんが一緒だと僕もモチベーションが上がります。

7月に隣の駅までうーちゃんと走りました。ちょっと遠回りで6km走りました。帰りは電車です。今7歳なので次は7km走ってみようと話していましたが、とうとうそれっきり何度誘っても走りに行かなくなりました。よっぽどきつかったのでしょうか。
うーちゃんは5歳くらいから4kmや5kmを走っていて、1km8分から10分くらいのゆるゆるのペースにしたつもりだったんですが。

映画館も全然行きたがりません。家で『ドラえもんのび太の恐竜』と『ミスター・インクレディブル』をDVDで見ました。

釣りは3回行きました。豆アジが大量に釣れるのですがあまりに釣れすぎて食べきれず、3回目はハゼを釣ることにしたら、時期が早すぎて1匹しか釣れませんでした。魚はさっぱりでしたが、うーちゃんは仕掛けを投げるのが上手になってました。

うーちゃんは遊び場がある裏の神社に一人で遊びに行くようになっていました。行けば時々同じクラスのお友達がいます。7月の終わりに、うーちゃんが裏の神社で3年生の男の子3人と鬼ごっこをして遊んだそうです。うーちゃんは同級生と遊んでも足が遅くてずっと鬼なのに、3年生と鬼ごっこなんてひどいことになるのではないかと思ったら、最終的に3人から首を絞められるという事件に発展しました(!)。

うーちゃんはそれっきり神社には近づかなくなりました。子ども同士のこととはいえ、首を絞めるなんてひどすぎるし、大事故につながる危険なことです。もしかしたらうーちゃんが憎たらしいことをしたのかも…と想像していますが、すっかりしょげてしまっているうーちゃんを見て、親としてとても腹立たしく悲しい出来事でした。

●漫画のおかげで野球好きになったうーちゃん。だんだん上手になってきました



『ドラベース』というドラえもんの野球漫画を学童保育で読んで、うーちゃんが野球に興味を持ちました。クリスマスのプレゼントであげた子ども用のボールとグローブのセットにずっと見向きもしていなかったのに、急に遊び出して、おばあちゃんにダイソーで200円の赤いバットを買ってもらいました。

うちの裏には元々工場だった更地があります。そこで僕がボールを投げてうーちゃんがバットで打つ野球遊びをするようになりました。1回始めると1時間以上投げて打って、時々交代して僕が打ちます。

上手にバットに当たらず、当たってもボテボテのゴロですが、夢中になってやっています。横や後ろに飛んだボールはうーちゃんが走って取りに行って、僕に投げます。そうしているうちにボール投げがだんだん上手になってきました。


バットの持ち方が、右打ちの場合左手が下なのですが、反対になっていました。注意しているうちに自分でも気をつけるようになりました。上手にできなくても汗だくでうれしそうに笑いながらずっとやっているので、『ドラベース』の力は偉大です。

●バッタを捕まえたものの、お世話は古泉さんに丸投げ!?



1学期の終わりにバッタを捕まえるブームが到来したので、コメリで虫網とカゴを買って小学校の草むらにバッタを捕まえに行きました。その日は7匹捕まえて、翌日は9匹捕まえて、水槽に草と一緒に入れました。

ネットで飼育方法を調べると、イネ科の草を入れて餌にして、毎日霧吹きで水をかけて、1時間くらい日光に当てると書いてありました。バッタの観察記録を自由研究にしたらいいではないかと思いました。

ところが、2日かけて捕まえたバッタを水槽に入れたまま見向きもしなくなりました。仕方がないので僕が水を掛けてあげていました。「うーちゃん、草の交換しなよ。黄色くなってきたよ」と言ってみました。


「だって逃げるでしょ」
何ひとつお世話をする気はないようです。うーちゃんはまるっきり無関心なので、すべて近所の児童公園に逃がしました。集めて閉じ込めることで興味が終わってしまったようです…。
ちょっと前に犬を飼いたいと言っていましたが、この様子ではどう考えても無理です。

自由研究はママの発案で、プラバンを使って水族館をつくることにしました。
それが終わるまでゲーム禁止で、ついでに僕までゲームが禁止になってしまったので「さっさと宿題終わらせてくれよ。オレまでゲームできねえじゃねえかよ」とうーちゃんを急かす日々です。

【古泉智浩さん】



漫画家。1969年、新潟県生まれ。93年にヤングマガジンちばてつや賞大賞を受賞してデビュー。里子を受け入れて生活する日々をつづったエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門
』、その里子と特別養子縁組制度をめぐるエピソードをまとめたコミックエッセイ『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました
』など著書多数。古泉さんの最新情報はツイッター(@koizumi69
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