男と女の、珠玉のラブストーリー。

秋の夜長、「その先」のことを語りましょうか。

この物語の主人公、あなたの知り合いだと気づいても、
どうか、素知らぬフリをして―。

▶前回:なぜか夫が私の行動を把握してる…?背徳の美人妻が感じた、優しい夫への違和感




第8夜「運の悪い女」


結婚して、最初に「あれ?」と感じたのは、一緒に車でららぽーと豊洲に行ったとき。

併設のAOKIに寄り、車だからと美味しいジャムやお酒も買い込んで、大きな袋3つ分にもなった。

当然2つは夫である大介君が持ってくれて、重いひとつは私が、と思っていたのに、なぜか彼はすたすたと何も持たずに歩き始めた。

「あ、ちょっと待って…」

私は慌てて3つの大袋を無理矢理つかみ、手がちぎれそうになりながら大介君の広い背中を追う。

当然すぐに振り返り、失態に気づいて「ごめんごめん、秋乃、手痛いだろ?」と持ってくれることを期待した。

しかし実際には、彼はチラリと振り返ったものの、さっさと手ぶらで駐車場に向かったのだ。

―すごく重いとは、思わなかったのかも…?

私は驚きながらも、まだ新婚1か月、夫を悪く思うことを反射的に回避した。

しかし、一事が万事、という先人の教えは本当だった。それは真綿で首を絞められるような結婚生活の始まりにすぎなかった。


新婚の秋乃と大介。異常な大介の行動が次第に明らかになり…!?


亭主関白というモラハラ


大介君との出会いは、友人の紹介。カジュアルな「お食事会」だった。

男女双方の幹事がカップルで、それぞれ、結婚に前向き適齢期になった友人のためひと肌脱いで、精鋭を紹介しあおうというものだった。

候補の3人の独身男性の中で、「彼を入れたら、他の二人が可哀想なのでは?」と思うほどに、大介君は体育会系イケメン爽やか男子だった。

おまけに超名門国立大学・大学院を出ていて、学生時代はフェンシング部主将。現在は財閥系大企業勤務というから、当然独身女子3人は彼に群がった。私も含めて。

なんとかアピールしようとしたものの、彼は非常にスマートで、女性ばかりかその場の全員に至極平等に気を配り、爽やかに接していた。

―これは脈、ないなあ。

一緒に参加している女子は、大学時代のクラスメイトで、華やか損保OLとCA。大手とはいえ、地味な通信系企業の総合職の私は、どうも女子力で勝てる気がしなかった。

服装ひとつとっても、昼間打ち合わせがあったこともあってオーソドックスなセットアップの自分と、セレクトショップのマネキンのような二人は、なんだか勝負になっていない。

自分の立ち位置は29歳にもなれば大体わかってるのだ。




ところが、健全に終了したその食事会の帰り道、驚くべきことが起こった。

「秋乃さん、今度食事にお誘いしてもよろしいでしょうか?貴方の好きなもの、教えていただけたらお店予約します。よろしくお願いします!」

なんという直球なお誘い。儀礼的に、全員で交換したLINEだったが、個人的にやりとりするなんて思っていなかった。

初めてのLINEなのに、逃げ道を作らない真摯な物言いに、私は好感を持った。

舞い上がった私は、駆け引きを忘れ、「今週末両方とも空いています!」とすぐに打った。

どういう訳か、直感的に、彼は私のことをすでに選んでくれているのが伝わってきたのだ。

そんな経験は、絶世の美女なんかじゃない私には、初めてのことだった。

それからのデートは、なんと3か月もの間、極めて健全に進んだ。週に1度のペースで会って食事をして、必ず2件目に行ったが、最後はきっちりと送り届けてくれる。

肉体的に接触がなかった分、私たちは出会っていなかった時間を埋めるように、たくさん語りあった。男の人がそんなに熱心に自分の話をきいてくれたのは初めてで、私はただ嬉しくて、そして恋心を深めた。

食事会を開いてくれた女友達のさゆみも、「大介君は、社会人になってから何人か彼女がいたけれど、あの通り超絶優良物件だから彼女がすぐに結婚したがって、理想の高い彼がうんと言わないから別れたみたい」と耳打ちしてくれる。

私もそんな風になるのかなと期待と怯えを入り混じらせていた頃、大介君からついに申し込まれた。

「秋乃こそ、理想の人だよ。付き合ってください。もう俺も32だし、結婚を前提に、真剣な申し込みです」

その頃には大介君が紳士で、誠実で、信用できる人だと分かっていたから、私は嬉しくて泣きながらOKした。

…今、もしも当時の私に忠告できるのならば、伝えたいことはただひとつ。

「隠れモラハラ男は、擦れてなくて、稼げる仕事がある、顔はそこそこ可愛いレベルの妻として便利な女の子を見つけると、神速で近づいてくるんだよ」と。

…見破るのは絶対に不可能だったと、今でも思うけれども。



お付き合いして半年後に婚約、そのさらに半年後に結婚してから、少しずつ、彼の「常識」が私を侵食していった。

彼には確固たる、「理想の女」がいた。母親だ。

彼女はとても苦労して、彼と弟を育てあげたらしい。事業で失敗してやさぐれた父親に代わって大黒柱となり、専業主婦から生命保険の外交員を15年も続けたという。

そして忙しい仕事を言い訳にせず、毎日家事も頑張り、手の込んだ食事を作って、二人の勉強も見たらしい。二人とも最難関大学に合格した。

その無理がたたって早世したのだとしか思えなかったが、とにかく彼の理想の女は母親なのだ。

それと同じ働きを妻に強いるのだと、結婚2年目で早々に出産してから、さすがの呑気な私も気がつき始めた。

やがて、彼の途方もない「注文」が始まった。


歪んだエリート夫の「普通」は、果たして普通なのか?秋乃に突き付けられた要求とは?


注文の多い夫


「秋乃は、絶対に定年まで総合職として働いて。子供は二人がいいね。僕は出世にかかわる残業があるから送迎なんかは全部頼むよ」

「『男子厨房に入るべからず』で育ったから、家事の一切は任せるよ。僕は和食が好きだな」

「ローンは共同にして、生活費や教育費の口座には同額ずつ入れていこう」

「仕事のストレスが多くて、土日は自分の時間が欲しいんだ。自由にさせてくれ」

ひとつひとつは、なんとか自分を納得させることもできた。実際収入は彼のほうが多く、激務なのも間違いなかったから。

大介君の母親が、男子は家事より勉強という信念だったため、彼は全く料理ができなかったし、外面がいいので会社生活は見た目よりも摩耗するらしく、リセットタイムが必要なタイプだった。




しかし、これらすべてが積み重なると、「私が結婚している意味ってなんだろう」と思わずにはいられなかった。

どんなにカッコよくても、収入が良くても、名門大学院出身でも、何かがおかしい。

まだ出産して半年くらいの時、私が風邪をひいて高熱が出たときに、眉をひそめて自分だけ会社の近くのビジネスホテルにさっさと移動した。

病気の時に気遣う言葉もなく、スポーツドリンクひとつ買ってこない男は、決して家族ではない。

そもそも金銭的なことを言えば、家計やローンの負担は収入に比例するべきだと後から気が付いたが、新婚で若かった私はまあいいか、と条件を飲んでしまったのだ。

しかしそのあたりの不安や不満を説明できずに、モヤモヤするばかりの毎日。おそらく、多少問題があっても、生活に不安があるわけでもなく、世間から見れば恵まれたパワーカップルで幸福な母のはずだった。

唯一、私の不安を親身にきいてくれたのは、昔大介君を紹介してくれた女友達のさゆみだった。

さゆみは、当時付き合っていた彼氏とは別れ、色々あったが34歳の今も独身を謳歌している。

そんなさゆみと、たまに有休をとって家事や雑用を済ませる日にランチをするのが私の楽しみだった。彼女はフリーランスでWEBデザイナーをしているので、時間の融通が利く。

「…そんなわけで、もう何のために結婚してるか全然わからない。ここだけの話、寝室も別々なの。子供が起きると、自分も起きちゃうからって追い出されて。私と美奈は子供部屋に布団を敷いて寝てるのよ」

シャンパンを飲みながら、私がため息をつく。さゆみは何も言わずに、うなずきながら話を聞いてくれていた。

「なんで結婚しちゃったんだろう。あんな男だとわかってれば…」

「じゃあ離婚したらいいじゃない。毎回毎回、ここ数年、同じ話ばっかり。可哀想なのは自分だけだと思ってるの?」

その時、それまで黙って話を聞いていたさゆみが、不意に地を這うような声を出した。あまりの変わりように、ほかの人の声かと振り返ったくらいだった。

「え、なに急に…。どういうこと?」

これまで絶対の味方だと思っていたさゆみの、急激な変化に戸惑いを隠せず、おどおどと問いかける。

「独身の私が傍から見てると、夫婦は合わせ鏡だよ。大介も、いつも秋乃のこと言ってる。ほとんど呪ってると言ってもいいわね。

疲れたからってすぐにUberEats。家はいつも荒れ放題で、洗濯物もたたんでない。こどもの情操教育も知育もろくにやらずにアニメ三昧。公園にも連れて行かず、そのくせ英語だプログラミングだ個別指導塾だってやたらに課金して。

自分の稼ぎは中途半端なのに豊洲のブランドタワーマンションに車はハリアーで譲らないから、生活はカツカツだし、そのせいで家事のアウトソースもできない。

美容にだけは熱心で、効果なんて大してないエステや痩身、パーソナルジムに通ってて、隙あらば浮気相手を探してる。自立した隠し事のない夫婦でいようって約束したのに、最近じゃコソコソ怪しいマッチングアプリにも手を出してるって」

私は、さゆみの形のいい唇から発せられる、信じられない言葉を、ぽかんと口を開けてきいていた。次第にそれがさゆみの出まかせではなく、真実であるとわかるにつれて、背中がカッと熱くなる。

「…さゆみは、大介君と、いつそんな話をしてるの?」

「さあ?いつだろう?とにかく皆言ってるわよ。大介もとんだ見栄っ張りのモラハラ妻を嫁にもらったもんだって」

モラハラ妻。

思ってもいなかった言葉に、ガンッと頭を殴られたような衝撃が走る。

―私…!?私がモラハラ妻だっていうの?

友人たちは、かつての私のように、彼の口車に乗せられてるだけなのだろうか?

それとも…。

「たまには他の人の立場に立って物事を考えてみたら?秋乃はどんなバリューを大介君に与えてるの?そして何より、お子さんの立場に立ってみて。そんな両親で可哀想」

いつのまにか、さゆみは膝の上のナプキンと5千円札をテーブルに捨て置き、いなくなっていた。

そういえば彼女の両親は小さいころに離婚したと言っていた。「お子さんの立場に立って」という言葉が余計に胸に刺さる。

…果たして歪んでいるのは、私と夫、どちらだったのか。

「どちらか一方」だったのだろうか?

夫婦は合わせ鏡だと言ったさゆみの言葉だけが、いつまでもぐるぐると頭の中をめぐっていた。

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