政治家がツイートで一般人を口撃していいのか
■「こうした行為は適切でしょうか?」とツイッターで“口撃”
前文部科学大臣の柴山昌彦氏が自身のツイッターでの発言をめぐって物議を醸しています。
騒動は2021年1月の大学入学共通テストから導入される英語民間試験に関すること。2019年9月、文科相だった柴山氏は、英語民間試験の実施団体として「英検」と協定を結んだとツイッターで報告しました。
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これに対し、「高校教員」と「高校3年生」を名乗る人がツイッターで英検に対する不満を述べ合い、教員が「次の選挙ではこの政策を進めている安倍政権に絶対投票しないように周囲の高校生の皆さんにご宣伝ください」と書き込みました。それを受ける形で高3生は「私の通う高校では前回の参院選の際も昼食の時間に政治の話をしていたりしていたのできちんと自分で考えて投票してくれると信じています。今の政権の問題をたくさん話しました。笑」と投稿しました。
柴山氏は教員と高3生のやりとりに対し、「こうした行為は適切でしょうか?」というコメントをつけてツイートしたのです。柴山氏のツイートは話題になり、一部からは「どこが不適切なのか」といった批判が寄せられました。
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■前文科相がこれまで一般市民にしてきたこと
これを受け、柴山氏は9月10日の会見で「高校生の政治談議を規制するつもりはない」と述べました。一方で教員が「安倍政権に投票しないように」とツイッターに書き込んだことは、教育基本法や公職選挙法に反するとの見解を示しています。
こうした一連のやりとりについて、朝日新聞は9月11日付の記事で、旧自治省選挙部長で弁護士の片木淳氏の「高3生のツイートは冷静だし、特定の選挙で特定の候補者の当選を目的とする選挙運動にあたるようなものでもない」というコメントを紹介しています。私も同感です。
実は、この柴山氏をめぐる騒ぎには前段があります。
今年6月、大学入学共通テストにおける英語民間試験の導入に反対する大学教授陣が8000人を超える署名を集め、衆参両院に請願書を提出しました。英語の民間試験導入には、「公平性・公正性」という観点から見過ごすことのできない欠陥があり、その犠牲になるのは高校生たちである、という思いからでした。しかしながら、その訴えは無視されました。
■「サイレントマジョリティは賛成です」という排除の論理
柴山氏は8月19日、自身のツイッターで、「サイレントマジョリティは賛成です」と発言しました。その後の会見では、入試改革の軸である英語の4技能入試についてのツイートであると説明しています。つまり「サイレントマジョリティは賛成です」という発言は、「大学入試改革について批判的なことを口にするのは少数派。もの言わぬ大半の人たちは、みな賛成している」ということを意味するわけです。
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端的に言えば、「批判の声など自分は聞く気はない。声を上げていない大多数は、賛成しているのだから」という論理に受け取ることができます。
そして8月24日、埼玉県知事選で応援演説をしていた同氏に対し、ひとりの大学生が、抗議の声を上げました。大学入学共通テストにおける英語民間試験導入等への反論です。英語民間試験の即時撤回や同氏の辞任などを求めるプラカードを掲げたところ、警察官によって排除されてしまいました。
抗議の方法をめぐっては、ネットなどで賛否両論がみられました。でも、僕は、若者の行動に真摯な思いを感じました。本当に彼は、この国の教育を憂い、是が非でもその思いを文科相に伝えたかったのでしょう。
ところが8月26日、柴山氏はツイッターで、「わめき散らす声は鮮明にその場にいた誰の耳にも届きました」などと応酬したのです。自らを苛烈に批判する言葉であったとしても、政治家が国民の声を「わめき散らす声」と表現するのはいかがなものでしょうか。
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しかも文科相は、8月27日の会見で、「『柴山辞めろ』とかですね、『民間試験撤廃』とかですね、そういうことを大声で怒鳴る声がわーと響いてきたんです」と述べています。こうした言動や姿勢に共通することは何か。それはあからさまな「対話の拒否」です。
■受験生には「対話力」を求め、自分たちは「対話拒否」
少数派の意見にあまり耳を傾けない、といった姿勢は「政治家あるある」であり、今回の柴山氏のような対応も特に珍しいわけではありません。しかし、文科相と文科省がそうした姿勢であることは決して看過できるものではありません。
なぜか。
文科相と文科省は今、「対話」の重要性を現在の高校2年生以下の子供たちに強く求めようとしているからです。2020年度に始まる大学入学共通テストは現在のセンター試験に代わる仕組みで、その柱のひとつが「対話」の重視です。
対話を重視する具体的な教育手法の例として挙げられるのが、アクティブ・ラーニング(以下、ALと表記)です。ALとは、「先生の話を受動的に聞くのではなく、問題に対して、生徒が自分で考えたことをアウトプットするスタイルの授業」。そこでの代表的な方法が、「生徒たちが自らの意見を発表、交換し合い、議論を重ねていく」というものです。
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■前文科相はなぜ「対話的な学び」をしないのか
当初、こうしたALのような学習スタイルに異論を唱える教育関係者は少なくありませんでした。僕もそうです。「そんな勉強やって、何か意味あるの?」と。しかし、僕の出講する予備校でAL型授業を導入してみると「これはアリ! 大いにアリ!」と確信したのです。
僕の指導科目は現代文ですが、この科目においては、「自分がある出題に関してひとつの答えを選び、あるいは作成した理由をしっかりと説明できるようになる」ことが重要なポイントとなります。
AL型授業(5日間完結)の現代文講座では、初日はいい加減な解き方しかできていなかった生徒が、最終日の段階ではそれができるようになったのです。何より目を見張ったのは、「予習の質の格段の向上」でした。初日の予習ではただ単に解いてきただけの生徒が、2日目、3日目あたりから、「自分の解答プロセスをノートにまとめてくる」といった作業ができるようになりました。しかもかなりの精度で。
これらの成果は、間違いなく「対話的な学び」がもたらしたものでしょう。
■「対話の拒否」は民主主義の否定である
繰り返しになりますが、大学入学共通テストは「主体的・対話的で深い学び」の成果を試す試験であるはずです。しかし、今、冒頭で述べた英語民間試験の導入を含む試験内容の決定プロセスにおいて「対話の拒否」が堂々と行われているのです。これこそ自己矛盾の極致ではないでしょうか。せっかくの新しい教育理念を有名無実にしてしまう暴挙です。
9月10日、全国高校長協会は、大学入学共通テストで導入される英語民間試験について、試験の衆知に計画性がなく、詳細が明確になっていないという考えのもと、導入延期と制度の見直しを求める要望書を文科省に提出しました。
しかし、柴山氏は「かえって受験生の地域格差、経済格差が拡大して、大きな混乱を招く」と述べました。切なる要望を容赦なく突っ返したも同然の行為と言えるでしょう。
今回のような政治家による「対話の拒否」は、端的に言って民主主義の否定です。そしてそれは今後、「教育」以外のカテゴリーにも起こる可能性があります。
このたび新しい文科相に、萩生田光一氏が任命されましたが、果たしてどのような考えを持ち、「対話」の精神があるのかないのか、国民は目を光らせていかなければなりません。
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小池 陽慈(こいけ・ようじ)
予備校講師
早稲田大学教育学部国語国文科卒、同大大学院教育学研究科国語教育専攻修士課程中途退学。現在、大学受験予備校河合塾、および河合塾マナビスで現代文を指導。7月末刊行予定の紅野謙介編著『どうする? どうなる? これからの『国語』教育』(幻戯書房)で大学入学共通テストに関するテキストを執筆。
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(予備校講師 小池 陽慈)