「投手陣に謝らないといけないかもしれませんね」

 2016年秋からシティライト岡山の監督を務めている桐山拓也(きりやま・たくや)が、端正な顔をほころばせながら、戦いを振り返った。

 5月末から6月初旬にかけて行なわれた、社会人野球の都市対抗中国地区予選。シティライト岡山は、敗者復活トーナメントを勝ち上がり、中国地区第2代表として都市対抗本大会出場をつかみ取った。2007年の創部以来、幾度もはね返されてきた”悲願”の本大会出場。岡山市からの出場も47年ぶりの快挙だった。


2007年の創部以来、チームを初めて都市対抗へと導いた桐山拓也監督

 第2代表をかけた敗者復活トーナメントは、2試合とも2失点で食い止めて勝利を手繰り寄せた。投手陣の活躍が目立ったが、昨秋、今季に向けたチームが始動した段階での桐山の見立ては”打のチーム”だった。

「(チームのエースである)後藤田崇作を除いて、主戦格で投げていた先発投手たちが昨シーズンで引退しました。最低でも3枚先発投手を揃える必要があるなか、後藤田しか確定していない状況。逆に野手陣は経験のある選手たちが多く残っていたので、計算が立つのではないかと考えながらのスタートでした」

 日本橋学館大(現・開智国際大/千葉)時代、ドラフト候補にも名を連ねた小竹一樹、コーチ兼任のベテラン・谷雄太、主将の丸山高明らの野手陣は粒ぞろい。反面、投手陣に関しては「一昨年、昨年に比べても、どう転ぶかわからない」という状態でスタートを切った。

 先発投手の残り2枠を争わせるなかで、配置転換も行なった。2017年の入社以来、リリーフとして起用していた児山祐斗(元ヤクルト)を先発として調整させたのだ。

「児山は、真っすぐに関してはすばらしいものを持っていました。反面、変化球が大きな課題でもありました。先発として長いイニングを投げようと思うと、球威だけでなく変化球も重要になってくる。成長のきっかけをつかんでくれれば、と思っての先発転向でした」

 児山本人もキャッチボール、ブルペン投球の段階からコースを意識して、変化球の精度向上に取り組んだ。その結果、準優勝した4月のJABA岡山大会で敢闘賞を受賞するなど、飛躍的な成長を見せ、十分に計算できる先発投手になった。

 さらに今春入社した左腕・久保田大智、福岡大時代にプロも注目していた本格派右腕・馬場康一郎にも使える目途が立ち、先発、リリーフ双方の底上げを実現させた。

 迎えた都市対抗中国地区予選。予選リーグを突破し、決勝トーナメントへと駒を進め、JEF西日本と初戦で相まみえた。

 試合は延長14回までもつれる大熱戦となった。2点ビハインドで迎えた9回に追いついたものの、延長で決定打を欠いての敗戦。精神的なダメージも大きい内容に思えるが、桐山に焦りはなかった。

「大会が終わった今だから言えることではありますが、『この試合を落としても大丈夫』とは考えていました。敗者復活トーナメントに回ったとしても、第1戦を後藤田、第2戦(第2代表決定戦)を児山先発で十分戦えると踏んでいたんです。もちろん、JEF戦も勝ちを狙った上で、どちらに転んでも大丈夫だと心構えを持っていました」

 敗者復活トーナメント初戦ではJR西日本を3−2で退け、第2代表決定戦に進出。三菱重工広島との大一番では、児山が粘りの完投勝利で桐山の期待に応えてみせた。優勝決定の瞬間をこう振り返る。

「9回も二死一、二塁のピンチを迎えていて、最後の最後までわからない状況でした。最後のアウトの瞬間はホッとした気持ちが強かったです。選手時代も第2代表決定戦で重工に負けていて、公式戦で勝てたのは今回が初めて。選手たちには本当に感謝しています」

 そして、こう続けた。

「今季に向けて動き出したときは野手のチームと思っているなかで、投手陣が急成長してくれました。それだけでなく、控えの野手たちも本当によくがんばってくれました。代打、代走で残してくれた結果があったから勝てたと思っています。(延長14回の)JFE戦は、ベンチの選手を使い切って、審判の方から『こんなに使って大丈夫か?』と心配されたくらい(苦笑)。全員野球でつかんだ都市対抗であることは間違いありません」

 チームを創部初の都市対抗出場に導いた桐山だが、「自分が監督をやるとはまったく思っていなかった」とも語る。

「最初にお話をいただいたのが、2016年の都市対抗予選が終わった時。『さあ、秋に向けてやるぞ』と思っていたタイミングだったので、まさか監督をやるなんて思ってもいませんでした」

 当時は在籍7年目の29歳。十分に体が動く実感もあり、一度は断りを入れた。

「約3年間コーチを兼任させてもらって、指導のおもしろさを感じていましたが、それ以上に『何とか選手として都市対抗に出場したい』という思いが強かった。『僕以外に適役がいると思います』と、一度はお断りさせていただいたんです」

 それでも桐山の適正を見抜いていた首脳陣はあきらめなかった。何度も話し合いを重ね、最終的に監督就任を受諾。2016年秋から監督を務めることとなった。

 現役続行への思いを強く持っていたが、監督就任と同時に気持ちを切り替えたと話す。

「突然の打診でもあり、自分自身、直前の都市対抗予選が現役最後の試合になるとは思っていませんでした。それでも、監督になったタイミングで気持ちの切り替えはできましたし、今回都市対抗出場を決めてくれて、会社と選手たちには感謝しかありません」

 東海大時代もベンチ入りメンバーとして2度の全国大会出場を経験。今回監督として社会人野球でも全国大会に臨むが、桐山にはひとつの心残りがある。それが、開星高(島根)3年の夏だ。桐山が主将、エース、中軸を任されていた当時の開星は優勝候補筆頭に挙げられていたが、準決勝で敗れ、甲子園出場は叶わなかった。

「あの年、絶対に甲子園に行かなければならなかったと、今でも思っています。大会期間中だけでなく、それまでのところでも、主将としてもっとできることがあったんじゃないか……と悔いがずっと残っています」

 高校時代の恩師である野々村直通には、都市対抗出場が決まった後、電話で報告をしたという。

「野々村先生に報告した時に『ようがんばったなあ』と言っていただけて、すごくうれしかったですね。多くの同級生が高校で野球を終えるなか、縁があって今でも野球に携わることができている。あの夏を取り戻すことはできないですけど、自分が野球に関わっていることを喜んでくれている高校時代の仲間がいることは励みになりますね」

 いよいよ、チームにとっても、桐山にとっても初となる都市対抗が幕を開ける。意気込みと選手たちへの期待をこう語る。

「年初から『全国大会ベスト8』をひとつの目標として掲げてきました。そこを目指して戦っていくなかで、大手企業のチーム相手にも勝つチャンスがあるという実感を得てほしいと思っています。都市対抗という大きな舞台で色々なものを感じて、自信につなげてほしい」

 最後に「これ、言ってもいいのかわからないですけど」と前置きした上で、こう付け加えた。

「今でも、『自分が監督に向いている』と思ったことは一度もないんです。采配の失敗も数えだしたらキリがないくらい。ただ、監督として経験したことをひとつも無駄にしていないとは思っています。選手たちに成長させてもらっている日々ですが、学んだことを次に生かす気持ちを忘れず、本大会にも臨みたいです」

 監督就任4年目の青年監督の下、全員野球でつかんだ夢舞台。発展途上のチームが、予選以上の旋風を巻き起こす。