ボートレース新CM発表会に出席したロバート秋山竜次(左)と馬場裕之、2019年1月(写真:日刊スポーツ新聞社)

ロバート秋山竜次を、最近テレビで見ない日はない。

メディアの調査・分析を行うニホンモニター株式会社が昨年12月に発表した「ニホンモニター2018タレントCM起用社数ランキング」では、男性タレントの中で1位の出川哲朗(14社)に続いて堂々の2位(11社)に輝いている。

なぜ、秋山竜次がこんなに起用されるのだろうか。今回はその理由を、彼の芸の魅力から迫ってみたいと思う。

秋山竜次の独特で、特異な芸風

秋山竜次の本領は「なりきり芸」「憑依(ひょうい)芸」とでも言うべき、独特で特異な芸風だ。


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その集大成が『クリエイターズ・ファイル』シリーズである。

秋山竜次がさまざまな「現代を代表するクリエイター」になりきって、その「クリエイター」が、いかにもインタビューで言いそうなことを語るという企画。

昨年3月に発売された『クリエイターズ・ファイルVol.02〜BOOK&DVD 2枚組スペシャル・セット』(ヨシモトブックス)に収録された「クリエイター」から抜粋する。

・上杉みち:「劇団えんきんほう」所属・子役
・鷲尾ケイゴ:ストリート・カルチャー・スーパーバイザー
・ジ・エマージェンシー:米ロックバンド
・伊吹のり崇:ラーメンウォッチャー/ヌードルブロガー
・宗像“issiy"裕司:ハイバーFM&ラジオパーソナリティ

おわかりいただけるだろうか。このように、いかにもどこかにいそうな「クリエイター」(その一部は、明らかにネタ元がわかる)を設定し、その「クリエイター」の持つ、いかがわしさ・いけすかなさを、必要以上に誇張して提示するという、何ともねじ曲がった笑いを展開するシリーズなのである。

ここで注目すべきは、「『劇団えんきんほう』所属・子役」などの極端な対象を設定する「狂気」と、人気の子役が発しがちな、ある種の臭気を誇張する「悪意」だ。

似たような芸風を持つ芸人として友近がいるが、この「狂気」と「悪意」の2軸において、秋山竜次は、友近を上回る。それどころか、秋山の「狂気」と「悪意」は、デビュー当時のタモリをも想起させる圧倒的なものである。

事実、秋山竜次自身も、その友近との対談「友近×秋山竜次が明かす『クセの強い人を演じるネタの舞台裏』」(AERA dot. 2018年10月14日)において、「『悪意を感じない』ってよく言われるんですけど、ちゃんと見てる? お前のことやってるぜ、ってことありますよ」と語っており、自身の「悪意」に深く意識的なことがわかる。

そんな秋山竜次の「狂気」と「悪意」に満ちた「批評芸」について、筆者が知る限りの最高傑作は、2001年に放送が始まったフジテレビ『はねるのトびら』の初期における傑作コント「グローバルTPS物語」だ。

このコントで秋山竜次は、何とマルチ商法の幹部になりきって、威圧的な喋り方で、追い詰め、謎の物体「グローバルTPS」を売りつけるという、強烈な役回りを見事に演じるのだ。まさに、秋山流「批評芸」の最高峰だった。

ネタとベタ、そこから更に遠い「メタ」の世界

ここで、お笑いを分類する軸として、「ネタ」と「ベタ」を設定する。


(イラスト:筆者作成)

「ネタ」とは、「架空の設定や展開を用いた間接的な笑い」という意味とし、つまりは漫才、コント、落語などの、枠組みを持った笑い。対する「ベタ」は、ここでは「自身の地のキャラに根ざす直接的な笑い」という意味とする。つまりはフリートークなど、「ネタ」の枠組みのないところで生まれる笑いだ。

最近のお笑い芸人のブレイクストーリーは「ネタからベタへ」となる。たとえば『M-1グランプリ』などの「ネタ番組」で脚光を浴び、「ひな壇芸人」などで、徐々に地のキャラを認知させ、最終的に、わざわざ「ネタ」をせずとも、フリートークなどにおける「ベタ」な笑いを提供し、メディアに出続けることをゴールとする流れだ。

この背景には、この10年ほどにおける「ネタ番組」の減少、フリートーク番組の増加があると思うが、加えて「ネタ」を作り続けることのしんどさもあるはずだ。話題に対する瞬発力さえあれば、フリートーク芸人として生き残るほうが、圧倒的に楽だろう。

しかし秋山竜次は、そんな「ネタからベタへ」の流れに完全逆行し、「ネタ」から、さらに地のキャラから遠い「メタ」の世界へ突き進んでいくのだ。

「メタ」の意味合いは、マキタスポーツが『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)で定義している「客観的に、鳥瞰的に、物事を『引いて』見ること」とする。地のキャラという主観に戻るのではなく、「『劇団えんきんほう』所属・子役」などの、自身からいよいよ遠い対象を設定、それを客観的に観察し、「狂気」と「悪意」を込めて「批評」するという「メタ芸」。

そんな秋山竜次のアプローチは、「批評」であるが故、知的でハイコンテクストとなり、大衆受けしにくくなる。その半面、「ネタ」と「ベタ」の間でウロウロする他の芸人との強い差別化となる。また対象への「なりきり」ぶりが過剰な分、外見のインパクトが強烈で、笑いの着火が早い。


(画像:「ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル公式サイト」のトップ画像より)

このような、他の芸人との差別化と、笑いへの着火の早さによって、秋山竜次が、テレビ界で重宝されるのだと分析する。

と、ここまで書いて、秋山竜次と初期のタモリとの間=この平成の30年間にも、強烈な「メタ」芸を体験したような気がして、記憶をたどってみると、こちらもフジテレビで放送された、ある超大物芸人によるお笑い番組が頭に浮かぶのだ。

――『ダウンタウンのごっつええ感じ』。

この、平成初頭の日曜夜に放送されたお笑い番組でのいくつかのコントにおける松本人志は明らかに、「ネタ」を超えた「メタ」の世界に足を踏み入れていた。

代表作を1つ挙げるとすれば、傑作コント「おかんとマー君」だ。当時、筆者のような関西出身者にとって、不良息子「マー君」(浜田雅功)を叱りつける「おかん」(松本人志)には、1970年代の関西の下町における母親像が、演技を超えて、完全に憑依している感じがしたものだ。

それ以外のコントでも、平成初期の、向かうところ敵なし、キレッキレの松本人志は、何度も「メタ芸」を見せていた。そのため、アイドル的な人気も得ながらも、独特なインテリジェンスをも担保することとなり、その結果として、(自称)知識層や見巧者(みごうしゃ)からの高い評価を獲得できたのである。

平成初期ダウンタウンの「メタ芸」のインパクト

さすがに最近の松本人志が「メタ芸」を見せることはないが、それでも「ダウンタウン王朝」が、平成30年間のお笑い界を制覇し続けた要因として、平成初頭における彼らの「メタ芸」インパクトからの残存効果も大きいと見る。

また、本来ならダウンタウンを超えるべき若手芸人の多くが、「ネタからベタへ」の流れに小さくまとまったことや、『はねるのトびら』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』のような、極端なネタが披露できる番組が減ったことも、「ダウンタウン王朝」の永続化に寄与したと思う。

そんな中、時代に逆行する「メタ芸」を、孤立無援の中で追求することで人気を獲得した秋山竜次は、かなりのレアケースと言えるだろう。しかし、この時代環境の中では、秋山が「ダウンタウン王朝」に取って代わる大勢力にはなりにくいとも思う。

それでいいような気がするし、秋山竜次もそこまでは望んでいないはずだ。あちこちのCMで変顔をしながら、少しずつ異物感を振りまき、我々をクスっとさせ、一方『クリエイターズ・ファイル』では、「狂気」と「悪意」を詰め込んだキャラクターを、思いっきり演じ続けてくれれば、ファンとしてはそれで満足ではないか。

そしていつか、筆者のような評論家やライターのいかがわしさを誇張する「メタ芸」を見せてくれれば――。