日本人F1ドライバー誕生のため「シートを用意する」ホンダの本気度
ホンダは本気だ――。日本人F1ドライバーを復活させる、その目標に向かって全力で突き進んでいる。
2017年、ホンダは育成プログラム「HFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)」の一環として、3人の若手ドライバーたちをヨーロッパへと挑戦させる。従来の松下信治(まつした・のぶはる/GP2)、福住仁嶺(ふくずみ・にれい/GP3)に加え、秘蔵っ子ともいえる牧野任祐(まきの・ただすけ/ユーロF3)も送り込み、今季の実績で彼らのなかから2018年にF1昇格を果たさせようというわけだ。
ホンダのドライバーとして2004年のアメリカGPで3位表彰台を獲得した佐藤琢磨「3人にはチャンピオンを獲りにいきなさいと言っています。3人とも獲れるポテンシャルがあるんですから」
ホンダのモータースポーツ活動を統括する、山本雅史モータースポーツ(MS)部長はそう語る。
彼らがF1へと昇格するためには、F1のスーパーライセンスを取得するために課せられている「過去3年間でスーパーライセンスポイント40点」が必要となる。それに照らし合わせれば、松下と牧野にはそれぞれランキング2位以上となれば、その条件をクリアするチャンスがある。
「とにかく、3人ともスーパーライセンスポイントを取ってこいということです。福住には(特例以外では来季F1昇格のチャンスがないので)申し訳ないと思っていますけど、松下と牧野には同じレベルでチャンスがあると思っています」
日本人F1ドライバー誕生を強く願う山本雅史モータースポーツ部長 松下の所属するARTグランプリ(フランス)は昨年からチーム力を落としており、ホンダとしてはGP2王者プレマ・レーシング(イタリア)から参戦させようと画策していたが、果たすことができなかった。それでも「あの最終戦アブダビの勢いでいければ、可能性がないとは思いません」と、山本MS部長は語る。
それでも、ARTの状況を考えると松下ひとりだけに、日本人F1ドライバー誕生を賭けるのはリスクが大きすぎる。そこで、GP2と同レベルのスーパーライセンスポイントが獲得できるユーロF3へ牧野を送り込むことになったのだ。牧野は2015年のFIA-F4でランキング2位、2016年の全日本F3でランキング5位という実績があり、ホンダ勢のなかでは松下や福住より多いスーパーライセンスポイント11点を保有している(松下は3点、福住は6点)。
欧州初挑戦でほとんどのサーキットが初体験となるが、山本MS部長は牧野の活躍に自信を持っている。
「牧野を日本で走らせていたのでは能力を伸ばせないし、もったいないと思って、ヨーロッパへ連れて行こうと決めました。(昨年の全日本F3選手権から今季ユーロF3で)乗り慣れたクルマですし、新しいコースへの順応性も高いし、今はシミュレーターも発達しています。
それに、本当にセンスのいい子って1〜2周で覚えちゃうじゃないですか? だから、欧州初挑戦というのは(牧野も)気にしていなくて、タイヤの感触も『大丈夫です!』ってあっけらかんと言っていましたから。ハイテックGP(イギリス)は若手ドライバーの面倒をたくさん見てきているということもあって、非常にいい環境だと思いましたし、佐藤琢磨がイギリスF3で戦ってそのままF1に行ったときのあの雰囲気に近いものを感じました」
すでにパリで暮らしている松下や福住とは違い、イギリスのシルバーストンに拠点を置くハイテックGPで走る牧野は、オックスフォードに居を構えてモータースポーツの真っ只中で暮らしながら学んでいく。
加えて、HFDPとしても支援体制を強化していく。
「3人同条件でマクラーレンのシミュレーターに乗せるようにしました。我々がマクラーレンに話をして、彼らも日本人ドライバーを育てるということに共感してくれて、応援するよと言ってくれています。松下はけっこう頻繁に乗ってますけど、福住はアブダビの前に無理矢理に行かせてアブダビの練習をさせたり、牧野もすでに昨年末に行って乗ってます。今年もそれは継続するようにお願いしていて、いいよと言ってくれていますね」
昨年までは元F1ドライバーの鈴木亜久里や、ドイツF3やインディカー参戦経験のある松浦孝亮らがアドバイザーを務めてきたが、レース以外の面でもマネジメントや精神面のケアをする人材の配備も検討しているという。
「現地での経験が豊富な人をつけたほうがいいんじゃないかという議論はしています。たとえば、琢磨がイギリスF3からF1へ行った背景にはイギリス人のマネージャー(元レーシングドライバーのアンドリュー・ギルバート=スコット)がいて、そこでいろんなことを教わってメチャクチャ育ったことが大きかったと思うんですよね。今の若手3人にはそれがまだありませんから」
山本MS部長は、かつて自身が全日本カート選手権のトップランカーとして走っていたレーシングドライバーであり、MS部長就任以前は本田技術研究所の技術広報責任者を務めるなど、レースにも技術にも造詣が深い。それだけに、レースをいかに戦うべきかを知っており、そういう人物が指揮を執っているという信頼と安心がスタッフの間にも感じられる。HFDPに限らず、F1までをも含めたホンダのモータースポーツ活動全体がうまく回り始めるだろうと言われているのは、山本MS部長の存在が大きい。
日本のファンが懸念しているのは、スーパーライセンスが取得できたとしても、F1のシートを獲得するためには莫大な持ち込み資金が必要とされ、そんなスポンサーなど存在しないのではないかという点だ。
こうしたF1を取り巻く難しい状況はホンダとしても百も承知で、それを踏まえたうえで日本人F1ドライバー創出のための支援を惜しまない、という強い決意を持っている。
つまり、才能よりも資金の額でシートが決まってしまうのなら、ホンダがパワーユニットを供給することで、その供給先にシートを用意してしまおうというわけだ。
「そこはホンダがやります。ホンダはグローバル企業ではありますが、日本のモータースポーツを盛り上げるという意味では日本人が乗ることはとても大事だと思っています。ですから、彼らががんばるのと同じように、中嶋悟さんがF1に行ったときのように我々もがんばって、日本人が乗れるシートを用意する努力をしなければいけない。それは、彼らの力でどうにかできることではありませんから」
その背景にあるのは、ホンダのアピールや意思表示というよりも、純粋に日本でF1を盛り上げるためには、世界で活躍する日本人ドライバーの存在が必要だということだ。F1活動を取り仕切る長谷川祐介F1総責任者も、「中嶋悟さんがいたり、鈴木亜久里さんがいたり、佐藤琢磨がいたころの盛り上がりは僕も覚えていますし、みなさんだってそういう状況にしたいですよね?」と語る。
エンジン持ち込みでF1に乗るということに対して、批判的な声があることも事実だ。しかし、現状では何の資金力も後ろ盾も持たないドライバーがF1にステップアップすることは、ほぼ不可能に近い。であれば、スーパーライセンスを取得する要件を満たす活躍をしたドライバーがいれば、ホンダはF1への突破口を開く支援をする。あとは、本人がF1で活躍することができれば、エンジン持ち込みだろうが日本人のえこ贔屓だろうが、関係はないのだ。
「もちろん、実力のあるドライバーでなければなりませんし、(スーパーライセンスは)そのドライバー本人の力で勝ち獲ってもらいたいです。ただ、この世界は席が20個しかありませんから、コネを一切否定しますなんてクリーンにはいきません(苦笑)。(シート獲得の方法はどうあれ)結果的にF1の世界で頭角を現してくれれば、やり方はどうでもいいと僕は思っています」(長谷川総責任者)
ホンダのリソースを考えれば、本当はまだ2018年のカスタマー供給には積極的ではないという。マクラーレン・ホンダとして満足のいくものができてもいないのに、まったく同じパワーユニットとはいえ他チームへ供給するとなれば、それだけリソースがそちらに食われてしまうからだ。
それでもカスタマー供給を行ない、日本人F1ドライバー創出のための下地を整えようとしているのだ。
すでに、2018年以降のカスタマー供給に関する話し合いは進んでいる。長谷川総責任者も、山本MS部長も具体名は明かさないが、供給先の候補はフォースインディアとザウバーだとみられている。候補の選定にあたっては、ホンダが推薦する日本人ドライバーの起用が可能であるかどうかも、重要な要素として検討されているという。
「私と長谷川祐介F1総責任者で、昨年の鈴鹿以降にワークス以外の全チームとは一度会って挨拶をしました。それ以降に会って話をしたのはひとつ、ふたつですけど、当然我々も若手ドライバーを応援している立場でもありますから、それ(彼らのためのシート獲得)が重要な要素ですし、そこを睨んだうえで交渉を進めています。実際に契約が成立しているところはまだありませんけどね」
2017年5月末には、翌年以降のパワーユニットが決まっていないチームにはFIAから指定されたパワーユニットメーカーが交渉を義務づけられる。長谷川総責任者は「それよりももっと早い段階で供給先を決めたい」と語る。
つまり順調にいけば、シーズン序盤にはホンダの第2の供給先が決まり、シートが確保されることになる。そうすれば、日本人若手ドライバーたちがF1へと昇格するお膳立てが揃うのだ。
F1への”最後の一歩”を踏み出すのは誰か――。ホンダは本気で、その瞬間を待ち望んでいる。
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