技術は年々上がっていくものですから── 。

 プロ生活20年。その重みを感じさせないほどさらりと、鈴木尚広は口にした。

「代走のスペシャリスト」と呼ばれ、プロ通算228盗塁。盗塁成功率.829は200盗塁以上を記録した選手のなかで歴代トップだ。培ってきた技術によって、体の使い方は年々深みを増していった。鈴木は「エコでしょうね」と言って笑う。

「無駄のないエネルギーを使えるようになったので、疲労も少なくなったし、ケガすることも少なかったし、自分のなかでいいエネルギーのサイクルがあったと思います」

 技術、身体ともに円熟の域に達しており、衰えるどころか向上している。2016年はレギュラーシーンで10回盗塁を試みて、そのすべてで成功している。それなのに、なぜ、鈴木尚広は今シーズン限りでジャイアンツのユニフォームを脱ぐという決断をしたのだろうか。

 10月13日。引退記者会見の場で、鈴木はこんな言葉を口にしている。

「心が離れていった」

 引退表明から2カ月が経ったいま、あらためてその真意を聞いてみた。

「準備し続けることは正直言って大変なことですからね......。そういうことに対する『心の疲労』が出てきたのかなと思います。自分が出るか出ないかという立場の選手ということはわかっていても、準備することの難しさは常に感じていました」

 すでに広く知られていることだが、鈴木はシーズン中、試合開始の7時間前に球場入りして、入念な準備をしていた。「東京ドームの警備員さんには迷惑をかけました」と本人が笑うように、照明の落ちた誰もいないスタジアムで独自の調整を重ねていたのだ。

 試合中もゲーム展開に目を配りながら、終盤に迎えるであろう自分の出番に備える。東京ドームのダッグアウト裏には、鈴木が調整できるように人工芝の走路が用意されていたほどだ。

 試合前、試合中を通じて9時間かけて準備をして、出番は一瞬。しかも、これだけ準備を重ねても出番がない日もあるのだ。

 ひとたび「代走・鈴木」がコールされれば、ジャイアンツ応援席からその日一番の大歓声が送られ、一挙手一投足を追いかけられる。もちろんファンの声援は大きなモチベーションになったが、鈴木は年々自分の心にずしりとのしかかるものを感じていた。

「足にスランプはない」という言葉を耳にすることがある。しかし、その言葉に鈴木は懐疑的な見方をしている。

「打つこと、投げること、走ること、何をやっても『感覚のズレ』は生じます。ズレの原因は疲労であったり、メンタルであったり、さまざまあるでしょう。『足にスランプはない』というのは、『全力疾走はできる』という意味ならわかりますけど、どのレベルを指しているのかな? と思いますね」

 打者なら10打席立って3本打てば「一流」と言われる。先発投手なら6イニングを投げて自責点を3以内に収めれば「クオリティ・スタート」と評価される。しかし、鈴木の仕事は「100パーセント成功して当たり前」という目で見られてしまう。鈴木は「想像以上にプレッシャーはありました」と明かす。

 10月10日。クライマックスシリーズ・DeNA戦で「事件」は起きた。代走に起用された鈴木は、DeNAの中継ぎ左腕・田中健二朗の一塁牽制に一瞬飛び出してしまい、タッチアウトを喫した。これが、鈴木の現役最後のプレーになった。

 なぜ鈴木は失敗したのか。田中の右足が上がった瞬間、鈴木は何を思い、何を見て、どのように反応してアウトになったのか。だが、鈴木はこのシーンを「言葉では説明できない」と言う。

「考えれば考えるほど、体は動けなくなるものなんです。一度リードを取ったら、もう考えて動くのではなく、反応するだけ。だから準備するんです。いい反応ができるように準備して、動きの引き出しを増やして、試合に入れば考えない。あとは自分を信じてやるだけですから。このときは、自分の体の反応が凶と出た。心・技・体すべてが整っていないと成功できない。そのかげりが見えたということでしょう」

 充実する技・体とはうらはらに、疲労が積み重なっていた心。心・技・体のバランスが崩れたことを感じた鈴木は、ユニフォームを脱ぐ決意を固めたのだった。

 20年間の現役生活のなかでは、さまざまな出来事があった。プロ2年目には二軍で盗塁0、盗塁刺(とうるいし)6と深い絶望を味わった年もあった。地面に足を着くのも痛いほどのアキレス腱痛が、一軍に昇格したとたんにピタリと消えた「不思議体験」もあった。そんななかでも「最大のピンチ」と言えるのは2013年のシーズンだろう。

 この年、鈴木は足首の骨折を隠しながらプレーしていたのだ。

「6月の広島戦で、本塁でのクロスプレーでキャッチャーのブロックが足首にのしかかって、次の日にパンパンに腫れ上がったんです。腫れは少ししたら引いたのですが、数週間後にまた腫れてきた。たとえるなら虫歯の痛みが足に来て、常に続いているような感じ。病院に行ったらやっぱり骨折していて、手術を勧められたんですけど、僕は『手術をしたら終わり』と思っていました」

 そして鈴木は覚悟を決める。「やりながら治そう」と。テーピングをグルグル巻いて足首を固定し、スライディング後に襲われる激痛にも耐えた。鈴木はチームの井端弘和コーチから「先生」と呼ばれるほど体の使い方を追求してきた選手だが、この年ばかりは「体の使い方がどうとか、そんなこと考えられなかった」という。

 この年、巨人は日本一こそ逃したものの、リーグ優勝を飾った。そして鈴木はシーズン通して80試合に出場し、13盗塁(3盗塁刺)を記録している。鈴木の好きな言葉である「武士は食わねど高楊枝」を体現してみせた年だった。シーズン終了後、再び病院でレントゲン写真を撮ると、骨折は完治していたという。

 骨折を隠し通してまで、鈴木が走り続けた理由は何だったのだろう。前述した歴代トップの盗塁成功率についても「気づいたら1位なんだな......という感じで、喜んでもらうのはファンやお世話になった方々ですから」と記録に執着することもなかった。

 鈴木はしみじみと、一語一語を噛み締めるように言った。

「チームとして結果を残すこと。チームに求められる存在になって、チームが勝つということに一番のモチベーションを感じていました。あとは自分の役割を果たすために、常に真摯に取り組むだけ。その意味でも、ファンのみなさんの大きな声援は自分のモチベーションを上げてくれました」

 引退した今も週に1度はトレーニング施設で体を動かしているという。その理由を聞くと、鈴木はきっぱりとこう答えた。

「これから、いろんなことを伝えていく人間になりたいと思っているので。それには自分が動けないと説得力がないかな 

 引退後、鈴木は「ポスト鈴木尚広は誰か?」と問われることが多くなった。だが、具体的な人物名を挙げることはしない。決まって「まずは足を武器にしてレギュラーを目指してほしい」と語っている。その鈴木の言葉には、あらためて代走専門プレーヤーの難しさと、「自分の代わりはいない」という強い矜持が潜んでいるように感じられた。

 鈴木尚広の代わりはいない。だが、いつか鈴木尚広の教えを受け継いだ者がダイヤモンドをところ狭しと駆け回る日はきっと来るだろう。

菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro