純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

写真拡大

 こういう事件があると、学校が悪い、ということにするのが一番かんたん。万引をしたのか、同姓の別人と間違えられたのか、ガラスを割っただけなのか、よくわからないが、だれにせよ、この学校には、万引事件を起こすような学生がいる、という点は事実のようだ。


 ずいぶん前、同業者の知人(法学部教授)から、夜中に突然、相談の電話があった。自分のところの学生が警察に拘引され、大騒ぎになっている、と。強姦事件の現行犯で、現場で逮捕された。だが、実際に強姦をやらかしたのは、他大学の連中。彼のところの学生は、連中の知人で、逮捕のときは店の外にいた。しかし、警察としては、その学生も共犯者で、見張りをしながら、順番待ちをしていた、とみなされた。もちろん、本人は、店の中のことは、自分は関係ない、と言っている。だが、被害者からすれば、彼もまた悪仲間で、完全な強姦犯の一味。刑事、民事で面倒な裁判になるだろうが、結論が出るまで、そうとうに時間がかかる。それまで、大学としてその学生をどうしたらいいか。


 そんなこと聞かれても、法学でもわからんことが、哲学なんかにわかるものか。せいぜい言えるのは、そんな連中と関わっているから、面倒に巻き込まれる、くらいか。麻薬だの、賭博だの、不倫だの、賄賂だの、近頃、どうなっているのやら。有名なスポーツ選手やタレント、政治家が、ヤクザやチンピラ、どうみても怪しい男や女と写っている写真がゴロゴロ出てくる。やったか、やらないか、真相なんか、当事者でもないし、警察でも、文春でもないのだから、わかるわけがない。だが、写真が合成でない以上、付き合いがあったことは事実だろう。実際にやろうと、やるまいと、そんな連中と付き合っているというだけで、やっぱりロクなモンじゃないよな、と思う。


 顔が広い、付き合いがいい、人脈を持っている、というと、あたかも良いことのようだが、『論語』に孔子いわく、皆に愛される者より、善人に愛され、悪人に嫌われる者が勝る、と。来る者、拒まず、去る者、追わず、なんて、やっていると、ほかで排除された妙な連中ばかりが寄ってくる。そして、悪貨は良貨を駆逐する。妙な連中に取り巻かれて悦に入っている者の周囲からは、潮が引くようにまともな連中は離れていく。そして、朱に交われば赤くなる。この言葉も、まず良い意味では使われまい。


 春から生活が変わる、という人も多いだろう。だが、最初が肝心。そこでしくじると、ヘタをすれば一生が闇。だが逆に、一生に二度とない貴重なチャンスともなる。よくよく自分を振り返り、自分もああなりたいと思うような仲間たちの中に入れてもらって、学ばせてもらえば、知らなかった世界への扉も開ける。とくに先輩や先生は、よく選ぼう。数年でも、先輩はだてに先に生まれて、長く生きてきているわけではない。まして、先生は、数多くの学生たちを見てきている。


 私も、学校では相性の悪い先生方も少なくなった。進路指導で散々に言っていたのに全国模試で三位だったとたんに手の平を返してきた先生もいた。その一方、知らない間に私の絵をユネスコに送って賞を取らせてくれた先生、他のクラスの担任だったのに、私の夏休みの自由研究を見て、科学コンテストに出させてくれた先生もいた。


 さて、かの事件だが、ろくな学校でないのは確かだし、おまけに不運と不幸が重なって、結末には同情を禁じ得ない。だが、世の中は理不尽だ。XXが悪い、などと後から言ったところで、だれも悔い改めたりしないし、同じようなことは、かならずどこかでまた繰り返される。残念ながら、人生にはこういう致命的な誤解もあるのだ。だからこそ、事前予防と攻勢準備が肝心。学校や友人はよく選ぼう。そして、担任であろうとなかろうと、上司であろうとなかろうと、自分が心から信頼できる良い先生、良い先輩を見つけて、指導を仰ぎ、なんでも相談して、本当に困ったときには本気で助けてもらおう。そのためにも、けっして嫌な連中の推薦になど頼らず、良い友人、良い先輩、良い先生の方から自分を見出してもらえるように、まず自分自身が自力でがんばろう。これは、人ごとではない。君の問題だ。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)