木村清(きむら・きよし)1952年、千葉県生まれ。中学を卒業後、68年航空自衛隊入隊。73年退官、大洋漁業系列の新洋商事に勤務、同時に中央大学法学部通信教育課程を受講。79年独立し木村商店創業。85年喜代村設立。2001年すしざんまい本店開店。

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■腕立て1000回、軍歌30番

4歳のとき父が亡くなり、恵まれた生活から一転、苦しい家計の中で育った私ですが、戦闘機のパイロットになるという夢を叶えるため、中学を卒業後、航空自衛隊に入りました。

自衛隊では、まず体力強化に取り組まされます。入って1カ月半で腕立て伏せを1000回できるようになりました。途中でお腹が付いたらやり直し。100人のうち1人でも駄目だったら全員やり直し。3カ月の訓練期間が終わる頃には、15〜6歳の少年が顔つきも体格も大人のようになります。

同時に、歌を覚えさせられます。1番から30番ぐらいまである、初めて聴く歌。軍歌です。それを、夜の就寝時間帯の前に先輩が1回だけ歌う。その歌を耳だけで全部覚えなければいけないのです。毎日少しずつ覚えていくのですが、歌えないと走らされます。1.5キロのダッシュ。遅いと「もう1回ッ」で、5回は走らされます。クタクタになって倒れ込んで泥水さえ飲みたくなるような状態でした。

こんな生活を3カ月ぐらい続けていたら、あるとき、先輩が歌った歌が曲も歌詞も全部、走馬灯のように頭に浮かんでくるようになりました。

人間は極限状態になると、ものすごい力が湧いてくるのだと、そのとき感じたものです。

頭で覚えようとしないで体で受けとめれば見えてくるものがある、ということでもあると思います。

それと関係あるかもしれませんが、私は1人で商売を立ち上げてからも電話帳や住所録は持たず、スケジュール帳も利用したことがありません。

電話をするにしても請求書を書くにしても、何百という相手の番号や住所や名前が全部頭の中に入っていて、何も見ずに済んだからです。取引先との話の内容などもメモは取らず、「よく覚えているな」と驚かれたものです。もっとも、秘書を設けて周囲にも私の予定を把握しておいてもらう必要が生じ、電話も短縮で登録できるようになった最近は、すっかり覚えが悪くなりましたが(笑)。

ビジネスで海外に行く機会も多いのですが、まったく知らない言語でも現地に3日もいれば喋れるようになります。語学はとくに学んだこともなく、むしろ苦手なのですが、追い込まれた状況になれば、必死に頭が働くということでしょうか。英語でも何語でも、その世界に放り込まれれば、人間、喋れるようになってしまうものです。

本も、私は読み返すということはしません。2回、3回と読み返すつもりで読んでいては、何回読んだところで覚えられません。「1回限り」という思いで読むから頭に入るのでしょう。

中学時代、私は担任の先生に「おまえはカンニングでもしているのじゃないか」と言われたことがあります。3年生の進路面接のときでした。5科目試験で学年トップになったんです。

私は数学と並んで物理・化学が好き。小学生の頃は雷や電気に興味があって、雷が鳴るとその方向に走り出すような子供でした。母親にはずいぶん叱られましたが、今でも原子や分子、量子、素粒子、クォークなどに関する本を好んで読みます。

でも、当時は家庭が貧しく、小学校2年のときから新聞配達その他、いろいろ家庭のために仕事をしているというわが家の事情を担任も知っていたので、「勉強している時間などないだろう。いったいいつ勉強しているのだ。カンニングでも……」ということになったわけです。教員室でも噂になったようです。ギリギリの状況で集中力を高めるという私の学び方は、すでにこのときからなのかもしれません。

■原理原則を知るのは楽しい

ところで、戦闘機のパイロットになるために入った航空自衛隊ですが、通信兵としての採用だったと後から知りました。このままでは夢が叶いません。パイロットになるには大学に入学し、航空機の操縦学生になる必要がありました。

高校の授業は埼玉県・浦和高校の通信課程を受講していましたが、卒業まで4年かかるというので、より早く資格を得ようと教育課程を2年半で習得して大検(大学入学資格検定)を受けました。結果は合格。しかし、交通事故で目を怪我した影響で目の調整力が低下。パイロットになる夢はあきらめざるを得ませんでした。

結局、5年9カ月で自衛隊を退官したのですが、その後、「日本で一番難しい試験に挑戦してやろう」と司法試験受験を決意、中央大学法学部の通信教育課程を受講し始めたのです。入学金や当初の学資は退職金で賄い、その後は各種のアルバイトです。

その中の一つだった水産会社での冷凍食品の営業。それが現在のビジネスへと結びついたわけです。商売の面白さを知った私は、大学は卒業したものの、方向転換してビジネスの道を選びました。

こんな“学生時代”を送ってきた私は、簿記会計などについても格別勉強した経験はありません。ただ、現在でも決算書は5分で読み切ります。

提出された書類を見て、すぐさま「ここは間違っているよ」と指摘。経理の責任者が1カ月がかりで作り上げたものを、たった5分、目を通しただけで誤りを指摘するのですから、担当者は「そんなはずはない」という顔つき。でも、検証してみれば間違っているとすぐわかります。

数字を頭だけで見るのではなく、仕事を通じて得た実感で見るから、ここはちょっと変だと感じ取れるのです。儲かったか儲かってないか、どこに金が、どれだけあるか。もっと在庫は少ないはずだ、現金・預金の数字が少なすぎる……などと私が指摘すると、発送済み商品を在庫にしたままでしたとか、保証金をまだ返却してもらっていませんでしたなどと、決算書類の間違いが判明します。

数字は“現場から出てくる”。だから“現場に教えてもらう”のです。自衛隊時代に体を通して歌を覚えたこととも通じるかもしれませんが、私は自分の体にしみ込んでいる体感で数字を見ているのです。

同時に、私はもともと数学や物理・化学のように物ごとの原理原則を理解したいタチ。一見複雑な決算書類も同じで、原理を知れば少しも難しくはありません。原理原則を知るのは楽しいですね。

(小山唯史=構成 小原孝博=撮影)