なぜメガネをかけたヤンキーはいないのだろうか

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毎年、成人の日になると、各地の成人式の様子がネットで話題となる。私の出身地である、福岡県北九州市は特にすごい。金髪のリーゼントにド派手な袴を着た若者たちの写真には、思わず「はんぱねー」という声を漏らしてしまった。

北九州市は、ネットで「修羅の国」なんて揶揄されている通り、ヤンキーはやたらと多い。私が中高生だった2000年代前半は、彼らは一様に金髪で、スエットやセットアップを身にまとい、仲間と周囲を睨みながら歩いていた。そして夜になるとバイクで県道を爆走したり、夜のコンビニやドンキホーテ前で騒ぐのだ。最近では短髪にサングラス、ブランド物の細いジャージを着た人もいる。首都圏の不良はまた違うのだろうが、私の地元では今でもこういったスタイルが多い。

地元に住んでいた間、結構な数のヤンキーを目にしたと思う。しかしどういうわけか「メガネをかけたヤンキー」は一度も見たことがなかった。もしかしたら、運転の際などにはかけているのかもしれないが、常用している人いなかったように思う。昼夜問わず、サングラスをかけている人は多かったけれど。ヤンキーでも目の悪い人もいるだろうに、なぜだろうか?

そこで、昔は悪かったという地元の友人Kに、「なんでヤンキーってメガネかけとる人おらんの?」と聞いてみたところ、
「黒板の文字とか見らんけん、視力が落ちても気づかんのやない? それか常に目を細めてガンつけとるけん焦点が定まるんかも(笑) 」
という、身も蓋もない回答をいただいた。正直、あまりこれといった理由もなさそうである。ちなみにこの友人とその周りは、みんな目が良くメガネが必要なかったとのことだった。

うーん、元ヤンキー本人に聞いても判明せず。謎は深まるばかりである。私はヤンキーファッションのルーツや彼らの生活を調べ、そこから理由を探ってみることにした。

「とにかく悪く見せる」ヤンキーファッション
ヤンキーの服装は、何かと異端である。80年代に全盛期を迎えたヤンキーファッションは、改造学生服にリーゼント、私服は作業着や派手なアロハシャツとサングラスというスタイルだった。書籍『ヤンキー文化論序説』(五十嵐太郎編著)によると、これらのファッションは「不良のシンボルをごちゃまぜに組み合わせ発展した」ものらしい。例えばリーゼントやサングラスはアメリカ文化で、改造学生服は反学校文化、作業着は労働者文化の象徴である。ヤンキーファッションはこういったさまざまなカルチャーや人々の“悪そう”な部分をとにかくぶちこんで出来上がっている。現在でも卒業式や成人式などのイベントで、ド派手な改造学生服やリーゼントを見ることがある。80年代ヤンキーファッションは、いまだに“正装”として継承されているようだ。

近年では、時代変化から“とにかく反発・反抗”、という風潮も少なくなり、ヤンキーの普段着も派手ではなくなっている。数年前からは、“黒と悪”をテーマとした、短髪に日焼け肌、服装は黒を基調としたジャージなどを着用する「悪羅悪羅系」が、新たなヤンキーファッションとして提案されている。どんなに時代が流れても、ヤンキーの「できるだけ悪く・強く見せたい」という思いは一貫しているのだ。よって「勤勉・真面目」の象徴とされるメガネには、入り込む余地はなさそうである。

ヤンキーは目が悪くなっても困らないor悪くなる生活をしない?
しかし、ヤンキーの日常生活を垣間見ると、メガネをあえて避けているのではなく、別に必要ないから使っていないだけなんじゃないかとも思えてくる。

まず、ヤンキーは学校に来ない。たまに来たところで、授業はほとんど聞いていない。中高生の多くは、黒板の文字が見えにくくなったことで視力低下に気づく。そしてメガネやコンタクトを使うようになる。しかしヤンキーは学校に来ないし、来ても授業なんて聞いていない。だから目が悪くなったことにあまり気づかないし、少々目を悪くしたところでそんなに困らないのではないだろうか。

しかし、学校に行かなければ、時間が有り余っているはずである。ヤンキーは日中、何をして過ごしているのだろうか。
私は、再び友人Kに、「そういえばヤンキー時代、毎日何しよったん?」と聞いてみた。すると
「いや〜特に何もしよらんかったばい?(笑) 金ないしとりあえず外でうろうろしとるだけ。誰かの家とか、コンビニの前とかにたまり場があって、とりあえずいつもそこに集っとる。ヤンキーは縄張り意識強いけんさ、ブラブラしたり集ったりしてパトロールしとるんよ。あとは知り合いの土方のバイト手伝ったりしとる人も多かったかな」
との答えが返ってきた。

毎日適当に集まって、ぶらぶらする。ゲーセンもよく溜まり場になっているが、ゲームをするというよりだべっている。肉体労働で汗を流す。時々喧嘩とかする。つまり、基本的に他人と一緒に過ごしているのだ。家にこもって、1人でテレビやPCを見たり、黙々と何かをやるということをあまりしないようだ。彼らを書店で見かけることはほとんどないことからも、読書の習慣もあまりないと考えていいだろう。視力低下の大きな原因となるのは、読書やゲーム、ネットだとか、近くのものを長い時間見続ける行為である。つまり、彼らは視力を下げる行動をあまり取っていないのである。

もちろん、目の良し悪しは遺伝が大きいのだが、視力低下の大きな原因として、読書やゲーム、ネットだとか、近くのものを長い時間見続ける行為が挙げられる。彼らはいずれにも親しんでいないせいで、あまり目が悪くならないとも考えられる。だから友人Kが最初に言った「目が悪くなったことに気づかない」「みんな目がよかった」というのも、身も蓋もないようでいて、あながち間違いでもないように思えてくる。

結局、ヤンキーにメガネは「そんなに必要ない」
私は、ヤンキーがメガネをかけない理由を知るべく、書籍や元ヤンの声から色々と調べてみた。結局わかったのは、ヤンキーは「メガネを必要としない」傾向があるということだ。彼らはとにかく「悪そう」でなければならないので、メガネをかけて真面目そうな風貌になってはいけない。授業で遠くの文字を見なければならないこともないので、少しくらい視力が下がってもなんとかなる。

しかしこれはあくまで傾向で、ヤンキーだって体質は千差万別である。裸眼では生きていけないレベルの強度近視に悩む人もいるだろう。というわけで、もし読者の皆さまに「ヤンキーだけど目が悪いよ」という方がいましたら、いつもメガネをかけているのか、またはコンタクトを装着した上でのサングラスなのか、こっそり私に教えて下さい。
(富下夏美)

【参考文献】
ヤンキー文化論序説』五十嵐太郎編著/河出書房新社
ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』難波功士著/光文社新書

※当記事は筆者の経験・主観に基づくテーマを元にしているため、事実と異なる場合もあるということをご了承下さい。