まず、お知らせをひとつ。元旦の夜、11時10分からNHK BS―1で放送される「新BSディベート」に出演します。討論のお題は「どう戦う日本 勝利への道」。7月に放送された前回は、50分の通常枠でしたが、今回はなんと2時間50分。出席者は他に、山本昌邦さん、北沢豪さん、日々野克彦さん、ジローラモさん、後藤健生さん。海外からも、フィリップ・トルシエ!さんをはじめ、一流の評論家やジャーナリストが参加する予定です。お楽しみに。

ディベートがどんな形で進行していくかは、神のみぞ知るわけだが、僕が良いなと思うのは、議論のテーブルに外国人が加わることだ。国際色が豊かであるところに、健全さというか、面白みを感じる。

この話題は、すでにいろんなところで議論されているが、僕の知る限り、国際色は豊かではない。相手の視点がない中で行われている。カメルーン、オランダ、デンマークの事情にあまり精通していなさそうな人たちだけで、日本代表の可能性について述べているのだ。話の中身は、どうしても内に向く。「鳥の眼」を欠いた、日本の事情をメインに、議論は進行していく。

日本は昔に比べて強くなっているとか、日本のレベルはジーコジャパンの時より上だとか、日本の過去と比較した話になりがちだ。だから日本は大丈夫。行けるかもしれない。これまでのサッカーに磨きを掛けていけば、勝てるかも知れない的な方向に、話が流れていったとすれば困りものだ。

日本は成長しているに決まっているのだ。4年前、8年前、12年前の日本代表の試合を見れば一目瞭然。岡田ジャパンだって成長している。しかしだからといって、世界的な偏差値が上がったわけではない。他国もまた成長しているのだ。

試合をこなせばこなすほど、選手間の息は合う。必然コンビネーションは向上する。サッカーの質も、レベルも、上がる。そう考えるのが自然だ。問われているのは「鳥の眼」で眺めたときどうなのか、だ。

世界のサッカーは、日進月歩している。4年前、8年前、12年前のワールドカップのビデオに目を凝らせば、これまた一目瞭然になる。チャンピオンズリーグにも同じことが言える。レベルはますます上がっている。毎シーズン「世界記録」は更新され続けているのだ。

そこに僕はサッカーの素晴らしさを感じる。いつかもこのブログで書いたけれど、この職業に長く就いていると、「昔は良かった」と、ついベテラン風を吹かしたくなるものだが、そうした気持ちに襲われたことはない。レベルだけではない。エンタメ性もマックス値を更新している。

そうした中で、2010年ワールドカップは開催されるわけだ。岡田ジャパンが「日本記録」を更新しても、他国も、国内記録を更新している可能性は高い。問題は世界記録との差だ。それが詰まっているのか否かである。そしてそれを推し量るのが「鳥の眼」であり、平衡感覚だ。日本に有利な材料をできうる限り引っ張り出し、行ける!と言っては、ワールドカップは戦えない。まず、知るべきは、相手も頑張っているという事実だ。努力し、成長しようと躍起になっている。これを認めることだ。

UEFAはこの最近、「リスペクト」なる言葉を標語に掲げている。これはサポーターに向けてた言葉になるが、サッカー的にも当てはまる。成長するためには、まず相手を尊重すること。その強そうに見える相手を、どのようにしたらこらしめられるか。思考回路はこうであるべきだ。アイディアや工夫は、そうした状況から生まれるものだと僕は確信している。

戦後の動乱期から急成長を遂げた日本が、おそらくそうだったのだと思う。国民がこれはマズイと必死になったからこそ、日本は先進国の仲間入りができたのではないだろうか。

はたしていま日本のサッカー界は、必死になっているだろうか。サッカー偏差値アップを目指し、徹夜で猛勉強に励んでいるだろうか。世界記録に一歩でも近づこうと、躍起になっているだろうか。少なくとも僕には伝わってこない。肝心のメディアにも、その演出はできていない。このくらいやっておけば、大丈夫だろうと楽観を装っているのか、本音なのか、定かではないが、ともかく、2009年の師走を迎えた日本のサッカー界に「やばい」というムードが感じられないことは確か。大いなる不満を抱きながら僕は年を越すつもりだ。

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