Jリーグ開幕を前に、スペシャルレフェリー(以下:SR)が長期で合宿を行うというのを耳にした。短期ならシーズン中に行われているのは知っていたが、長期で合宿とは何をするのか。検討もつかなかったが、それは当然だった。というのも、長期合宿は今回が初の試みだったからだ。

 主審というものを、肌で感じてみたくて、キャンプ地である宮崎まで取材に行った。

 取材で出会ったSRたちは、TVに映し出される険しい表情とはまったく違った。キビキビした機械的な話し方など一切ない。トレーニング相手となった鵬翔高校のサッカー部の生徒たちとも、まるで兄弟のようにじゃれ合う。試合の中での彼らの表情しか知らない自分にとってこの雰囲気はすごく意外であったし、審判も人間なのだなと、当たり前のことが最初の発見だった。

 そんな、おだやかな表情から伝わってくる思い。それは、良いゲームを作りたい、主役は選手ということにつきる。

 例えば、以前、ある監督が試合後の会見にて、警告を2枚受けて退場した選手が、試合前から審判に気をつけなさいと言われていたんだと不満そうに話したことがある。審判側としては、先に注意を与えることで、カッとなったときに注意を思い出して、収まってほしいという思いがある。それにより、無駄な警告をなくし、スムーズに試合を進ませたいのだ。

 だから、逆に何で分かってくれないんだという思いが審判側にあるのかと思った。しかし、「選手が脅しと感じるならばやらない方がいいと思います。ただ、先に注意を受けたことに感謝されることもあるのです。言う、言わないではなく、選手と良い信頼関係を築けるかどうかだと思います」(トップレフェリー・インストラクター:上川徹氏)と、一切不満の言葉は出てこなかった。主観は自分ではなく、選手。その選手との関係は、押し付けではいけないとも付け加える。

 そんなSRたちの練習を、当然ながら主審の付近には近づけないものの、フィールドの中に入り間近で見ることができた。TVやスタンドではなく、同じフィールドに立つと、そこからの光景は想像以上だった。
 攻撃陣が右サイドでボールをポゼッションしているときに、中でFWとCBがポジション争いを始める。このときどういうポジションを取るべきかという、シチュエーショントレーニングがあったが、サイドと中央の、両方を見るのは不可能だと感じた。

 私が目を右サイドに移した瞬間に、中央ではもう人が倒れている。客観的に外から見ているにも関わらず、何が起こったかまったく見えない。倒れているという結果だけを見ればファウルなのだろうが、実際はそうではない。ファウルもあれば、シミュレーションもある。疑心暗鬼に陥ってくるのだ。

 そんな困難な状況にもかかわらず、審判はお手上げにはならない。見えないことをなくすポジショニングを掴むため、同様のトレーニングが様々な形で続けられていく。さらに、「8つの目で見えないことをなくしていきます」と上川氏が言うように、主審と副審、さらに第四審判の4人の目でチェックしていくことも追求しているという。

 それでも、見えないことはある。私も試しにサイドラインに立ち、審判気分を味わってみた。当然、選手のスピードに追いつけない。もちろん、Jリーグの審判たちはそんなことはないだろうが、それでも副審はラインを見るだけで精一杯だろう。DFとの駆け引きから飛び出すFWに追いつくのは容易でないはずだ。

 しかし、主審がボールのあるところを見て、副審はオフサイドラインを見る。さらに第四審判がフォローする。こうすれば理論上、プレーに対するジャッジは、審判が技術を上げていけば対応できることになる。

 しかし、悲しいが、意図的に見えないところで悪質なファウルをする選手もいる。そして、審判にはブーイングが送られる。それは仕方のないことなのかもしれないが、ただ一つ、忘れてはいけないのは、悪いのは審判に見えないところで悪質なファウルをした選手だということだ。

 今回審判たちの努力を間近で取材して、彼らも選手と変わらない人間であり、いかに良い試合をするかを常に考えていることがよくわかった。審判と選手が良い信頼関係を築くためには、審判は選手の気持ちを考え、そして、選手もそんな審判の気持ちをくまなければならない。

「互いにフェアに」

 審判を肌で感じ、審判と選手の関係で必要なものは何か、いきついたのはこの言葉だった。(了)

著者プロフィール
石井紘人(いしい はやと)
某大手ホテルに就職するもサッカーが忘れられず退社し、審判・コーチの資格を取得。現場の視点で書き、Jリーグの「楽しさ」を伝えていくことを信条とする。週刊サッカーダイジェスト、Football Weeklyなどに寄稿している。