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任天堂からプレイステーションが発売される予定だったことを皆さんはご存じだろうか?

これは、ジョークでもネタニュースではない。ゲーム業界の事情通であれば、誰もが周知のゲーム史を変えた事実なのだ。

スーパーファミコンが発売された1990年11月21日、同時発売された『F-ZERO』を皮切りに、ゲーム業界は任天堂の一人勝ち状態が続いた。しかし任天堂はその状態に甘んじることなく、ソニーとの共同開発として、プレイステーションの開発を進めていたのだ。つまり、プレイステーションは任天堂のハードとして発売される予定だったのである(以下、便宜上“任天堂プレイステシーョン”と呼ぶ)。

今では考えられない任天堂とソニーの共同開発のゲームハードウェアである任天堂プレイステーション。その正体はスーパーファミコンに拡張機器として接続するCD-ROMドライブであった。

当時大人気のスーパーファミコンは、任天堂プレイステーションにより、ロムカセットでは実現できなかった大容量のゲームを楽しむことができるだけでなく、ソフトウェアのコストも大幅に削減できるというメリットをもっていた。当時のスーパーファミコンソフトの価格は、8000〜9000円もすることから、ソフトウェアの低価格化は任天堂としてもなんとか実現したい課題だったのである。

しかし、この任天堂プレイステーションは、突然中止に追い込まれることになる。任天堂は、ソニーとの関係を断つ選択をしたのだった。更に任天堂は、米フィリップス社と共同で新ハードウェア開発を進めていくことになるのである。

そうなると、残されたソニーの心中は察するに余りあるものがあったのではないか。そもそも、この任天堂プレイステーション構想の発端は、現在のプレイステーションの生みの親・久夛良木氏が任天堂に共同開発をもちかけたところからはじまっているともいわれており、この一件とソニーのゲーム機開発への注力は、あながち無関係とはいえないという見方もあるほどだ。

その後、ソニー・コンピューター・エンタテインメント(SCE)のプレイステーションは、衝撃的な登場後、同世代となる任天堂のニンテンドウ64を退け、空前の大ヒットを記録したのは誰しもが記憶している。

幻となった任天堂プレイステーションは、順調に開発が進めば1992年末には発売される予定であった。もし、任天堂プレイステーションが発売されていたら、現在のゲーム機の勢力図は全く異なったものになっていたのかもしれない。

"もし"という言葉は、歴史には何の意味をもたないが、ゲームファンでなくとも、歴史を変えた"任天堂プレイステーション"は、一度は見てみたかったシロモノであろう。

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