何かと「プライドが高い」と言われ、地元への愛着が強いとされる横浜。そんな横浜人が、地元の金融機関・横浜銀行のとある処遇について、ひそかに憤慨する時がある。

横浜銀行――横浜に暮らす人なら知らない人はいない銀行で、神奈川県内至るところに店舗を構えているが、これが都市銀行ではなく地方銀行だというのが、横浜人にとってはにわかには信じられないのだ。


神奈川では官公庁に駅に、いたるところで横浜銀行の看板を見かける(Suikoteiさん撮影、Wikimedia Commonsより)

浜銀が地銀なのに、あそこの銀行が都銀?

客観的な数字を見ても、横浜銀行は日本の銀行の中でもかなり有力だ。総資産額約16兆3000億円は単体では地方銀行トップ。戦前の横浜港の重要な輸出品の生糸を生産していた群馬県にも支店があり、東京都内にも多くの支店がある。

これより大きな銀行は、メガバンクやゆうちょ銀行くらい。横浜の経済力を実感するし、都市銀行と見まがうのも無理はない。

単体では地銀最強なのは揺るがないのだが、都市銀行ではないのである。都市銀行と地方銀行の違いに法的な基準などはないが、大都市に本店を持ち、全国に店舗を展開しているのが特徴で、またほとんどの都市銀行が財閥の流れを汲んでいる。従って全国レベルではやはり都市銀行の方が知名度・ブランド力では上回る。

とにかく、1970年頃に確立され、90年代まで金融業界で公然と認められた都市銀行13行体制の中に横浜銀行は入ることができなかった。

さてこの都市銀行、三菱銀行・富士銀行・住友銀行・大和銀行など名だたる財閥系の銀行の中に、もう一つ横浜市民が首をかしげることが起こっていた。太陽神戸銀行や埼玉銀行もこの13行に加わっていたのである。

首都東京は別格としても、我が横浜こそ関東最高の街――そうひそかに自負するプライド高き横浜人であれば、たかが金融機関のジャンル分けとはいえ忸怩たる事態だったかもしれない。そして見下されがちだった埼玉の側からすれば、ひそかに誇るべきことでもあった。

都市銀行は90年代以後激動の合従連衡を繰り返し、四大メガバンクグループ(三菱UFJ・三井住友・みずほ・りそな)に集約されていった。埼玉銀行は一度協和銀行と合併しあさひ銀行となるも、りそなホールディングス傘下で埼玉りそな銀行が分離して「埼玉」の商号が復活、都市銀行として営業中だ。

一方横浜銀行は東日本銀行と経営統合しコンコルディア・フィナンシャルグループを結成したが、商号はそのままに地銀トップの座を守り続けている。全国区ではないものの、この孤高さも横浜らしいといえばそうで、それがまた横浜人に愛着を抱かせているのだろう。