齋藤孝『大人の語彙力大全』(KADOKAWA)

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ミスをしてしまったとき、あなたはどのように謝るだろうか。適切な言い方を身につけていないと、謝罪が伝わらないときもある。明治大学教授の齋藤孝氏は、「謝罪には謝罪専用の言葉を使うのがコツ」という。効果的な謝り方とは――。

※本稿は、齋藤孝『大人の語彙力大全』(KADOKAWA)の第3章「気持ちよく聞き入れてもらえる、大人の言い訳・謝罪・お願い」を再編集したものです。

■謝罪でしか使えない言葉であやまる

社会人の謝罪の言葉として、「すみません」は不向きです。それを「すいません」なんて言おうものなら、「学生か!」と突っ込まれることでしょう。

「すみません」は、「いまのままでは済まされません」という意味なので、語義からすると謝罪の範疇に入ります。ですが、なぜ不向きなのでしょうか。

それは汎用性が高すぎるからです。

お店で店員さんを呼ぶにも「すみません」、道端でアンケートを依頼するのも「すみません」、高価なプレゼントをもらっても「すみません」。何かを頼んだり御礼を言ったりする場面でも使えるくらい一般的で汎用性が高いということは、ひとつひとつの場面での効力が弱くなり、言葉としての“重み”がなくなるのです。

つまり、「すみません」を謝罪の言葉として使うと、相手に軽くとらえられてしまうのです。

ではどうするか。謝罪には、謝罪専用の言葉を使うこと。謝罪でしか使えない言葉、謝罪でしか使わない言葉を使うのです。

「私の不徳のいたすところでして、たいへん申し訳ございません」
「ご迷惑をおかけいたしまして、恐縮の体でございます」
「このようなことになりまして、慙愧の至りでございます」

「申し訳ありません」だけではなく、その前に「不徳のいたすところ」をつけると、同時に反省の気持ちが伝わります。「不徳のいたすところ」とは、自分の至らなさゆえの失敗について反省の意を表明することで、謝りつつも、こんな自分が情けないというニュアンスが伝わります。

「恐縮の体」とは、身がすくむほどに恐れ入る様子。迷惑をかけて本当に申し訳ないという気持ちが、見た目にも表れている状態です。

「慙愧の至り」とは、反省して心に深く恥じ入ること。「慙愧」はもともと仏教語で、「慙」は恥じること、「愧」は人の表すことです。漢字からもその様子が伝わってくるので、書き言葉での謝罪にも効果的です。

これらは、謝罪と反省がセットになる言葉という点で、口火を切る言葉としては適切です。

■反省と謝罪と改善策をセットにして伝える

謝るときは、ただ反省して平身低頭するだけでなく、改善策を提示することも必要です。反省しきったあとで、「これからはこうしていきます」という改善策とセットで、謝罪は完了すると心得ましょう。

謝った後も、会社での仕事や人間関係は続いていきます。ですので、「ここまではしっかり謝ります。これから先はがんばります」という前向きな姿勢を見せたいものです。

「今後はミスのないよう、鋭意努力して参る所存です」

「努力」や「尽力」は、ただ「がんばる」と言う意味。そこに、鋭い意志をもってことに当たるという意味の「鋭意」をつけるだけで、受け取る印象はずいぶん違います。

大事なことを忘れてしまったとき、「忘れました、申し訳ありません」「うっかりしていました、申し訳ありません」では謝り方としてはお粗末です。こういうときは「失念しておりまして、誠に申し訳ありません」と言います。

「失念」は、うっかり忘れることという意味ですが、それをそのまま言うのでは実も蓋もありません。ここは漢語表現の「失念」を使います。

そして「失念」してしまった後は、チェック機能を増やすようにするなど、今後失念せずに済むような対策を同時に伝えます。

大切なのは「誠意を的確な言葉にする」ことと、「同じ過ちを繰り返さない」ということ。起こしてしまったミスやトラブルはなかったことにはできないのですから、「二度とこんなことはしません」という決意を伝えるのも謝罪の一部です。

■相手の好意はありがたく受け入れる

相手が謝罪を受け入れてくれて、励ましと理解の言葉をかけてくれたときは、素直に受け入れましょう。「そんな、滅相もない!」と言い続けていると、許すものも許せなくなってきます。ちなみに「滅相」とは、仏教で存在するすべてのものが滅びて過去に入ること。そのくらい、あってはならないこと、という意味です。

ですが、「ありがとうございます!」では安易なイメージをもたれるかもしれません。そういうときもやはり改まった言葉を使いましょう。

「恐れ入ります」
「恐悦至極にございます」

「恐れ入ります」は、相手を恐れ(畏れ=かしこまる)つつ、お言葉を受け入れますという意味。

「恐悦至極」はこの上なくうれしいことを表す言葉。「恐悦」はつつしんで喜ぶ、「至極」はこの上ないこと。ただしこの言葉は最上級の表現なので、乱用は控えましょう。

相手の優しさをすぐに受け入れるのは甘い考えだという人もいるかもしれませんが、そうとも限りません。「甘える」というのは欧米では「依存」と同義に思われがちですが、日本では上手に甘えられる人ほど人間関係が円滑にいくということがあります。

たとえば、訪問先でお茶とお菓子を出されたとします。そこで「いえいえ、いただけません」と固辞するのは無粋です。相手が好意でしてくれたことだったら、「それではお言葉に甘えて」といただき、「おいしいですね、どこのお店ですか?」くらいの雑談力を発揮したいものです。

あやまるときは、反省と謝罪の言葉のあとで、今後の改善策を伝える。相手が好意的な対応をしてくれたら快く受け入れ、その上で感謝の気持ちを丁寧に述べる。それができれば、ミスやトラブルがあっても、次につながる建設的な関係性が作れるのです。

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
1960年静岡県生まれ。明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書に『三色ボールペン活用術』『語彙力こそが教養である』(以上、KADOKAWA)、『声に出して読みたい日本語』(草思社)など多数。NHK Eテレ『にほんごであそぼ』総合指導。

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(明治大学文学部教授 齋藤 孝 写真=iStock.com)