なお注目の小松は、62分に吉田と交代でデビュー。ポーランドの激しいチェックに遭ってなかなかボールに触れなかったが、終了30秒前に戸塚のFKをヘディングで決めた。しかし、主審がプレー再開の笛を吹く前に戸塚が蹴ったという判定でノーゴールの宣告が下されてしまった。
 
※西目農高(現・西目高)3年時、第59回高校サッカー選手権1回戦の北陽高戦(81年1月4日)で1-1とされた直後、味方のキックオフから直接シュート。センターサークル内から放たれたボールは相手GKの頭上を越えてゴールネットを揺らした。高校サッカーどころか、日本サッカー史にも残る一撃として今も語り継がれている。

 
◇1981年2月1日・国立競技場
日本 0-3 ポーランド
 
 国際親善サッカー最終戦。日本代表はせめて1勝をと積極的に攻めたが、どうしても相手ゴールを割ることができず、決定力不足という課題を残したまま4戦を終了した。
 
 ポーランドは、82年のワールドカップ代表の座を狙っているユース年代の選手によるチームだけに、手を抜かずに全力でぶつかってくる。
 
 熱のこもったゲームは互角の試合運びとなり、日本はMF戸塚の巧技から再三チャンスを作ったが、シュートに正確さを欠き、逆にポーランドの効率の良い攻めに敗れてしまった。
 
 31分に右サイドを抉ったベンカラのセンタリングを前田がスライディングで逃れようとしたが、不運にもボールは自陣ゴールに……。そして40分にはGK加藤好男が弾き切れずに落としたボールがカバーに入ろうとした須藤茂光に当たってしまい、2点目を献上してしまう。
 
 さらに44分には、中盤で岡田武史の不必要な横パスをカットされてオコンスキにドリブルで持ち込まれ、3点目を決められた。
 
 やはり、2、3点差のついてしまう実力差なのかもしれない。
 
※いずれの記事もサッカーダイジェスト1981年4月号より(一部修正)。本文内では敬称略