フジテレビ『ザ・ノンフィクション』HPより。

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京都大学を卒業後、一度は企業に就職するも、28歳で退社。無職の心得をブログにつづり、「日本一有名なニート」となった人がいる。当時「働きたくない」と公言していた彼が、4年ぶりにテレビ番組に登場した。現在は38歳。ニートとは34歳以下なので、「元ニート」だ。だが、彼の「働かない哲学」は揺るぐことなく、さらに強固になっていた。その哲学は肯定できるのか――。

働きたくない。

会社に行くわけでもなく、家でテレビを観て、番組についての原稿を書く。端から見れば自由で気楽そうな作業でも、それで生計を立てている身としては、立派な労働である。「さぁ、今日も働くぞ!」なんて意気揚々と仕事に向き合っている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。

フジテレビは6月18日と25日の2週にわたって、ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』で「会社と家族にサヨナラ…ニートの先の幸せ」を放送した。取材対象は、現在38歳で「元ニート」のpha(ふぁ)さんだ。

番組では、2013年にも「お金がなくても楽しく暮らす方法」と題して、phaさんに密着した回を放送している。phaさんは2012年に、著書『ニートの歩き方――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(技術評論社)を出版している。当時放送された内容も、書籍の実写版といった趣で、ニートのまま働かずにどうやって暮らしているのか? という実態を記録したものだった。今回の前後編は、以降も密着を続けた4年間の総集編である。

■働いていない人ばかりが暮らす家

最初の放送から4年という月日には、きちんと意味がある。と、その前に、phaさんについて簡単に説明を。1978年大阪生まれ、京都大学を卒業後、一度は企業に就職するも、28歳で退社。その後上京し、ネットで知り合った人たちと共同生活をするためのシェアハウス「ギークハウス」を始める。普通のシェアハウスと違うのは、働いていない住人が圧倒的に多いこと。phaさん自身も、今でこそ本を出版したり、コラムを執筆したり、働かないで生きることについての講演をしたりと、いわばプロの無職として収入を得ているが、もともとはニートだった。

会社を辞めニートになったphaさんは、ブログやツイッターを通じて、働かない日々のことをつづりながら、なぜ人は働かなければいけないのか、働かないことはそんなに悪いことなのか、働かない人には価値がないのか、働かないで生きていくにはどうしたらいいのか、といった自身の実感と考えを発信していった。「働きたくない」という、誰もが多かれ少なかれ抱く欲望を体現し、好きなときに寝て、起きて、好きなことだけをするという、徹底的に自由を謳歌するその生き方には、羨望と憧れの入り交じった共感が寄せられ、同時に反感の声も上がった。京都大学出身という高学歴のドロップアウトにも、人々は注目した。

そうしてネット上で多くの反響を呼んだphaさんは、いつの間にか“日本一有名なニート”と呼ばれるようになる。有名になったphaさんのもとには、食べ物や生活用品を送る支援者が現れ、ときには現金のカンパも集まった。労働の対価として収入を得るのではなく、インターネットを通じた人とのつながり、そして情報発信によって生活の糧を得る暮らしは、このように営まれていた。

番組の冒頭、テロップと又吉直樹のナレーションによって「いま、日本には15〜34歳までの若年層で定職につかない、いわゆるニートが56万人以上います。なぜ、そんなに多くの若年層が働かないのでしょうか」と解説が入る。『ニートの歩き方』を書いた2012年当時、phaさんは34歳。ニートの定義としてはギリギリの年齢だった。つまり、現在38歳になったphaさんはニートとはいえない。phaさんは言う。

「毎日電車乗って決まった時間に出社するとかがすごいしんどかったんです」
「家族じゃないシステムをやってみようというか、仲間を作ろうって感じですね」
「1人だと寂しいから」

現代の主流である資本主義的な豊かさを得るのとは、真逆の生き方。そんな生き方にうらやましさを感じながらも、疑問は残る。一体その生活はいつまで続けられるのだろうか……。初めての密着から4年後というタイミングでの総集編には、制作者、そして視聴者の「まだあの生活続けてるの?」という疑問に対する回答の意味があった。

■プロのマンガ家になり結婚した友人の変化

結論から言うと、その生活ぶりは4年前とほとんど変わらないものだった。phaさん自身の知名度はさらに上がり、今年の6月には新刊『ひきこもらない』(幻冬舎)を出版、もはや売れっ子の書き手と言えるほどではあるが(2017年3月20日のブログには、「最近忙しい」というらしからぬエントリが上がっている)、相変わらずダラダラとした生活は続いていた。定期的な仕事といえば、週に1回ネット番組の監視のバイトをするぐらい。4年間での大きな変化は、ギークハウスが引っ越しをしたこと。もちろん、引っ越し作業もダラダラやっていた。

それより大きなニュースは、13年の放送時には、アマチュアのマンガ家として番組に登場した小林銅蟲(どうむ)さんが、晴れて商業誌デビューを果たし、単行本を発売し、さらにネットでの“嫁募集”に応募してきたファンの女性と8年間の交際を経て結婚したことだろう。番組のエンディングが、新しく引っ越したギークハウスでの結婚パーティだったことを見ても、今回の重心とハイライトは、密着対象のphaさんというよりも、むしろ小林銅蟲さんと妻・可奈恵さんの物語だった。

■浮きも沈みもしない、地に足の着いた無職

4年という歳月がたてば、何かしらの変化が起きるだろうと考えるのは、ドキュメンタリー制作者としては普通の判断だ。しかし、生活態度こそフワフワしているが、phaさんの働かない生き方は、想像以上に強固だった。浮きも沈みもしない。地に足のついた無職

著書『持たない幸福論』でphaさんは〈普通とされている生き方モデルがすごく高いところに設定されていて、実際にそれを実現できるのは全体の半数以下くらい〉と指摘している。できるだけ安定した仕事に就いて、定期的に金を稼いで、将来に備えて貯金もして、病気にならないよう規則正しい生活を送る。当たり前といえばその通りだが、簡単なことではない。生きるために働いていたはずが、そのせいで心身を病み、命を落とす人さえいる。そのことにphaさんは強く反発している。また同書では、社会も自分も否定してしまう状況を「小さな死」のようなものだと形容している。

決まった時間に通勤したくない、嫌なことはやりたくない、だるい。そう主張するphaさんは、たしかに子どもっぽいし、社会性がないように見える。放送中にツイッターの番組ハッシュタグを検索すると、やはり批判の声も多かった。しかし、phaさんの「働きたくない」は、欲望というより思想に近い。そして、後ろ向きで受動的な「働きたくない」ではなく、能動的で実践型の「働かない」生き方である。著書を読むと、それがよく分かる。

本の中では、働くことだけにとどまらず、遺伝子レベルにまで思考をめぐらせ、結婚や家族制度にも疑問を投げかける。金があることで与えられる自由や流動性についても考えながら、近代的な都市生活のデメリットを考察する。phaさんは、インターネットを活用することで、血縁でも地縁でもない、オンライン上の共鳴を手掛かりに、ポスト現代の新しい家族像を模索しているのだ。転職、転居、離婚、再婚が前時代に比べて非常にカジュアルになった今、(擬似的ではあれ)家族ですら選択可能なのではないかと。

かつて企業が家族的な役割を担っていた時代があった。それが「ブラック企業」という呼び方が定着して以来、少し大げさな言い方かもしれないが、企業はまるで犯罪予備軍かのように監視される対象になっている。就職先選定の場合はなおさら、その企業が良い製品を作っているか、良いサービスを提供しているかよりも、関心は“ブラックかどうか”にある。政府の推奨する「働き方改革」は、多くの面で実現には程遠い状況ではあるが、一方でこれだけブラック企業を嫌悪するムードが高まっている実態を見るに、少なくとも意識改革という面ではある意味で「成功」している。

そんな現実を目の前にphaさんは、働けない人は働かなくていい。自分なりに頑張っていればいい。業務内容や職場環境という具体的なものではなく、そもそも働くということに向いてない人もいる、と番組内で説く。

「仲間とか場とかを大事にして生きていくと、セーフティーネットになる」

会社にも行きたくない、実家にも居づらい。人と上手にコミュニケーションができない、家族ともうまくいかない。それでも幸せに生きていく方法はある。そのために、自分は居場所を作るのだと。働いていないことが、社会にとって害なのかもしれないなんて思わなくていい。そういう人のほうがおもしろい。おもしろい人には生きていてほしい。だからシェアハウスをやっている。お金はないけど、支援してもらっている分だけ、還元したい。番組回タイトルの「会社と家族にサヨナラ…ニートの先の幸せ」とは、そういう意味だ。怠惰の結果ではなく、後ろ向きの選択でもなく、思想と哲学に基づいた「働かない」生き方は、非常にラディカルな現代への回答だった。

■サバイバル術としての無職の助け合い

コミュニケーション、コンテンツ、情報や知識など、あらゆるものの価値を激変させたインターネットは、人の生き方にも大きな影響を及ぼした。そのひとつが、「働かない」生き方なのだ。田舎暮らしで農作物を分け合うように、都市部においても、人とのつながりが生活の糧になり、働かずとも生きていける。とにもかくにも働くことが前提で、所属する会社や収入でその人を判断する価値観は、まだまだ根強いとはいえ、もはや絶対的な価値ではなくなってきた。phaさんの、「働かない」けれど、私利私欲に走らず、利害関係のもとに成り立つ付き合いでもなく、偶然の出会いによってもたらされた小さな優しさに感謝しながら、心身ともにできるだけ消耗しないで生きる暮らしは、これからの時代を生き抜くためのサバイバル術として捉えることはできないだろうか。

〈大体お金持ちほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない、自分がお金持ってるのは与えられた境遇やたまたま運がよかったためだ」って思ってて、そんなにお金ないけど嫌々仕事をやってる人ほど「働かざるもの食うべからず、ニート死ね」って思ってるような気がする。〉

無職に対して「金を稼がない奴(税金を納めない奴)は生きてる価値がない」って言うような人は、自分の100倍収入があって100倍税金を納めてる金持ちに「お前は俺の100分の1しか生きる価値がない」って言われてもいいんだろうか。そんなんじゃなくて、みんな生きてるだけでその生命は尊重されるべきだと僕は思う。〉

※「phaの日記」2010年1月21日より

取材のあと、そのまま外で食事を済ませ、いそいそとタクシーに乗り、家事代行サービスが掃除をした一人暮らしの部屋に帰る道中で、この原稿を書いている。「働かない」生き方より、この生活のほうがよっぽど長続きしそうにない。

(フリー編集者 おぐら りゅうじ)