―マウンティングとは霊長類に見られる、社会的序列の確認と自己顕示のための行為。

東京の女たちは今日も霊長類のごとく、笑顔の裏でマウンティングを繰り広げている。

だが、一部の女は気づき始めた。 マウンティングは、虚像でしかないことを。

果たして、その世界から抜け出した先には、どんな世界が広がっているのか。

東京でそれぞれの価値観で生きる、大手出版社に勤める麻耶(26歳)、港区女子・カリナ(27歳)、マウンティングとは無縁な女・玲奈(26歳)の3人。

麻耶は、恋愛や結婚適齢期の女友達との付き合いなどから、マウンティングに振り回されない生き方を学んでいく。




SNSとの距離感は、相変わらず苦手。


「わっ、紫陽花が綺麗。」

姉と甥っ子と一緒に、近所にある公園の散歩道に入ると、梅雨らしく色彩豊かな紫陽花が一気に視界に飛び込んできた。

雨が上がった少しの間を狙って散歩に出たのだが、土が濡れたような、あの独特な匂いが鼻につく。季節の変わり目を告げる空気を感じながら、麻耶は迷わずスマホを取り出した。

紫陽花をズームアップで。それから次に、甥っ子もフレームに入れて、もう何枚か撮った。

「これで、完璧。」

麻耶は一人、満足げな声を出す。

「麻耶、亮の顔が写ってる写真は、SNSとかにあげないでよ。」

「大丈夫!うつむいて、顔が見えない写真にするから。」

どんなタグをつけようかと考えながら歩く麻耶には、甥っ子のはしゃぐ声や、濡れた土の匂いはもう届かなかった。


相変わらずSNSに夢中な麻耶


まるで仕事?インスタアカウント運用にハマる女。


以前は麻耶のInstagramの投稿にカリナが余計なコメントを書き込んできてイライラさせられていたが、そうしたコメントももうない。

麻耶は、ベッドに座りながらお気に入りのクッションを背に楽な姿勢をとった。床にはヘアアイロンや、アクセサリー、財布や脱ぎ散らかした洋服が散乱している。

だが、そうしたものには目もくれずInstagramの投稿画面を開く。

「やった!フォロワーさん増えてる!」

最後にチェックした時から、フォロワーが30人も増えていたのだ。この調子でいけば、目標の3,000フォロワーまで到達するのも、時間の問題だろう。

最近麻耶は、Facebookは全く見ずにInstagramばかりを見ている。

学生時代の友人、仕事でつながりのある人、男友達、カリナ達などの知り合いの投稿を見るのも楽しいのだが、それよりも見ず知らずの他人のアカウントをチェックするのが楽しくて仕方がない。

それに、カリナや読者モデルをしている友人が教えてくれた情報によると、フォロワーが1万人を超えると新しくオープンするレストランのレセプションや、ブランドのパーティにも呼んでもらえるようになるという。




だから、取り敢えずコツコツ毎日飽きずに何かしらの写真を投稿しているのだ。

今朝アップした、紫陽花をバックにとった甥っ子の写真にはいいね!が500件以上ついた。色々なアカウントにいいね!をしたり、タグを工夫したりするといいね!はうなぎ上りに増える。こんなに簡単に、自己顕示欲が満たされることは、他にはない。

見知らぬ他人が、自分の撮った写真に対して反応してくれる。自分の投稿へのいいね!数が上がっていくにつれ、何か達成感のようなものまで感じているのだ。

プロフィール画面に戻り、自分の投稿一覧を確認する。次はどんな写真をあげようか。お気に入りのインスタグラマーのページに飛び、投稿をチェックする。

文化人枠でテレビにもよく出演している美人皮膚科医のアカウントだ。

上品なネイル。一眼レフで撮影されたランチ。ハリーウィンストンの時計。目元を隠した控えめなセルフィーからは、決してスニーカーなど合わせない、華やかなワンピース中心のプライベートコーディネートが紹介されている。

そうした画面をスクロールしながら眺めていると、麻耶は、自分の中に強烈な欲望が生まれてくるのを感じた。

「もっともっと綺麗になりたい。もっともっと、豊かにならなくてはいけない。」

麻耶はスマホの見過ぎで目が疲れているのを感じたが、結局深夜までInstagramを見続けてしまった。


そんな麻耶に起こった事件とは


インスタ映えを求めるあまり…


今夜は、5月にオープンしたばかりの西麻布の『ご馳走 たか波』に来ている。




和食が食べたい、という麻耶のリクエストで、付き合っている潤が連れて来てくれたのだ。

スタイリッシュなオープンキッチンに仲良く隣り合わせに座る。仕事帰りだからか、潤からはほんのり汗の匂いがした。

「これ、雲丹・いくら・本ずわい蟹のっけ寿司食おう!でも、雲丹といくらの土鍋ごはんもいいよな。」

興奮した様子ではしゃぎながらメニューを選ぶ潤を見ていると、ふと母性本能がくすぐられる。

「それもいいけど、まずは前菜みたいなの頼もうよ。」

そう言いながら潤にオーダーを任せ、ビールを吟味しているとお通しに特大の牡丹エビがやってきた。

これはインスタ映えするだろうと考えた麻耶が思わずスマホを取り出し、構図を練りながら写真を撮っていると、ふとLINEの通知画面が表示された。

ー麻耶、俺仕事早く終わったんだけど、今から出てこれる?

隣同士に座っている潤からは、画面が丸見えだ。一瞬、息をゴクリと飲む音が聞こえたような気がした。

「…それ、誰。」

潤は、先ほどとは打って変わって低い声となり、明らかに憤りを隠せない様子だ。

一瞬思考が停止しかけるほど驚いた麻耶だったが、すぐに機転を利かす。

「男友達よ。すっごく年上で、いろいろと可愛がってくれてるの。きっとホームパーティとかに呼んでくれたのかな?」

通知画面を消し、何事もなかったかのように牡丹エビの撮影を再開した麻耶だが、潤は押し黙ったままだ。

「じゃあ、その人とのやりとり見せてよ。」

「え?」

「男友達なんだろ?じゃ、そいつとのやりとり俺にも見せれるよな。」

見せられるわけがない。LINEでも、イノッチは麻耶に気恥ずかしくなるほどの甘い言葉の数々を囁くような男だ。

麻耶が押し黙っていると、潤はおもむろに立ち上がり、千円札を数枚テーブルの上に投げ捨てるように置いた。

「ちょっと待ってよ、誤解だって…!」

とっさに潤の右手を掴むが、思い切り振り払われてしまう。全身が、恥ずかしさと驚きでカッとなった。潤は何も言わずに立ち去り、麻耶は1人店に残される。

人々の笑い声や話し声が嫌に響く。周囲の目が気になって、麻耶はうつむいたまま、なかなか立ち上がれない。

「すみません、お会計お願いします。」

やっとの事でそれだけ伝え、店を出た。

もちろん、自分の軽薄な行動が招いた結果ではあるのだが、インスタに夢中になるあまり、まさか潤とのデート中にイノッチからのLINEが来るとは予測できなかった。

そして、それを目撃されるなんて、自分はなんて愚かなんだろうか。

先ほどから潤の携帯にかけているが、一向に応えてくれる気配はない。

西麻布の交差点はいつにも増して賑やかで、麻耶は1人取り残されたように立ち尽くしていた。

▶NEXT:6月28日 水曜更新予定
彼氏に去られ、意気消沈する麻耶に新たな事件が…?