LGBTの著名人やタレントが大活躍し、医療技術も発達した現在では、「性別適合手術」はもはや“事件”ではない。しかし、今から80年以上も前となると話は別だ。世界で初めて性別適合手術を受けた人物リリー・エルベの存在が今、注目を浴びている。

リリーは、デンマークで男性アイナー・ヴェイナーとして生を受け、風景画家として活躍。同じく画家のゲルタと結婚し、穏やかな日常を送っていたが、彼女に女性モデルの代役を頼まれ、柔らかなドレスやストッキングを体にあてた時、自分の中に押し込められていた女としての性の存在を意識しはじめる。

『リリーのすべて』より

1930年から1931年にかけて5回にわたる性別適合手術を受け、アイナーを葬り、身も心も女性の“リリー”となっていく彼女。そんな実話に基づいた映画『リリーのすべて』が3月18日から公開される。リリーのトランジション(性別移行)のプロセスを繊細に演じきった英国俳優エディ・レッドメインの演技も注目を集め、メディアで早くから取り上げられてきた本作。確かに、自分らしく生きようと闘うリリーの変化が観る者の心を打つが、より多くの女性が気持ちを重ねてしまうのは、“夫”アイナーを愛し、たとえ彼の存在が消えても、女性として幸せになることを手助けする妻ゲルタの姿ではないだろうか。

もし、パートナーや家族から「女性として生きたい」と告げられたら? ゲルタが置かれた境遇は、誰にとっても決して他人事ではない。 この映画のメガホンをとったトム・フーパー監督もまた、そんなゲルタの生き方に心を奪われたひとり。公開を前に来日を果たしたフーパー監督に話をうかがった。

トム・フーパー監督

夫を失うことになっても、その幸せを願った妻

ーー本作の映画化を決めた際、「今まで読んだなかで最高の脚本」だと思われたそうですね。この物語のどこが最も監督の心を動かしたのでしょうか?

トム・フーパー監督(以下、フーパー):妻ゲルタの夫アイナーに対する無条件の愛に、まずとても感動しました。たとえ夫を失うことになっても、彼の幸せを願い、リリーとして本当の自分になる手助けをした。結婚生活において夫婦の関係性が変わっていくことは多々ありますが、彼女たちに起きた変化はその極端に深いパターンです。その変化の中で示される“優しさ”や“許し”が非常に感動的でした。

ーーこの映画は事実に基づいた原作小説「The Danish Girl」をもとにしていますが、リリーやゲルタの人物像については、小説以外にどんなリサーチをされたのでしょうか?

フーパー:もう廃版になっているのですが、リリー・エルベの日記をもとにした「Man into Woman」という本を見つけて参考にしました。リリーに関する自伝はないので、デンマークで彼女についてリサーチしましたね。あと、リリーやゲルダが描いた絵画も見ました。エディはそこからかなりインスピレーションを刺激されたようです。ただ、どうしても情報が欠けているところはフィクションの部分もあります。

ーーリリーは身も心も完全な女性へと移行していきます。既に本作を観た女性に感想を聞くと、夫を恋しく想うゲルタの気持ちに寄り添うことなく、ひたすらに女性になることを望むリリーのことを身勝手だと感じる人もいるようです。

フーパー:リリーは、命を賭けてまで女性になりたいと願うほどの痛みを抱えて生きていました。その痛みが彼女を身勝手にさせていたのだと思います。リリーにならなければ生きていけない。そんな苦しみを抱えていたのです。

ーー監督は、リリーを支えるゲルタの心の変化をどのように捉えて撮影に臨まれたのですか?

フーパー:彼女は、私たちの想像をはるかに越える慈悲の深さを持った人だったと思います。ゲルタが帰宅すると、ブルーのドレスを着たリリーが座っていて、その光景に驚くというシーンがあったでしょう? あの段階ではゲルタもまだ、これから2人に起こることを想像してもいませんでしたが、まずリリーに「大丈夫?」と声を掛けます。怒りや恨みをぶつけるのではなく、「あら、またリリーの人格が出てきてしまったのね」という風に声を掛ける。自分の感情より、夫の苦しみを一番に考える大きな心の持ち主だったことを表すシーンだったと思います。現在に生きる私たちは、ソーシャルメディアなどに没頭して、みんな身勝手になっていますよね。あの時代のゲルタの愛は決して身勝手ではなかった。そこも興味深いと思いました。

『リリーのすべて』より

まだまだ差別は残っている

ーー撮影にあたり、実際にパートナーがトランジションした経験を持つ人々にも会われましたか?

フーパー:ロンドンやニューヨークなどで、トランジションした女性たちに会いましたし、そんなパートナーを持つ人々にも会いました。両者とも、片方だけではなく「パートナーと2人で変化している」と話していましたね。

ーー彼らは上手くいっているようでしたか?

フーパー:米国や西欧の社会はかなり寛容になりましたが、やっと彼らを受け入れ始めたところなので、やはりまだまだ差別は受けていますし、トランジションした方々の自殺率が高いことからも分かるように、痛みを抱えてはいらっしゃいます。でもトランジジョンした多くの人たちからは、“違う性”に閉じ込められていた頃より断然ハッピーで、手術して良かったという話を聞きました。

障害を愛の力で解放する

ーー『英国王のスピーチ』や『レ・ミゼラブル』など監督の作品は映像の美しさにも特筆すべきものがあります。絵画のような構図で静止画のように撮られることが多いですね。今作でも同様の手法を用いたシーンが数多く登場します。

フーパー:アイナーとゲルタは絵描きだったので、今作に関しては、画家として彼らが見ていた世界をイメージしてみました。アイナーは風景画家だったのでワイドショットで、ゲルタは肖像画家だったのでポートレートを描くようにそれぞれがいた世界を撮っています。ゲルタは美を追求してキャンバスに向かっていたし、アイナーもまた風景の美を追求してキャンバスに向かっていました。リリーになってからは自分自身の真の美しさ、すなわち女性美を追求していきます。彼女たちの旅路の最後に、女性としての美しさ、真実の美しさ、つまりリリーの「生の真実」があるように映したかったのです。

ーー「ウートピ」読者の女性たちにこの映画をどう受け止めてほしいと思いますか?

フーパー
:これは愛についての映画です。私たちが抱えている障害を、愛の力で解放する様子を描いています。この映画を観た人が、自分とは異なる人々のために、深い慈愛を持ってもらえるようになればと願っています。この社会には寛容さが必要です。

■公開情報
『リリーのすべて』
3月18日(金)より全国公開
監督:トム・フーパー
出演:エディ・レッドメイン、アリシア・ヴィキャンデル、ベン・ウィショー、アンバー・ハード、マティアス・スーナールツ
配給:東宝東和
レイティング:R15+
画像クレジット:(C)2015 Universal Studios. All Rights Reserved.

(新田理恵)