子どものころ、童謡やヒット曲の歌詞をもじったいわゆる「替え歌」を歌った経験が、あなたにも一度くらいあるだろう。しかもその歌詞がお下品だったり不謹慎だったりして、親や先生から叱られた、なんて経験も、よっぽどの優等生じゃない限り、たぶんあると思う。

あかりをつけましょ爆弾に〜♪

たとえば記者が子どものころには、

「あかりをつけましょ爆弾に〜ドカンと一発ハゲ頭〜♪」

という「うれしいひな祭り」を、小学校の友達と一緒に合唱したものだ。

こうした替え歌の歌詞は、地域や年代によってかなり違うらしい。Jタウンネット編集部では、読者に「あなたが子どものころ歌っていた替え歌」に関する思い出を聞いてみた。

画像はイメージです(きうこさん撮影、Flickrより)

たとえば群馬県のAさん(30代女性・主婦)は、同じく「うれしいひな祭り」で、

「あかりをつけたら消えちゃった お花をあげたら枯れちゃった 五人囃子も死んじゃった 今日は悲しいお葬式」

という悲しすぎる替え歌を歌っていたとか。今となっては、「子どもの前では歌えません......」とはAさんの言葉。

とりあえず全部反対の意味にしちゃう系

明るい歌詞を、とりあえず全部反対の意味にして、残酷なストーリーにするのは、とにかく全国的な替え歌の定番らしい。

愛知県のBさん(20代女性・主婦)が毎年親戚の子どもたちと歌いあっていたのは、「もういくつ寝ると......」でお馴染みの「お正月」。

「お正月にはもち食って 腹を壊して死んじゃった 早く来い来い霊柩車」

この替え歌、調べてみると全国的に歌われているようだが(記者も知ってた)、「腹を壊して」の部分が「のどに詰まらせ」というバージョンもあるらしい。最後に来るのも、霊柩車だったり救急車だったり......。

やはり否定しちゃうパターンでは、神奈川県のCさん(20代女性・主婦)。ドラえもんの主題歌を、

「あんなことないよ こんなことないよ あんな夢こんな夢 いっぱいないよぉ〜♪」

と、「友達と手を繋ぎながらゲラゲラ笑って同じフレーズを繰り返して」いたんだとか。

全国規模のヒット替え歌たち

替え歌の多くは子どもたちの間で自然発生したものだが、テレビなどを通じて全国的に「大ヒット」したナンバーもある。

中でも、東京都のDさん(50代女性・無職)から投稿があった「カラスなぜ鳴くの カラスの勝手でしょ♪」は、ドリフターズの志村けんさんの持ちネタで、オリジナルの「七つの子」を駆逐するほどの流行に。「学校でもすごく流行っていて、音楽の授業で、替え歌で歌って怒られていた子もいました」とは、当時を知るDさんの証言である。

やはり「古典」の域に達しているのは、ブルーコメッツの「ブルー・シャトー」の替え歌。

「森とんかつ 泉にんにく かーこんにゃく まれてんぷら 静かにんにく ねむールンペン ブルーブルーブルーシャトー♪」

神奈川県のEさん(50代男性・会社員)の小学生時代、おそらく1960年代末〜70年代のヒット作である。今や「ルンペン」なんて言葉は放送禁止だ。

懐かしい「愛は勝つ」ならぬ「チキンカツ」

同じくテレビ発の替え歌だが、知っている世代が限られそうなのは「愛はチキンカツ」。KANさんの「愛は勝つ」が原作で、この曲が挿入歌として使われていた「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」で、山田邦子さんが歌っていたものだ。「心配ない唐揚げ 君のお餅が〜♪」と、ひたすら原曲の詞が食べ物に差し替えられており、

「最後はチキンカツ〜♪」

と締めくくられる。投稿してくれたFさん(30代男性・沖縄県)いわく、

「山田邦子さんのテレビの替え歌『最後にチキンカツ』が子どもの時に流行りました。クラスで何度も歌いみんなで爆笑していました」

番組直撃世代には懐かしすぎるネタだ。

Cさんの投稿にもあったが、同じ歌を繰り返しみんなで歌いながら、ゲラゲラ笑い合ったという思い出は、替え歌をめぐる一つの「あるある」のようだ。親が眉をひそめるような替え歌も、子どもにとっては、友達とコミュニケーションを取るための大切なツールの一つだったことを改めて実感する。

あなたが「ジェネレーションギャップ」感じた瞬間、募集しています

Jタウンネットでは、あなたが子ども時代歌っていた「替え歌」と、それに関するエピソードを募集しています。寄稿フォームないしはメール(toko@j-town.net)で、お住まいの都道府県、あなたの年齢(20代、30代など大まかで結構です)、性別、職業を明記してお送りください。採用者には、Amazonギフト券300円分を進呈します。
なお、いただいた投稿の一部を改変・編集する場合があります。あらかじめご了承ください。