大庄 研修センター長 平 博氏

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なぜ接客にはマニュアルがつかわれるのか。ひとつの目的は「口を慣れさせる」というものだ。そして、同じ言葉を繰り返すことで、「つかい方」がわかる。「ありがとうございます」は、感謝にも皮肉にもなるのだ──。

■出店速度が2倍に新業態を支えた言葉

「はい、よろこんで!」

大庄グループが展開する「庄や」や「やるき茶屋」などで飛び交うおなじみのかけ声である。

一度耳にしたら忘れられないひと言が生まれたのは、1982年。それまで主力だった「庄や」とは違う新しい業態について役員で話し合っているときのことだった。現在、大庄の研修センター長を務める平博さんは、営業本部長として会議に参加していた。しかし、いいアイデアはなかなか出ない。

「何か新しいコンセプトはないのか」と平さんの兄である平辰社長(現・会長)は、役員たちを見渡した。役員たちは目を合わせないように顔を伏せていた。社長の鋭い視線が平さんを捉えた。目が合った平さんに対して社長は「早く考えろ!」「これから『庄や』だけでやっていけると思っているのか!?」「まだ何も出ないのか!」と繰り返した……。

「そう簡単に思いつくわけがないのに社長は執拗に責めてくる。こっちはどんどん追い詰められて苦しくなって、顔色が悪くなるのが自分でわかるほどでした」と平さんは30数年前の出来事を振り返る。

考えあぐねる平さんの脳裏に「ひとつの言葉がポッと浮かんだ」。

「よろこんで――」

平さんは開き直って続けた。
「苦しいときにも、よろこんで! 辛いときにも、よろこんで! くやしいときにも、よろこんで! かなしいときにも、よろこんで! なんでもかんでも、よろこんで!」

このフレーズをはじめて使ったのが、東京・水道橋にオープンした「やるき茶屋」1号店。水道橋で先行して営業していた3店舗の「庄や」でつかわれていた「かしこまりました」に対して、「はい、よろこんで」は斬新で新鮮だった。客に受けた。すぐに「やるき茶屋」は「庄や」の売り上げを抜いた。開店から6カ月後には、「庄や」の店内でも「はい、よろこんで!」という声が響き渡るようになっていた。

「業績がよくなくて壁にぶつかったときにこそ、『よろこんで、私にやらせてください』という気持ちが大切なんです。苦しみのなかから生まれてきた『よろこんで』は、声に出した自分自身だけではなく、組織も勇気づける言葉。だから、お客さまに元気がある、迫力があるとよろこんでいただけているのだと思います」

「庄や」は100店舗を展開するまで13年かかったが「やるき茶屋」は7年で達成。その半面、平さんのもとに客からこんな声が届くようになった。「心がこもってないのに『はい、よろこんで』なんていわせるんじゃない」「うるさいだけだ」……。

その原因を「言葉のマニュアル化」と平さんは指摘する。

「『はい、よろこんで』を早口でしかも怒鳴るように叫ぶと『へこんで!』に聞こえてしまうんです。ゆっくりしっかり発音しないと、おもてなしの心は伝わりません」

大庄の営業の神髄ともいえるその言葉の意味や理念を理解しないで、上司や店長にいわれるがまま口にする。あるいは、ルーチンから生じる慣れが、問題なのだという。

「お客さまの目を見て『はい、よろこんで』といったあと、状況に合わせて『すぐにやらせていただきます』『お伺いします』と続ければ、お客さまだって気持ちがいいはず。しかもお客さまの状況に思いを巡らせていれば、自然にゆっくりと話すことになる。結果的に『よろこんで』という言葉がより活きるんです。そこからお客さまとのコミュニケーションがはじまります」

「よろこんで」のほかに客とのコミュニケーションを円滑に進める言葉として平さんが勧めるのが「助けてください」、そして「教えてください」と「勉強になります」。

「○○を食べていただけませんか」と直接的にいうよりも「助けていただけませんか」といったほうが「どうしたんだ?」と会話のきっかけになりやすい。また客の言葉に対して「教えてください」「勉強になります」と受け答えするとかわいがられるという。

気をつけなければならないのが、言葉のつかい分け。たとえば、感謝を伝える場合の「ありがとうございました」と「ありがとうございます」について平さんは次のように状況に応じてつかい分けている。

相手との距離が3メートル以上の場合なら「ありがとうございました」。店を出て歩きはじめた客の背中に向かって大きな声で挨拶する。思わず振り返った客の目には深々とお辞儀をする従業員の姿が映る。

「離れていて会話ができないなら『ありがとうございました』と断定して見送ります。お客さまへの感謝をお辞儀で示すのはもちろん、ハッピを着て大きな声で挨拶して頭を下げるから、道行く人へのアピールにもなります」

一方「ありがとうございます」をつかうのは、相手の顔がこちらに向いていて距離が2メートル以内の場合。

「『ありがとうございます』のあとに言葉を繋げば、距離が近く顔が見えるから会話を続けることができるんです」

たとえば「本当にありがとうございます」と挨拶したあとに「奥さまにもよろしくお伝えください」と続けるとこんなふうに会話が広がる。「うちの女房知っているの?」「いえ、指輪をされているからご結婚されているかと思いまして」……。

「心からの『よろこんで』が日本中に広がってほしい」と平さんは語る。

「マニュアル化された言葉では、お客さまと人間関係を築き、お店のファンになってもらえるような会話はできません。大切なのは、返事が返ってくるような挨拶を心がけることなんです」

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大庄 研修センター長 平 博 
1948年、新潟県生まれ。68年東京・大田区で兄の平辰(現・会長)と創業。76年法人化、94年株式を店頭公開、99年東証一部上場。30年間で約1万人の社員を育てる。『マニュアルなんかじゃ人は育たず』など著書多数。

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(山川 徹=文 佐藤 類=撮影)