【レポート】電卓事業の歴史と今後の向かう先を探る - キヤノン、初の電卓「キヤノーラ130」の発売から50年の節目
●初任給が1万円台の時代に39万5,000円で登場した高級製品としての電卓キヤノンが1964年10月20日に同社初の電卓「キヤノーラ130」を発売してから、ちょうど50年目の節目を迎える。
世界初のテンキー式卓上電子計算機として登場したキヤノーラ130は、テンキーによるシンプルな操作と独自の光点式表示器により人気を博し、同社の電卓事業の礎となった。その後、業務用のプリンタ電卓やワイヤレス型のテンキー電卓、環境配慮型電卓、デザイン電卓など、さまざまな機能や仕様を搭載した電卓を次々と市場に投入してきた。この50年間にキヤノンが市場に送り込んだ電卓の累計出荷台数は約2億8,000万台にのぼるという。同社の電卓事業への取り組みを追ってみた。
○レンズ設計における必要性と余剰人員の配置転換が電卓事業参入の理由
キヤノンが同社初の卓上電子計算機を発売したのは、1964年10月のことだ。当時、様々なメーカーが電卓市場への参入を図ろうとしていたが、キヤノンが電卓事業に参入するのには2つの理由があったという。
1つめは、カメラメーカーのキヤノンにとって、レンズの設計には膨大な計算が必要であり、計算機が必須となっていたことだ。つまり、自らがユーザーの立場として計算機を利用する立場にあり、より使いやすい計算機の開発が求められていたのだ。
「当時は、レンズの設計者1人に計算担当の女性社員が2人配属され、レンズ設計を行っていた」と当時の様子を説明するのは、キヤノンマーケティングジャパン株式会社プリンティングソリューション企画本部プリンティングソリューション企画部パーソナルプロダクトマーケティング課の岡本良平氏。1970年代に生まれた岡本氏にとっては、当時の状況は信じられないものだという。
2つめの理由は、大勢の電気技術者が余剰人員になりつつあるというキヤノン特有の状況にあった。当時、キヤノンではシンクロリーダーと呼ぶ磁気録音再生装置を開発し、商品化していたが、この事業が失敗し、同事業を担当していた電気技術者が余剰人員になりつつあったのだ。
シンクロリーダーとは、紙の表に文字を印刷し、裏に磁気録音膜を付けることで、利用者は文字を読むことと、音声で聞くことを同時に行うことができる装置だった。キヤノンではこれらの技術者を、特機製作所の新規開発部門に集約。電卓の開発に振り向け、その結果が第1号電卓の「キヤノーラ130」の誕生につながっている。
○民生用電卓として初めてテンキーを搭載した「キヤノーラ130」
キヤノーラ130の製品開発がスタートしたのは1962年。約2年の開発期間を経て1964年に、東京・晴海の東京国際見本市会場で開催された第28回ビジネスショウにおいて発表され、同年10月20日から発売された。
当時の価格は、39万5,000円。北海道向けに出荷される製品に関しては輸送費の関係もあり41万5,000円の価格設定となっていた。初任給が1万円台、国産乗用車が数10万円という価格であったことからも、今の電卓に比べてはるかに高価な製品であったことがわかるだろう。
最大の特徴は、民生用電卓としては初めてテンキーを採用した点だ。当時の電卓の多くはフルキー電卓と呼ばれ、各桁ごとに0〜9までのキーを用意。結果としてキーの数が多くなるという課題があった。キヤノンではテンキー方式を採用することでキースペースの小型化を実現。さらに、操作性を高めることにも成功した。
また、光点式表示器を採用したのも特徴だ。これは0〜9までの10枚の薄いアクリル性のフィルムを重ね合わせ、光を当てることで数字を浮かび上がらせるというもの。従来の放電管タイプに比べると寿命が長いこと、表示された数字が見やすいなどの特徴があり、その後の同社製品においても採用される表示方式となった。
さらに13桁の表示が可能であり、「兆」の単位まで表示することができた。「光学機器の設計計算においては、兆の単位までの計算が必要とされたことが理由だ」(キヤノンマーケティングジャパン・岡本氏)という。表示桁数を増やせば、それだけ筐体サイズが大きくなるフルキー方式では難しかった13桁表示が、テンキー方式の採用によって実現できたともいえるだろう。
また、キヤノーラ130では「シンプル」「スピーディー」「サイレント」の3つのSをキーワードとして訴求。これが他社にはない差別化ポイントとなった。
「シンプルとは、テンキーによるシンプル操作、スピーディーには、テンキーによる迅速な操作を実現したという意味が込められた。そして、サイレントには、それまでの主流だったリレー式計算機に比べて大幅に静かであるという特徴を込めた」という。
当時の資料によると、キヤノーラ130の大きさはW260×D510×H390mm、重量は18kg。当時、キヤノンの売上高の472億円のうち、電卓の売上高は180億円。まさに同社の基幹製品であった。
「キヤノンは、カメラメーカーとして培った光学技術を核にして多角化を推進。そのひとつとして電卓事業に取り組んだ。1960年代後半からは、『右手にカメラ、左手に事務機』というのが販売会社におけるキャッチフレーズ。このときの事務機とは、電卓を指しており、ここでの販売ルートの開拓が、その後の複写機やワープロの販売ルートにつながっている」という。「右手にカメラ、左手に事務機」という言葉は、2000年代に入っても使われていたという。
ちなみに、「キヤノーラ130」で付されているキヤノーラという名称は、もともとカメラ用に用意されていたブランドだったが、これを電卓に採用したという逸話がある。そして、当時のキャッチフレーズは「キヤノンがあなたのオフィスを変える」であった。なお、「130」の由来は13桁表示からきている。
●電卓戦国時代でキヤノンが生き残った要因とは?だが、当時の電卓市場は熾烈な競争環境のなかにあった。特に1971年からの3年間は「電卓戦国時代」とも呼ばれ、35ものブランドが林立する市場となっていた。
カシオ、キヤノン、シャープという現存する電卓ブランドはもとより、東芝、リコー、日立、オムロン、ソニー、コクヨ、パナソニック、セイコー、シチズンなど、まさに電機、精密、文具といった様々なメーカーが参入。1971年には1年間に174モデル、1972年には201モデルが発売されたという。
「電卓を販売する新たなチャネル開拓に成功したことや、コスト競争力において他社を凌駕した点、さらに海外展開においても、計算結果をプリント可能な卓上プリンタ機能の搭載などにより圧倒的なシェアを獲得したことが、キヤノンが生き残ることができた要因だ」と、岡本氏は当時を分析する。
キヤノンは1992年にキヤノン電産香港(CEBM)を設立し、電卓を担当していた事業部をまるごと香港に移転するという荒療治を行っている。コスト競争力を高めるために、日本国内で生産を行う体制から、中国での生産体制へと移行。約50人で新会社をスタートした。当時の社員数は約50人で、そのうち半数が日本人だったという。
「すべての機能を一カ所に集約することで、コストメリットや迅速な製品開発体制などを実現。アジア地域への展開にもメリットがある。香港を中核拠点として60カ国へ販売している」という。
キヤノンでは、現在でもこの体制を維持。現在、キヤノン電産香港には約80人の社員が勤務。電卓の商品企画、開発、商品デザイン、マーケティングなどを行っている。約80人のうち、日本人はわずか5人だという。
○キヤノンの電卓事業史を彩るエポックメイキングな製品群
キヤノンの電卓事業には、いくつかのエポックメイキングな製品がある。そのひとつが1973年に発売した金融機関向け専用モデルの「1215シリーズ」である。
各金融機関の声を反映して開発して同製品は何度か機能強化が行われたものの、基本的な設計は現在でもなんら変わらないというユニークな製品だ。
「操作が変わらない形で継続的に供給してほしいというのが金融機関からの要望だった。そのため、40年以上に渡って、基本デザインは変わっていない」と岡本氏はいう。やや古い目のデザインも、多くのユーザーを抱え、金融機関から圧倒的な信頼感を得ているからこそだ。
現在でも、三菱UFGフィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友銀行グループといった金融機関で標準製品として採用されており、約2万台が稼働。累計出荷台数は約5万台に達するという。
また、「キヤノンの定番」といえる機能がある。それは「千万単位」と呼ぶ機能だ。
数字を入力すると、表示画面の上に、千、万、億といった単位を漢字で表示。さらに銀行のATMでも採用されているように、千や万といった単位を示す漢字を押せば、大きい単位の数字も一気に入力できる。
「他社でも同様の機能を搭載しているが、キヤノンではいち早くこの機能を搭載。さらに、現行モデルでは880〜1,980円という普及価格帯の製品にまでこの機能を搭載している。この価格帯で千万単位機能を実現しているのはキヤノンだけ」とする。
もうひとつの特徴的な機能が、商売計算機能だ。これは、キヤノンが1990年代に最初に搭載。2002年に発売した製品から定番機能としてラインアップを行った機能でもある。
原価、売価、粗利率という3つのボタンを用意。商談の現場においても、原価や粗利をもとに、売価を簡単に算出することができる。
「瞬時に粗利計算や売価を求めることができるのが特徴。"できる営業"を演出するツールとしても高い評価を得ている」とする。
2014年には、税率キーを2つ搭載した「W税電卓」も発売。2つの税率を設定でき、その差額も計算できる点が評価を得ているという。
「現時点では5%と8%の2つの税率を活用する例が多いが、今後の税制次第では、8%と10%の税率に対応した使い方が増えることになるだろう。税率は利用者が任意に設定できるようになっている」とする。
こうした営業現場に則した電卓を製品化しているのはキヤノンならではの特徴だといえるだろう。
また、3つのキーまで同時に入力を受け付け、指を離した順番に入力される「3キー早打ち機能」もキヤノン製品の特徴だ。高速で入力する際にはどうしても指が離れないうちに次のキーを入力することになるが、これを正しく認識。それを3つのキーまで認識できるようにしているという。高速入力をするユーザーにとっては不可欠な機能であり、金融業界などで高い評価を得ている理由はここになる。
●プリンタ搭載機やマウス機能搭載機……様々に派生していったキヤノン電卓キヤノンでは、そのほかにもエポックメイキングな製品をいくつも投入している。
1968年にはICを全面採用した「キヤノーラ163」を発売し、機械式から転換。さらに1970年にはキヤノン初のサーマルプリンタ付ポケット電卓「ポケトロニク」を発売。ユニークな名称は一般公募して決定したという。同製品はテクサスインスツルメントと技術提携して開発した世界初の電池駆動式ポケット電卓であった。
また、1970年に発売した「億万単位」の名称を持つ「LC-40U」は、兆の単位まで漢字表示をすることができる製品。「漢字で入力、漢字で読み取り」のキャッチフレーズで、桁数が大きな数字でも、日本人が瞬時に桁を読めるようにした。
1974年にはキヤノン初のFTD表示による8桁モデル「パーム8」を発売。手のひらサイズのモダンなデザインがヒットの要因となった。
1979年に発売した「QC-1」はカレンダー機能を搭載した電卓。1901年〜2099年までの198年分の曜日を検索。2001年1月1日が月曜日であることなどがわかる。
また、同じく1979年に発売した「RQ-1」は、FM放送を受信できる電卓を発売。そのほか、スヌーピーやキティちゃんを施したファンシー電卓シリーズも、女性や学生に人気を博した。
1986年にはキヤノン初のバブルジェット式プリンタ電卓「BP1210D/BP1010-D」を発売。1993年には時計機能搭載電卓「CC-10」、1998年にはキヤノン独自のピュアグリーン表示電卓「MP120-DL」などを発売。1997年当時は年間1,000万台の出荷を記録していたという。
2006年には、キヤノン製品の製造過程で生まれたリサイクル材を採用した環境配慮型電卓を製品化。2008年にはマウス機能を持った電卓として、「LS-100TKM」を発売し、PCの広がりとともに話題を集めた。同製品は、通常はUSB接続が可能なマウスとして使用し、電卓として使用する際には、マウスの上部を開くとテンキーと表示部が表れるというものだった。
2009年には、スタイリッシュな「X Mark I」を発売。そのデザイン性が注目され、ヒット製品となった。これは、ヨーロッパ市場で発売した「X Mark II」につながり、国際的なデザイン賞である「2013年度レッド・ドット・デザイン賞 ベスト・オブ・ザ・ベスト」を受賞している。
また、2010年には教科書ビューディスプレイを搭載した関数電卓「F-718SSAシリーズ」を発売。さらに、2013年にはプレゼンの際に利用するグリーンレーザーポインターによるプレゼンター機能付き電卓「X Mark I Presenter」を発売し、幅広いラインアップを整えている。
○キヤノンの電卓事業が向かう先は?
ここ数年、キヤノンの電卓事業は上昇傾向にある。
国内の電卓市場全体では、ほぼ横ばいの傾向にあり、JBMIAによる自主統計では、2013年実績で年間577万台、55億円の市場規模。2014年は、年間583万台、金額ベースで54億円の市場規模が見込まれている。これに、100円ショップなどで販売されている低価格製品をはじめとするPB(※)ブランド製品を加えると、推定約800万台の市場規模。これを含めても市場はほぼ横ばいで推移している。
PB:Private Brandこうしたなかで、キヤノンはシェアを拡大しているという。「2000年代前半のキヤノンの国内シェアは17〜18%程度。これが2013年には24%にまで上昇。2014年は26%の国内シェア獲得を目指す」としている。
シェア上昇の背景には、金融業界などでの安定的な需要を確保しているキヤノンならではの特性に加えて、カラーバリエーション展開に踏み出した「カラフル電卓」での成功など、「ミニ卓上」といわれる領域でのシェア拡大があげられるという。
こうした50年間のキヤノンの電卓事業の成果を記念して、このほど、電卓発売50周年を記念した限定モデル「KS-50TH」が発売される。
日本においては、キヤノンオンラインショップのみで販売される記念モデルで、2014年10月20日12:00から、100台限定で用意されることになる。価格は5,000円(税別)。
ビジネス向けの上位機である「KS-2200TG」をベースに開発された製品で、薄さ16mmのスリムボディーに大型液晶を搭載。本体には限定色であるライトゴールドのアルミプレートを採用。50周年記念マークのレーザー印刷、キープリントにはUVコーティングを施し、液晶の角度調整も可能にしたほか、3つのキーまで同時に入力を受け付ける、3キー早打ち機能も搭載した高機能モデルだ。
また、第1号機である「キヤノーラ130」の発売から現在までの歩みをまとめたオリジナルブックレットを同製品に同梱。国内外におけるキヤノン製電卓の変遷が分かる。
ちなみに、45周年の際には、記念モデルとして、X Mark Iシリーズの限定色として赤を用意。限定台数の45台はあっという間に完売したという。
では、今後のキヤノンの電卓はどう進化していくのだろうか。
岡本氏は、「スマートフォンの登場によって様々な製品領域が影響を受けているが、電卓はその影響を受けない市場」と前置きし、「PB商品による低価格領域の市場が一定の比重を占める一方で、高機能モデル、付加価値モデルに対する需要が確実に存在する製品。高齢者向け、小学生向け、女性向けといった需要層に対応した製品のほか、高速で計算する人たちの早押し機能や、キーの音が静かなサイレントキーといった、細かい機能にも評価が集まっている。キヤノンの電卓の特性をひとことでいうと、『多様性』ということになるだろう。今後も様々な利用シーンや、様々なニーズにあわせた製品をつくっていきたい」とする。
電卓市場は、これからも存在し続けることになるだろう。そのなかでキヤノンはどんな差別化を図っていくのか。それは多様性の追求とともに、使い勝手にこだわった、キヤノンらしい細かい進化を遂げたものになりそうだ。
(大河原克行)