プライバシーに関するシリコンバレーの二枚舌
米国政府のスパイ活動に対する大手IT企業達の怒りは偽善的でくだらない。
驚く程の偽善行為だ。先週大手IT企業8社は、米国政府がスパイ活動を行っているとして厳しく非難したが、同じ事、すなわちスパイ活動を自分達が日々平然と行っているのだ。フェイスブックやグーグルのような企業は、利用者のデジタルライフの隅々まで潜り込み、巧みに利用者を操作することによって、数十億ドルもの利益を上げている。
IT企業によるスパイ活動の仕掛けは、全て広告という一見無害でおもしろそうなものに紛れている。政府が企業よりもっとあくどいことを考えているのは間違いないが、真相はそれほどはっきりしていない。IT企業はスパイ活動で得た膨大な利用者データで豊かな海を創り出したが、政府や不遠慮な第三者がその海に入り込んでこないと思っていたとは考えにくい。
結局スパイはスパイでしかない。
IT企業は、コンプライアンスの重荷を政府に転嫁している
大手IT企業達は考えが甘くて利己的だ。フィナンシャル・タイムズのジョン・ガッパーが言うように「彼らは自分たちにとって不都合なことや難しいことには決して賛同しない。それどころか『情報の自由な流れを尊重する』と言いながら、政府には『国内にインフラを整備したり、運用したりすること』を自分達に強要しないよう、強く働きかけているのだ。」
なぜこんな働きかけをするのだろう。確かにインフラが国内にあれば、企業にはその国の法律に従う義務が発生し、内外を行き来する情報が検閲やモニタリングの対象となってしまう、という立派な理由はある。
しかし本当の理由は、インフラが国内にあるとその国のそれぞれの規制に合わせるために、オフラインの世界で多額のコストがかかる事だ。銀行だって本当はブラジルの裏路地をもっと自由に走り回りたいはずだが、各国の金融規制はこんなことを許してはくれない。政府は、国民のお金を守ろうとするのと同様、国民のプライバシーも守ろうとするべきではないだろうか。
シリコンバレーの大手IT企業達は、利用者のプライバシーをまるで守ることができていないのだ。
シリコンバレーのプライバシーコントロールに対するひどい評判
IT業界は今や、Web2.0の原理であるティム・オライリーの「参加型アーキテクチャー」を、「強制参加型のアーキテクチャー」にすり替えたひどい状態だ。つまり利用者のデータが利用者のためではなく、フェイスブックやグーグルの広告のために、パブリックでオープンな状態になってしまっているのだ。
IT企業はいつから利用者のプライバシー自由化の支持者となったのだろうか。ウォールストリートジャーナルの記事によれば「グーグルのインターネット利用者の情報収集力は、どんな独立した企業や政府よりも優れている」という。またフェイスブックはこの点に関して、常にプライバシー設定を変えているが、そのほとんどが利用者の情報を世間の目から守る役には全く立っていない。
さすがに「プライバシーは死んでいる」と宣言した人物が経営するような会社だけのことはある。
政府にいくらモラルある文句を突きつけようが、ネット上のプライバシーに関する責任は、政府ではなくIT企業にある。そのIT企業がスパイ活動をするのだから、同じ穴のムジナだ。NSA(米国家安全保障局)に、グーグルが大量に蓄えた個人情報を活用するなと言うほうが非現実的だろう。暗号を強化しても情報を狙うスパイにとっては何の妨げにもならないから、技術的な解決策もない。カスペルスキー・システムズのセルジュ・マレンコビッチによれば量子暗号化技術ですら無意味だというのだ。
データを元の場所に置く
フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグに言わせれば、利用者データの問題は、同社の海外戦略にとって「非常に良くない状態」だという。しかし解決策はある。利用者データを、そのデータが発生した国に置いておくことだ。インフラ整備のコストは増え、同社のグローバルな利用者データの分析と収益化の妨げになるかもしれない。ただこれは利用者データの移動を最小限に抑える長い道のりの第一歩となる。データ移動に伴う本当の安全性を確保できないことを考えれば、完璧ではないかもしれないが現実的なオプションだ。
しかし、政府にプライバシー問題をなすり付け、自分達は利用者データを自由に使い続けたい、というのがシリコンバレーのIT企業達の本音だ。実にずうずうしく、甘い考えだ。決してその通りにはならないだろう。
Matt Asay
[原文]