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電子メールはビジネスでこそ欠かせないが、プライベートではあまり使われなくなっている。多様なツールと使い方のせいで、簡単なファイル共有さえ問題となり得る。

2012年のハーバード・ビジネススクールによる「E-Mail: Not Dead, Evolving(電子メール:死んではいない、進化中)」と題した研究には、「本来電子メールの目的であった個人間のコミュニケーションは、もはや電子メールを使うトップ5の理由にすら入っていない」とある。

私は1982年からテクノロジーの世界で働いてきて、電子メールサービスを提供する企業の副社長を務めたこともある。今でもビジネスではかなり電子メールを使っているが、プライベートでの使い方は変わりつつある。

友人の中で最も技術に明るいスティーブンとはツイッターでやり取りをしている。以前は電子メールを送ってきていた他の友人は、フェースブックを使うようになると私のフィードにコメントを残すことが増えた。また一部の友人は、(私が以前フェースブック・メッセージをテクノロジー業界が正すべき10の間違いのうちの1つに挙げたほどだというのに)なんとフェースブック・メッセージを送ってくる。

30代の友人とその家族はスマートフォンにメッセージを送ってくる。これについてはMightyTextというアプリを使ってグーグルのChromeブラウザやタブレット内から送受信するようになってから問題なくなった。

どうやらビジネス以外で私と電子メールで連絡を取り合う人はほんのひと握りのようだ。それも大半は私から送ったメールに返信する程度だ。電子メールのプライベートでの利用は黄金期を過ぎ、徐々に過去のものになろうとしているようにすら思える。

だがビジネスでは別だ。一部の統計では48%のユーザーが企業とのやり取りを電子メールで行うことを好むという。確かに私も先週、Constant ContactとMailchimpのどちらを自分の電子メール・マーケティングに使おうか悩んでいたところだ。

電子メールでコミュニケーションは中和されるか

私は約半年前、2つのきっかけからプライベートではあまり使わなくなっていた電子メールを再びよく使うようになった。1つは住宅管理委員会の役員に選ばれたこと。2つ目は通っている教会の牧師が委員会のやり取りを電子化すると決めたことだ。

そもそも私が住宅管理委員会に選ばれたのは、共有のオンライン・カレンダーと、役員と会員との電子メール連絡網の作成を期待されたからだ。もちろん全て期待通りに務め上げたし、決して難しい仕事ではなかった。それに、教会ではすでにウェブサイトと連絡委員会を任されていた。これら2つの経験を得て、私は改めて個人間の電子メール利用に対して期待を持つようになった。それは電子メールが生まれた当初ほど華やかな役割ではないかもしれないが、十分可能性があると思っている。

我々は毎日、ビジネスシーンでデータの共有を強いられている。私の職場であるWideOpenNetworksでは、Skype、Dropbox、Highriseを使ってPagesファイル(アップルのワードプロセッサー)をたくさん共有している。私はこのReadWriteのために記事を書く際にもGoogleDocsで作成しTrello(弊社で使っているコンテンツマネージメント・ソフト)を使ってRTF(リッチテキストファイル)としてアップロードしている。

どちらのケースでも私はDropbox、Box、GoogleDrive、Skydriveなどを理解している技術に精通した人とやり取りをしていて、何か問題があれば最悪RTFファイルを送れば済むことが多いのだ。

ただしプライベートではこの限りではない。幅広い年齢、さまざまな技術スキルの人々とのファイル交換では、ことはそう簡単に運ばない。

電子メールとファイル共有の抱える問題

教会で他の信者にファイルを送る必要があったときのこと。私はファイルをアップロードし、そのリンクURLを電子メールで知らせるのが最も早くて確実だろうと考えた。しかし実際は大失敗に終わった。電子メールが開けないという苦情すら来るほどだ。いったいなぜこうなったのだろうか。

理由を探すうちにはっきりしたのは、多くの人がもはや個人の電子メールを日常的には開かないということだ。しかも電子メールをブラウザで開く人もいれば、プロバイダの指定ソフトを使う人もいる。もちろんiPadやスマートフォンのさまざまなアプリで開くことも日常茶飯事のようだ。私のような電子メール通から言わせてもらえば、そんな不確実な方法はやめてほしいものだ。

私ならIMAPメールのほうがいい。それもサーバー上のクラウドにあることが理想で、もちろん自分で管理するか信頼できる人が管理するものに越したことはない。私はGmail(もちろんIMAPでだが)を個人で利用することはあるが、決して仕事で使うことはない。またホテルなど限られた接続状況で仕方なく使う場合は別だが、ポータルサイトからアクセスするウェブメールは好まない。

これらを踏まえて私がファイルを送ろうとした人たちの電子メール環境を調べてみると、ファイルを添付すること自体が問題になり得ることもわかってきた。

添付ファイルとの戦い

つい最近、とても小さなグループでのやり取りでさえ、添付ファイルが多くの問題を引き起こすことがわかった。住宅管理組合の会合で書記を務めるアンが子供が病気で欠席し、私がその代役を任されたときのことだった。

会議中に必死に手書きメモを取った私は、その晩アンのアドバイス通り記憶の色あせないうちにパソコンに打ち込んだ。ソフトはPages5を使った(ちょうどそのとき以前のPages5に関する記事を書いていたこともあり)。そこで箇条書きの「点」を揃えることができなかったのでGoogle Docsに切り替え、アンにはWordのdocxファイルを送ることになった。その後、少し書き足す必要があったが取り急ぎ議事録は完成した。

数日後、アンは完成した議事録を関係者に送信した。私は送られて来たファイルの拡張子が消えていることに気付き、「.rtf」と入れてWordで問題なく開いた。だが不思議なことに、このやり方ではNisus Writer ExpressやPage5で開くことができなかった。そのときはあまり深く考えず、パソコンではよくあることだと片付けた。

しかし、この間に問題は起きていたのだ。議事録を印刷する前に全員の承諾が必要なのだが、これにてこずっていた。他の2名の役員から返信が全くないのだ。アンが外出していたため、代わりに印刷して役員から個々に承諾を得る旨を伝え、早速返信のない1人を訪れた。

1人目の役員の自宅に着くと、2台あるパソコンのうちの1台目が先にメールを受信してしまい、問題のメールを見る余地がないと説明された。1台目のパソコンがPOP経由でメールをダウンロードした後にサーバーから消去している疑いがある。しかし私は血縁関係の人間以外のパソコンを直さない主義を貫いている。そのためそれについては一切説明せず、印刷した議事録にサインをもらった。

2人目は管理組合長だ。自宅に組合長は不在だったので、奥さんに書類を渡した。当日夫婦で昼食を一緒に取る約束があるそうで、そのときにサインしたものを戻してもらうことになった。

このことをすっかり忘れていた土曜日の午後、組合長が訪ねてきた。印刷した議事録は手元に届いたものの、いったいなぜ電子メールに添付されたファイルが読めないのかがわからず困惑しているという。彼はAndroidタブレットとスマートフォンを使っていた。

私は拡張子が消えていたことを思い出し、まずOfficeSuiteの無料版を組合長のスマートフォンにインストールした。その後、議事録に「.docx」の拡張子をつけ、再度電子メールで送ってみた。もちろん試しに自分のスマートフォンに送ってMobile Office 365で開けることは確認している。受け取った彼は確かに議事録が開けたと喜び帰って行った。しかし、拡張子ぐらいならまた何度でも送信側または受信側のアプリが誤って消してしまう可能性があることは伝えていない。

教訓

今回の一連の出来事は、本来これほど難しい話ではないはずだ。私は人に電子デバイスでどのように情報を共有するかなど決して教えたくはないし、そんな講習会は開きたくはない。確かに私はこの分野は好きだが、急ぎの情報をツイッターではなく町の掲示板や手書きのメモでやり取りしている人たちに教えるのは困難極まりない。

結局、電子メールがちょうどいいのだ。ただかなりシンプルに使わなければならない。もしあなたが何か共有したければ、添付ファイルにすることは諦めて、可能な限り内容を本文に直接貼り付けてしまうのがいい。

Google DriveやDropBoxをあらゆる人々が使いこなせるとは、一瞬たりとも思わない方がいい。一番シンプルな方法で問題を解決するにこしたことはないのだ。私の言う通りに本文に貼り付けるテキストメールを使って後は神頼みをするのが最善だ。ちなみに教会では人数が多いので議事録の作成をやめてしまった。これで私の生活はよほど楽になった。

画像提供:Shutterstock

David Sobotta
[原文]