イメージを喰う/純丘曜彰 教授博士
/客はイメージを買う。それで、大衆メーカーが伝統ある看板を買って、イメージロンダ、イメージパフェで荒稼ぎ。しかし、従業員が貧乏のままでは、価値も意味もわからず、高級イメージを喰い潰すだけ。/
なぜ偽装食品はバレないのか。客がバカ舌だから? いや、人間は、ものを喰うのではない。イメージを喰うのだ。レストランは、どこでもそれがよくわかっているから、食材の原価を削って、立地と内装にカネをかけ、工夫を凝らして「イメージ・パフェ」として、惹句が踊るメニューを捏ち上げる。クズ食材は安値では売れないが、法外な高値にすると、飛ぶように売れる。化粧品や健康食品、高級ブランド品、さらには現代芸術作品でも同じ。とにかく、高い=みんなが買えない=羨望の的、という図式さえ成り立たせてしまえば、ゴミでも、ガラクタでも、金満バカが喜んで買ってくれる。
会社にしてもそうだ。もともと十七世紀のグランドツアーに起源を持つ超高級ホテルは、二十世紀前半の世界恐慌による上流崩壊とともに経営的に迷走し始め、顧客が成金で埋め尽くされていくとともに、経営も巨大大衆ホテルチェーンの成金資本に取って代わられる。つまり、貧乏くさい辺境大衆ホテルチェーンが、経営的に傾いてしまっている歴史と伝統と格式のある大都会の超高級ホテルの名称使用権を買って、イメージのロンダリング(洗濯)を図った。そのうえ、その超高級ホテルの名称を、世界各地の大衆ホテルチェーンに、又貸しの又貸しをするようなことまでやっている。
ところが、しょせんは大衆ホテルチェーン。貧乏人が触れると、高級品も貧乏品に変わってしまう。羊頭狗肉の言葉どおり、看板は昔のままながら、中身はまさに大衆品質。価格差がそのまま看板代。それで、舌の肥えた客は、そんな看板倒れのレストランを見捨て、隠れた名店に黙って移る。一方、昔の味などわからぬ貧乏成金客が、劣等感と優越感のコンプレックスを満たしに着飾って押しかける。それで、経営者は、これはボロい商売だ、もっと原価を落とし、もっとイメージを盛ってやれ、ということになる。
どこぞの大儲けしている大衆車メーカーが、イメージロンダのために別ブランドを立ち上げたが、できあがったのは、恐ろしく品の無い成金デザイン。一方、経営的にはあいかわらずながら、マニアックな技術者集団のメーカーの作った車は、欧米でも高級車として評価が高い。
社長だけが王様で、従業員はパートやバイトの貧窮奴隷というようなレストランやホテル、メーカーに、高級品など扱えるわけがない。貧窮奴隷たちに、高級品がわかるわけがない。こんな貧乏くさい企業が触れたとたん、どんな歴史と伝統と格式のある看板も、安物に化けてしまう。「リッチでないのにリッチな世界など分かりません。ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。夢がないのに夢を売ることなどは……とても……嘘をついてもばれるものです。」
ヘンリー・フォードは、従業員たちに破格の高給を払い、自分たちで車を買えるようにして、良い車を作る意味を全員に徹底することから始めた。一方、偽装レストランときたら、貧乏人の従業員たちですら、厨房で働きながら、こんなクズ、カネを払って喰うやつの気がしれない、と思う始末。腐っているのは、食材ではない。経営者だ。
イメージを売るのは、信用を積むこと。その長年の地道な積み上げを、カネで簡単に売り買いできるようになって、おかしくなった。イメージしか売るものが無いくせに、それが汚名となったら、もはや潰れるしかない。先人たちが営々と努力して築き上げてきた歴史と伝統と格式を穢した現経営者たちの罪は重い。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。
なぜ偽装食品はバレないのか。客がバカ舌だから? いや、人間は、ものを喰うのではない。イメージを喰うのだ。レストランは、どこでもそれがよくわかっているから、食材の原価を削って、立地と内装にカネをかけ、工夫を凝らして「イメージ・パフェ」として、惹句が踊るメニューを捏ち上げる。クズ食材は安値では売れないが、法外な高値にすると、飛ぶように売れる。化粧品や健康食品、高級ブランド品、さらには現代芸術作品でも同じ。とにかく、高い=みんなが買えない=羨望の的、という図式さえ成り立たせてしまえば、ゴミでも、ガラクタでも、金満バカが喜んで買ってくれる。
ところが、しょせんは大衆ホテルチェーン。貧乏人が触れると、高級品も貧乏品に変わってしまう。羊頭狗肉の言葉どおり、看板は昔のままながら、中身はまさに大衆品質。価格差がそのまま看板代。それで、舌の肥えた客は、そんな看板倒れのレストランを見捨て、隠れた名店に黙って移る。一方、昔の味などわからぬ貧乏成金客が、劣等感と優越感のコンプレックスを満たしに着飾って押しかける。それで、経営者は、これはボロい商売だ、もっと原価を落とし、もっとイメージを盛ってやれ、ということになる。
どこぞの大儲けしている大衆車メーカーが、イメージロンダのために別ブランドを立ち上げたが、できあがったのは、恐ろしく品の無い成金デザイン。一方、経営的にはあいかわらずながら、マニアックな技術者集団のメーカーの作った車は、欧米でも高級車として評価が高い。
社長だけが王様で、従業員はパートやバイトの貧窮奴隷というようなレストランやホテル、メーカーに、高級品など扱えるわけがない。貧窮奴隷たちに、高級品がわかるわけがない。こんな貧乏くさい企業が触れたとたん、どんな歴史と伝統と格式のある看板も、安物に化けてしまう。「リッチでないのにリッチな世界など分かりません。ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。夢がないのに夢を売ることなどは……とても……嘘をついてもばれるものです。」
ヘンリー・フォードは、従業員たちに破格の高給を払い、自分たちで車を買えるようにして、良い車を作る意味を全員に徹底することから始めた。一方、偽装レストランときたら、貧乏人の従業員たちですら、厨房で働きながら、こんなクズ、カネを払って喰うやつの気がしれない、と思う始末。腐っているのは、食材ではない。経営者だ。
イメージを売るのは、信用を積むこと。その長年の地道な積み上げを、カネで簡単に売り買いできるようになって、おかしくなった。イメージしか売るものが無いくせに、それが汚名となったら、もはや潰れるしかない。先人たちが営々と努力して築き上げてきた歴史と伝統と格式を穢した現経営者たちの罪は重い。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。