ラモス(以下R):みなさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

担当M(以下M):よろしくお願いします。さて、日本の正月といえばやはり天皇杯ですね。元旦早々からサッカーをするというのは気持ちいいでしょうね。

R:天皇杯は決勝まで行かないとダメな大会です。準決勝が開催される28日や29日に負けると、せっかくのここまで頑張ったのに結局オフが短くなっただけだった……と、心にダメージが残ります。もちろん体へのダメージもあるんだけど、気持ちの痛み方のほうが大きいかな。だから天皇杯は優勝することももちろん大切だけど、決勝に残ることも大事だと思いますね。

M:ご自身で思い出に残っている決勝戦はいつですか?

R:自分が出て初めて優勝した1986年の日本鋼管戦ですね。次の年のマツダとの決勝戦もはっきり覚えていますよ。

M:リーグ戦とカップ戦では戦い方を変えていましたか?

R:いや、僕たちは大きな部分は変えていなかったですね。ただ、負けたら終わりだからもっと守備を頑張った。リーグ戦のときより相手との距離を縮めてボールを取りに行っていました。そのポジションが変わるくらいで、他の戦術は同じでしたね。

M:1983年から1992年までの天皇杯のうち、1990年の松下電器をぞのいて優勝チームは日産自動車と読売クラブでしたね。あれ? でもよく見ると読売クラブは3回しか優勝していません。

R:あー、そうなんですよ。1983年から1992年までの日本サッカーリーグでは読売クラブが5回優勝したんですけど、実はなかなか天皇杯に勝てなかった。

M:原因は何だったんですか?

R:大学かな。

M:え? どんな関係が……?

R:当時はよく大学生と練習試合をしていたんです。その相手の大学生はどこが来ても張り切っていた。日本リーグのチャンピオンを下して自慢しようって。相手のそんな気持ちがわかったから、僕たちは決して手を抜かなかった。負けるわけないだろう、ふざけるなって。リーグ戦やカップ戦だけじゃなくて、練習試合まで手を抜かなかったから、12月になるとみんな体がボロボロでした。もう少しセーブしながらプレーできていたら、元旦まで体力が残っていたと思うんですけどね。

M:ラモスさんが負けてもへらへらしているのって考えられないですからね。

R:僕だけじゃなかったですよ。だから天皇杯にとって一番重要な、この大会に対する集中力を日産自動車ほど高められなかった。今考えてもそれが残念でなりません。

M:ともかく今年もウィナーが決まり、また日本サッカーが一歩前に進みました。どうかいい年になりますように。

R:みなさんにとってもいい年になりますように!