中国政府・外交部の秦剛報道官は27日、野田佳彦首相が26日(日本時間、27日未明)に国連総会で行った演説について、「一部の国は歴史事実と国際法を覆い隠している」などと述べた。

 野田首相は国連総会で、領土問題について自らの主義主張を一方的な力や威嚇を用いて実現しようとする試みは、国連憲章の基本的精神に合致せず、決して受け入れられないと主張。「国の主権や領土、領海を守ることは国家としての当然の責務」とした上で、「日本は国際法にのっとり責任を果たす」などと述べた。

 さらに、日本は「国際司法裁判所(ICJ)の強制管轄権を受諾してきた」と説明。「国連と協力し、各国がICJの強制管轄権を受諾することを呼びかける」と述べた。

 中国外交部の秦剛報道官は、「領土の帰属問題は歴史と法理にもとづいて解決してよい」と述べた上で、「一部の国は歴史事実と国際法を覆い隠し、公然と他国の領土主権を侵犯している」と主張。

 中国は、尖閣諸島について「中国固有の領土だが、日本が日清戦争の結果、奪い取った」、「第二次世界大戦終結に際して日本が受諾したカイロ宣言(カイロ声明)とポツダム宣言により、中国に返還されるべき」と主張している。

 秦報道官は、一部の国が「世界の反ファシスト戦争の成果を公然と否定し、国際秩序に甚だしい挑戦を行っている。国際法の規則を覆い隠そうと試みているが、このような方法は自らをあざむき、他人をだますことだ。関連国家は必ず歴史を正視しなければならない。国際法律の原理を適格に守り、他国の領土主権に損害を与える一切の行為を停止せねばならない」と主張した。

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◆解説◆ 尖閣諸島の領有権について、中国はこれまで根拠として、近代化以前の記述や地図を強調することが多かった。

 2012年になり、石原東京都知事の「島購入提言」がきっかけで、尖閣諸島を巡る日中の対立が国際的にも注目されるようになると、「日清戦争で奪い取られた。第二次世界大戦で日本が受託した条件にもとづき、中国に返還されるべきだ」と、とりわけ強調するようになった。

 日本が同諸島を「領土に編入」したのは日清戦争中の1895年1月14日。すでに清国の敗色が濃厚だったのは事実であり、日本は3月、台湾海峡の要衝である澎湖列島に派兵して、占領した。

 同年4月17日に調印された下関条約で、清国は日本に台湾と澎湖諸島を含む台湾周辺の島嶼(とうしょ)割譲することを認めた。同条約では、「台湾全島と周辺諸島嶼」(第2条2)と「澎湖列島」(第2条3)を日本に割譲することが定められている。

 中国は尖閣諸島について「台湾の周辺諸島嶼」と主張しているが、台湾により近い「澎湖列島」が「台湾全島と周辺諸島嶼」とは別の項目で記述されている一方で、台湾から遠い「尖閣諸島」を「台湾の周辺諸島嶼」に含まれると解釈するのは、不自然だ。

 第二次世界大戦終結後、日本は台湾や澎湖列島を返還した。しかし、尖閣諸島の“返還”は取り上げられなかった。

 日本が独立を回復したサンフランシスコ条約(効力発生は1952年4月28日)でも、尖閣諸島の日本領有は問題にならなかった。サンフランシスコ条約締結では、中国の代表権が問題になり、中華人民共和国、中華民国いずれも締結が認められなかった。

 日本と中華民国は52年4月28日に締結した日華平和条約で国交を樹立したが、尖閣諸島の領有権は問題にならなかった。同条約で領土問題を定めた第2条には「日本国は(中略)台湾および澎湖諸島ならびに新南群島および西沙群島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄したことが承認される」と記載され、尖閣諸島については「日本側の権利放棄」の対象になっていない。

 中華人民共和国はサンフランシスコ条約、日華平和条約を否定し、内容についても「認めない」との立場だが、「尖閣諸島は日本領」との立場を示す共産党機関紙の論説や、中国で発表された地図の記載がある。

 中華人民共和国と中華民国(台湾)は1971年以来、尖閣諸島の領有権を主張しているが、1895年以来、あるいは日本が戦争の結果奪った領土を放棄することを認めた第二次世界大戦終結から1971年まで、「なぜ自国領と主張しなかったか」についての説明はない。(編集担当:如月隼人)