小飼弾さん

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--小飼さんがライブドアという名前を知ったのはいつごろですか?

小飼 実はライブドア社は当時お客さんでした。ライブドアが無料プロバイダサービスを行っていたときに、当時Webページの一部をオン・ザ・エッヂで受注していました。僕は、ライブドアを買った当時はすでに会社にいませんでしたから、外で見ていて、またなんか買ったのか、くらいにしか思っていませんでしたね。
 僕がオン・ザ・エッヂにいた3年間で、今のライブドアのデータセンタである「データホテル」の基盤を作り、一Webディレクターでも、それがどういう仕組みの上で動いているのかという全レイヤーの技術のことがきちんと分かる、そういう企業文化を作れたという自負がありました。だからこれ以上自分がいても後進が育たないだろうということと、自分でもやりたいことが出てきたので、2001年に会社を辞めました。
 もちろん、その当時いた、山崎君(現・(株)ゼロスタートコミュニケーション代表取締役)や、宮川君(現・シックス・アパート(株)技術担当執行役員)といった優秀な人間がいて、きちんと僕のあとを引き継いでやってくれるということも大きかったですけどね。

--現在も、技術のライブドアとして認知されていますね。

小飼 実際に東京地検も、ライブドアのサーバを止めることはできませんでしたからね。あのときに、トップページが落ちなかったということが、ライブドアの技術力の証明です。
 実際に僕がやってきたことは、今年8月に出版された『4Gbpsを超えるWebサービス構築術』(伊勢幸一、池邊智洋、栗原由樹、山下卓也、谷口公一、伊原郁央 著、ソフトバンククリエイティブ刊)に書かれていることで、すべて網羅されています。ライブドアにいる社員は、本来ならこの本を読んで、ライブドアの技術のなんたるかを知っておく必要があります。オン・ザ・エッヂ時代は、ディレクターが技術のことを分からずに、社に戻って検討しますということはありませんでした。その場で即決できたわけです。そういう文化を僕は作ってきたつもりです。
 実際に、さまざまな会社を売ったり買ったりして、強制捜査や、社長逮捕、上場廃止と表面上では、さまざまなことが起こっていましたが、技術力という点では、僕が植えた種の部分はなんら損傷をこうむっていない。インターネットのことであれば、Webサービスのようなソフト部分だけではなく、それを動かしているネットワークなどのハードの部分まで、全レイヤーのことが分かっている。それが、オン・ザ・エッヂから脈々と続いている文化だったはずなんです。
 ただ、会社が大きくなると、右手でやっていることが、左手に伝わらない。ライブドアがメディアに出始めて、注目されてから入社してきた人たちには、なかなかそうした文化が浸透していないのは残念ですね。

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