なでしこジャパン佐々木則夫監督の就任が発表されたのは、昨年12月7日のこと。そして初めて代表が招集されたのは、今年の2月4日だ。就任から北京五輪まで、わずか半年の間に、佐々木監督はチームを劇的に変えた。「力を出し切れる」チームに変えたのである。
 
 佐々木監督は就任当初から「北京でメダルを視野に入れて戦う」と公に宣言し、「そこまで行けるのかな」と不安げだった選手たちを、次第にその気にさせていった。帝京高校キャプテン時代に、選手のモチベーションを巧みにコントロールする古沼貞雄監督(当時)と接したことも、大いに影響していると本人は言う。

 現場で取材していて感じたのは、まず、選手がよく笑うようになったことだ。佐々木監督が初采配をふるい、初優勝を飾った今年2月の東アジア選手権では、試合中にも、監督自ら選手を笑わせていたそうだ。「ハーフタイム中に、1回は笑いを取るように心がけています」と報道陣の前でわざわざコメントする代表監督なんて、他に聞いたことがない。
 優勝を決めた中国戦では、2−0とリードしてロッカールームに引き上げてきた選手たちに対して「守りに入るな!」とまずは一喝。「自陣に5人残って守り切ろうなんて考えるな!」と、ここまでは普通の監督だ。しかし直後に、「ま、でも3人は残っとこうか」と、小声で、オトボケ調子で付け加える。それで選手たちは、声を上げて笑ったそうだ。「今日も質の高い笑いが取れました」と、試合後の監督はサッカー同様に手応えを口にした。

 なぜそんなことをするのか、監督が説明してくれた。

「なでしこジャパンの選手たちはひたむきなあまり、試合中に頭も興奮して、つい感情的になってしまうところがあるんです。ハーフタイムでも泣きながら激論になるところを、コーチ時代に見ていました。そこでもし、監督まで加わってしまったら、収集がつかなくなってしまうでしょう」

 選手の頭を一旦リフレッシュさせるために、わざと脱力するようなことを言う。そして、頭をすっきりさせてから、大事な話に入るというのだ。興奮状態では持てる力を十分に発揮できない。力を発揮できずに試合を終えたら、次もまた、不安の中でプレーして、冷静になれない。そんな悪循環を断ち切るために、場違いな笑いも効果的だった。「試合中なのに、こんなに笑っていいの、と思うぐらい、ノリさんに笑わせてもらってました」と、澤穂希も振り返る。

 また、就任したのが本番半年前と、時間が限られていたにもかかわらず、2007年9月に行われた女子W杯の上位進出国を分析したうえで、チーム戦術を一新した。「相手ボールを奪わなければ、攻撃は始まらない」と、世界に遅れをとっていた組織的な守備戦術の構築にも着手した。当然新たな課題、新たな反省点が続々と生まれたわけだが、佐々木監督は「課題はあるが、臆することはない」と、必ず選手たちを励ました。
 やはり、不安を断ち切って実戦を積むことで、「このコンセプトのもと、本来の力を発揮すれば、強くなれる」と、選手たちを信じさせたのだ。

 本番1か月前、18人の五輪代表メンバー発表の際には、経験豊富なGK山郷のぞみを外して選手や周囲を驚かせた。その座を争った海堀あゆみと、山郷との実力は実際に接近していたし、発表から本番までの1か月で海堀にはさらなる成長も期待できる選手だった。

「山郷がいないからといってパフォーマンスが落ちるようなら、なでしこジャパンはその程度のチームだということ」と、佐々木監督はショックを受けた選手たちをあえて突き放した。

 大会に入ってから、選手たちは自主的に開いたミーティングで、「選ばれなかった選手のためにも、私たちは全力で戦い抜かななくてはならない」と誓い合い、すべての選手が涙したという。