ただのパニック映画ではない韓国映画「1971、ハイジャック事件」の恐ろしさ…実際には、ハイジャック機が北朝鮮に強制着陸して「乗客が帰国できない」ケースも
11月13日(金)より、韓国映画「1971、ハイジャック事件」(キム・ソンハン監督、2024年)が公開される。1971年1月に韓国で発生した〈大韓航空フレンドシップ機ハイジャック事件〉を題材とした映画だ。まさに「心臓がとまりそうになる」軍事・航空サスペンス映画の傑作である。
公開までまだ時間があるが、すでに話題になっているので、さっそくご紹介しよう。物語の舞台は1970年前後の軍事政権時代の韓国で、その時期特有の政治的背景もある。その点を知って観ると、さらに楽しめる。以下、ネタバレ寸前でご紹介する。
韓国でのハイジャックが“恐怖”である理由
韓国史上初のハイジャック事件は、1958年2月に起きた〈滄浪(チャンナン)号ハイジャック事件〉だった。大韓国民航空社(大韓航空の前身)の旅客機が北朝鮮の工作員によってハイジャックされ、北朝鮮に強制着陸させられた。犯人グループを除く乗員乗客26名は全員が帰還できたが、機体が返還されず、まだ小規模だった航空社は経営危機に陥ることとなった。

戦後、ハイジャック事件は世界各地で散発的に発生していたが、一挙に増えたのが1968~69年。多くは左翼系の政治思想犯が、社会主義国への渡航・亡命を目的としていた。
まさにその時期である1969年12月、韓国史上二件目のハイジャックが発生した。〈大韓航空機YS-11ハイジャック事件〉である。この事件は、それまでのハイジャック事件とはちがう意味で、世界中に衝撃を与えることになった。
このときのハイジャック機も、やはり北朝鮮へ強制着陸した。ところが今度は、乗員乗客51名のうち、乗員4名全員と乗客7名の計11名は帰還できなかったのだ。事件に無関係な彼らは、北朝鮮による「拉致被害者」と認定され、いまだに帰国できていない。この事件を契機に、韓国でのハイジャック事件では、“人質の乗客は北朝鮮に拉致されて一生もどれなくなる”という恐怖をともなうことになった。
翌1970年3月、日本で初のハイジャック事件が発生した。〈日本航空よど号ハイジャック事件〉である。この事件が最終解決まで長時間を要することになった理由も、北朝鮮だった。犯人である赤軍派の目的地は北朝鮮だったのだ。そうなると最悪の場合、犯人(9人)以外の乗員乗客計129名が帰還できず、北朝鮮に拉致される可能性があった。
そのため、よど号は羽田空港を離陸後、板付空港(福岡)、金浦空港(ソウル)と移動しながら交渉をつづけ、膠着状態に陥った。そして美林飛行場(北朝鮮)に到着するまで「6日」も要したのである(最終的に、後に“男・山村新次郎”と称された、山村新治郎運輸政務次官が人質の身代わりとなり、全員が帰還できた)。
今回の映画で描かれる事件は、上記につづいて発生した、韓国史上三件目のハイジャック事件を描いている。さっそく試写で観たという、映画ファンの元外信部記者氏の話。
「この映画は、タイトル通り、1971年の事件を描いていますが、冒頭は、1969年に発生した、韓国史上二件目のハイジャック〈大韓航空機YS-11ハイジャック事件〉からはじまります。この脚本構成が、実にうまくできています」
1969年12月、江陵(カンヌン)発ソウル行きの大韓航空YS-11機が、なぜか空路をはずれ、北朝鮮との軍事境界線に向かいはじめた。たまたま近くで訓練飛行中だった韓国空軍の戦闘機パイロット、テイン(ハ・ジョンウ)が指令を受けてYS-11機に近づくと、どうも様子がおかしい。どうやらハイジャックされ、強制的に北朝鮮に向かわされているようだった。しかも機長はテインの先輩だった。
すでに北朝鮮からは迎撃の戦闘機が出動していた。このままでは戦争になる。「YS-11機のエンジンを射撃して、近くに強制着陸させよ」--テインのもとに緊急指令がとどく。だがそれでは大事故につながりかねず、乗客の生命が危ない……。
結局、テインは、上層部の指令に従うことができず、射撃はできなかった。機はそのまま北朝鮮に着陸する。そして……人質は全員が帰還できなかった。乗員全員と一部の乗客は、帰還者に含まれていなかったのだ。テインは軍規違反で除隊となる。
「この冒頭部だけで手に汗握る展開なのですが、なぜ、主題事件の2年前からはじまるのかというと……」(前出の記者氏、以下同)
空港で、荷物検査などなかった時代
物語は2年後に飛ぶ。除隊後のテインは、大韓航空にパイロットとして再就職していた。そして、束草(ソクチョ)発ソウル行きの大韓航空機(乗員乗客計60名)に副操縦士として乗り組み、問題のハイジャック事件に遭遇するのである。
「機種は、〈フォッカー F27 フレンドシップ〉という、双発機(プロペラ機)です。日本では、全日空の主力機種だったので、あの時代に全日空に乗っていた方には、なつかしい機種だと思います。主翼が窓より上にあるので、どの座席からも眺望がよいことで人気がありました」
このフレンドシップ機が、離陸直後、乗客の青年によってハイジャックされる。彼は密かに持ち込んでいた手榴弾を爆発させ、機体に穴があき、操縦室のドアも破壊された。犯人は、進路を変えて北朝鮮へ“北進”せよと、指示を出す。
しかし、どうやって何発もの手榴弾を機内に持ち込めたのだろうか?
「1969年の〈大韓航空機YS-11ハイジャック事件〉、1970年の〈日本航空よど号ハイジャック事件〉の直後で、荷物検査や保安体制などが一層厳しくなる直前の、狭間の時期でした。そもそもそれまで、飛行機に乗る前に荷物検査などなかったのです。飛行機は、電車と同じように、切符を買えば改札を通ってすぐに乗れる交通機関でした。現に〈よど号事件〉の赤軍派は、日本刀や拳銃・爆弾など(模造品でしたが)を平然と持ち込んでいます」
よってフレンドシップ機のハイジャック犯も、手榴弾の持ち込みには、さほど苦労していない。
「そのほか映画では、座席が自由席なので乗客同士で席の奪い合いになったり、機内で当たり前のようにタバコを吸ったり、さらにはニワトリを持ち込んでも見逃されたり……いまでは考えられないむかしの航空機内の光景が、うまく描かれています。乗客たちも個性豊かで、日本でも2回映画化された『新幹線大爆破』の車内光景を思い出しました」
それにしても、この事件の犯人である青年は、なぜ、命をかけてまで北朝鮮へ行こうとするのだろうか。そもそも演じている俳優(ヨ・ジング)は、たしかに何かに憑かれたような異常な視線や表情を見せる。だが、単なる狂気とはいいきれない、どこか哀れな様子も漂わせるのだ。
「この映画は、単なる航空パニック映画に終わらず、根深い当時の政治状況も描いているのです。劇中、回想の形でその背景が描かれますが、現代のわたしたち日本人には、すぐにはピンとこないかもしれません」
では、その「背景」とは、どういうものなのだろうか。
家族が北朝鮮にいるので……
犯人ヨンデは、極貧の家庭に育った。彼には兄がいたのだが、この兄が、朝鮮戦争中、北朝鮮にわたって将校になっていた。
「朝鮮戦争の間、北朝鮮軍がソウルをふくむ韓国側のかなりのエリアを制圧した時期もあったことから、韓国から北朝鮮にわたって、“向こう側の人間”になったひとは、何万人もいるといわれています。ところが、彼らが自らの意志で北にわたったのか、あるいは強制的に捕虜として連行されたのか、はっきりしていない例が多いのです。しかし韓国政府としては、膨大な数の人間が北にわたっている以上、のこされた家族と連絡をとっている可能性が否定できない。特にこの映画は、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権下による監視社会の時期を描いています。よってヨンデとその母は一種の“連座制”と、当時強化された反共法への抵触で、“北朝鮮のスパイ”として徹底的に差別されるのです」
ヨンデは成績優秀だったが、進学もかなわず社会で孤立する。さらにでっち上げの罪で逮捕、投獄され、その間に母親は餓死していた。追い詰められたヨンデは、韓国社会に見切りをつけ、いっそ北朝鮮にわたって兄とともに“英雄”になろうとの考えに至る。
「このあたりをなんとなく頭の片隅に置いて観ると、たいへん深みのある映画であることが感じられます。いわばヨンデは、当時の韓国社会が生んだ“哀れな犠牲者”ともいえるのです。もちろんだからといって、ハイジャックが許されるわけではありません。ただ、単なる狂気では片づけられないようにも思えるのです。映画ではそこまではっきりとは描かれませんが、主人公の副機長テインは、実はそんな彼の背景を理解しているようにも見えます。ベテラン俳優のハ・ジョンウが、そのあたりを実にうまく演じています」
犯人と乗員乗客59名を乗せたフレンドシップ機が、軍事境界線に到達するまでの「50分」をリアルタイムで描き、映画はまさに怒涛の展開となる。果たして乗員乗客59名はどうなるのか。犯人ヨンデ、副機長テインの運命は……。
映画「1971、ハイジャック事件」は、11月13日(金)より全国ロードショー公開となる。
「1971、ハイジャック事件」配給:ツイン
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森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。
デイリー新潮編集部
