〈「撃たれる、と覚悟しました」「テロリストの車に押し込まれて」マラリア感染で死を覚悟したことも…戦場カメラマン・渡部陽一(54)が何度も“命の危機”を乗り越えられたワケ〉から続く

 かつて『笑っていいとも!』レギュラーなどで活躍し、2010年前後にテレビで引っ張りだことなった戦場カメラマンの渡部陽一さん。54歳となった現在も、ホルムズ海峡をはじめ戦地を駆け回る日々を送る。

【閲覧注意】「目の前で、人が…」戦地での写真や渡部さんの幼少期の写真などをじっくり見る

 テレビに出るようになった時期は、結婚や長男の出産といった出来事もあり人生が文字通り一変したタイミングだった。戸惑いもあったというブレイク当時のエピソードや、家族が出来たことによる変化、現在の生活を聞いた。


2010年には「今年の顔」5位に選ばれるほどテレビでブレイクした渡部陽一さん ©釜谷洋史/文藝春秋

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「戸惑いはありました」それでも、テレビ番組に出演し続けたワケ

--渡部さんは2010年ごろからテレビで大活躍されました。きっかけは覚えていますか?

渡部陽一さん(以下、渡部) 2009年末から2010年にかけてオファーいただいた、TBSの深夜番組『笑撃!ワンフレーズ』だと思います。司会が千原ジュニアさんで、そこで僕のキャラクターに興味を持っていただいたのか、いろんな番組が声をかけてくださったんです。

--2010年の『ORICON STYLE』では、『最も活躍した!と思う“今年の顔”』ランキングで5位に入っています。

渡部 やはり小さい頃から見ていた、ビートたけしさん、ダウンタウンさん、とんねるずさんなどと共演するのは衝撃でした。2010年ごろを振り返ると、いま司会をされている芸人さんが、まだひな壇に並んでいた時期で。有吉弘行さん、サンドウィッチマンさんなどが、ずらりと切磋琢磨されていたんですね。

 その中にゲストとして参加するわけですから、もちろん緊張しました。ただ芸人さんらが、僕に話を振るためにサインやパスを送ってくれて、仮にうまく反応できなくてもまた相方さんが被せてくれる。芸人さんの立ち振る舞いと言いますか、間合いや機転の利かせ方はまさにプロの技だったなと。

--本業とはまったく違う世界ですが、バラエティ出演に戸惑いや抵抗はなかったのでしょうか。

渡部 戸惑いがなかったかと言われると……ありました。一方で、メディアに出ることには大きな意味があるんです。テレビを通して幅広い方に戦場の写真を見てもらえたのは大きな支えとなりました。

 戦場カメラマンとして、通常であれば、『FRIDAY』や『週刊ポスト』といった雑誌に売り込んで掲載してもらうのですが、なかなか若い世代には手に取ってもらえない。そこでバラエティ番組を通して、戦地の写真を紹介すると、お茶の間の子どもや学生が興味を持ってくれます。ディレクターさんとの打ち合わせでは、戦場で撮った写真を使ってもらえないかとよく打診していました。

--思い出に残っているテレビ出演はありますか?

渡部 『しゃべくり007』で、憧れのトム・クルーズに会えたことです(笑)。中学生の頃に『トップガン』を観て以降、彼の作品をほぼ全部観ているほどファンだったんです。それを知っていたのか、くりぃむしちゅーの上田さんが、「ゲストに来るからおいでよ」と声をかけてくれて。

「絶対に離婚する」と周囲から言われていた

--ブレイクとほぼ同時期に、結婚や長男の誕生という出来事も。戦場カメラマンというと、長期的に海外に滞在して渡航中のリスクも高い仕事です。そのあたり、葛藤はありましたか。

渡部 テレビに出るようになった時期は、子どもができて海外に行きづらいタイミングでもありました。その頃はカメラマンとしても、プライベートでも、そしてメディアに露出するという意味でも、大きな転換期でしたね。

 紛争地に行くと、世界各国の戦場カメラマンと会うのですが、その多くが独身か離婚歴があるんです。なかにはバツ4、バツ5の方もいて、僕が結婚すると話すと「絶対離婚するだろう」と散々忠告されました。

 それでも結婚生活が続いているのは、妻が幼少期に情勢が不安定な国に滞在していたことも関係していると思います。紛争地とはまた違いますが、妻は海外で暮らすことに理解がありましたし、妻のお父さんもイラクに滞在していたので、話も弾んだんです。危機管理をして戦地に入っていることや、これまで大きな怪我なく帰国してきたことも伝え、無事に結婚を許してもらいました。

戦場では結婚する人が増える

--戦場にいると、結婚や家族に対する考え方にも変化が起きそうです。

渡部 戦争地帯など情勢が不安定な地域では、結婚する割合が増えると言われています。最近のウクライナでも目の当たりにしましたが、情勢が不安定でいつ命を落とすか分からない状況では、寄り添う相手を求める気持ちが高まるそうです。そうした極限の中で、人々が結婚していく姿は素敵だと感じましたね。

 それに諸外国では、恋愛だけでなく、家族での決まり事や、経済的な事情、宗教上の関係で婚約する場合もあります。暮らし方を選べるというのは平和の到達点なんですよね。世界各国の暮らしを目の当たりにすると、誰かと生活を共にすることが究極の幸せなのではないかと、無意識に想いが強くなっていったのかもしれません。ただこれは私個人の話で、もちろん結婚や出産をしない、という選択も尊重されるべきです。

--家族が出来てから、仕事のスタイルは変わりましたか?

渡部 それこそ20代から30代前半までは、数ヶ月から半年単位で、海外に滞在していたんです。体力も気力もありましたし、現地にいた方が情報や現場の空気もキャッチしやすいですから。

 結婚してからは、家族との時間や講演会の仕事を両立しながら、1週間から10日前後で渡航するスタイルになりました。キャリアを重ねるごとに、言語や国境の越え方、撮れ高の塩梅、ガイドとのネットワークなどのノウハウも蓄積されていく。これまでの経験を活かして、アタリをつけて短期決戦にシフトしていく。これが家族が出来てからの最大の変化ですね。

最新の戦争は「兵士がいない」

--短期決戦だと、より現地との距離感を保つのも大変そうです。

渡部 日本にいる時間が長くなると、仕事のモチベーションをどう維持していくかが難しいですね。

 やはり現場から離れてしまうと、情勢も刻一刻と変わってしまうので、部外者のように感じて腰が重くなってしまいます。もちろん50代になれば体力も落ちていくうえ、家庭や生活を支えていく必要もあるので、フリーランスは自分に鞭を打っていかないといけない。ワークライフバランスではないですが、仕事と生活のバランスを維持していくのが大変で、正直よくここまでやってこれたなと(笑)。

--特に、昨今は世界情勢も目まぐるしく変化しています。

渡部 もう今の戦争は、完全に情報戦になっています。とても極端に言ってしまえば、戦場に兵士がいない状態と言っても過言ではない。

 弾道ミサイルなど、遠隔で自動化された兵器が使われ、AIも軍事利用されるようになった。ダミーの情報も流して戦局が錯綜していき、戦争の形が見えにくくなっています。本当なのか嘘なのかよく分からない状況下で、多くの方が犠牲になり、そして莫大な利益を得ている人たちがいる。

 こうして戦争の形が変わっていく中で、戦場カメラマンとして、やはりアナログな視点は大切にしていかないといけないなと。若い頃のように何ヶ月も戦地に張り付くことはできないですが、今の生活を維持しながらも、現場に出向いていかなければと痛感しますね。

年を重ね、生と死がよりリアルなものに

--戦場カメラマンとして活動を始めてから30年以上が経ち、ご自身も父親になることで、自然と仕事や生活のスタイルも変わっていきますね。

渡部 30代後半で結婚、子どもが出来て、それ以降メディアの仕事も受けるようになり、より物事を柔らかく受け止められるようになったと感じます。

 ちょうど(このインタビューの)前日も、家族でキャンプに行っていました。海辺でテントを張って、火起こしをして、自炊して。テントを張るまでに何時間も段取りがあるんですけど、それが完成してぼーっと過ごしていると、気持ちが整ってくるんです。

 僕も幼少期は、父と駿河湾で釣りばかりしていました。海辺で何時間も釣り糸を垂らしていた頃を思い出すと、いま子どもと過ごしている瞬間と重なるんです。昨年、父が他界したこともあり、最近は「父が僕くらいの年齢だった時どんな気持ちで釣りをしていたのか」と考えることがあります。

 父から自分へ、そして子どもへと世代がつながっていくことを意識すると、これまで戦地で目の当たりにしてきた人の生や死も、以前より自分自身の人生と地続きのものとして感じるようになりました。独身だった30代前半までは、とにかく現場へ行くことしか考えていなかったですが、54歳になった今はスタンスも徐々に変わって、より円熟しているような感覚があります。

(佐藤 隼秀)