中山忍 スペシャルインタビュー 姉・美穂と歩んだ芸能界と、「忍ファイル」に詰まっていた愛

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2年前に止まってしまった時間が、姉が遺した思い出と愛情、一人息子の支えで動き出した

今年で10年目を迎える時代劇特番シリーズ『無用庵隠居修行』(BS朝日、9月22日放送)で、主人公・半兵衛が通う料亭の女将・お咲を演じている中山忍(53)。いまやすっかりベテラン女優となった彼女だが、幼いころはひどい人見知りで、芸能界にはまったく興味なし。3歳上の姉・中山美穂とは対照的だったという。

しかし、美穂が仕事で海外に渡航するのを見送りに行った成田空港で、スタッフの一人だった吉田啓一郎監督(79)に声をかけられた。その後、″美穂の妹″の存在が業界をめぐりめぐって、ドラマの出演オファーが飛び込んできた。「高校生になってから」と断ったものの、そこから自然と芸能界入りする流れになったのだという。

話もできないほど多忙になっていた姉に、芸能界入りを相談することはなかった。仕事で接点を持つこともなかった。唯一の″共演″は’95年の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』でブルーリボン賞とヨコハマ映画祭の助演女優賞を受賞したとき。美穂は『Love Letter』で主演女優賞を受賞し、姉妹で授賞式に出席した。その後、美穂は’02年に作家の辻仁成(66)と結婚し、フランスに移住。’04年に長男を出産した。忍はいまも独身だ。

「好きな人ができて、結婚しようと思ったこともありますよ。でもマネージャーに『あなたは二つのことはできない。結婚するなら、山口百恵さん(67)みたいに仕事を辞めて家庭に入ったほうがいい』と言われて、『うーん、ごめんなさい、仕事します』となりました。大きな仕事が決まるタイミングでうまい具合にフラれる、ということもありました。好きな人がいると仕事しないそうなんです、私。ダメですね(笑)」

パリに行って、姉の子育てを手伝うこともあったという。

「何度も遊びに行きました。いま、姉の写真を整理していると、お腹の大きな姉がいたり、生まれたばっかりの甥っ子がいたりします。離婚はしてしまったけれど、幸せな時間は確かにあった。写真を見ながら、お姉ちゃん、よかったねって」

’24年12月に美穂が急逝して2年近くが経った。美穂が一人で暮らしていた部屋の荷物は忍が引き取った。

「遺品の整理が全然、終わらないです。私の家の近所に倉庫を借りて、そこにしまっています。お姉ちゃんが使っていた食器や靴は全部、倉庫に。コートは私が着ています。姉は私より少し小柄で、窮屈だなって思いながら」

美穂が大量に遺したものが、紙焼きの写真だ。その中に「忍ファイル」と書かれたものがあった。

「ファイルの中に、姉がデビューして間もない15~16歳ごろの写真と、私のデビュー前の宣材写真が見開きで対になっているページがありました。写真のサイズも同じで、ふたりとも帽子をかぶっている。お姉ちゃん、私のこと好きだったんだねって笑いながら泣きました。

一人の芸能人として、私にそんなに興味ないんだろうなって思っていたんですよ。どんな仕事をしているのか聞かれたことがなかったから。でも、私の舞台のチラシなどが取ってあった。″ちゃんと興味を持っていたんだね″って」

生前はわからなかった。仲は良かったが、趣味も嗜好も違う。姉は現代アートが好きだが、妹は茶道を習っていて、古い茶碗を見るほうが好きだった。

「姉妹喧嘩もしました。ご飯の約束をして、迎えに行く時間のメッセージを送っても既読スルーするから、『これは良くないんじゃない? 仕事のときはどうしてるの』と問い詰めると『そうよね、お姉ちゃんがいけないのよね』と泣く。私が『まぁ、そうだね』と返すと、私のマネージャーに『あの子、なんであんな言い方するの?』と言いつけるんです。

でも……マネージャーがケガをしたときは、舞台に出演していた私の手伝いをしに博多まで来てくれました。優しい姉でした。遺した写真を見ながら、私のことをちゃんと想ってくれていたんだな、と嬉しい気持ちが湧き上がるのと同時に、そんなお姉ちゃんはもういないんだなと……寂しいですね」

「姉のためにも、元気でいなきゃいけない」

遺品と同様、忍の気持ちの整理もまだついていないという。

「一周忌までは毎日、泣いていたんですよね。周りの人の″無理しなくていいよ″という言葉に甘えて、人前でも泣いていました。″一周忌を迎えるころには気持ちも落ち着く″と言われて、自分でもそう思っていたんです。でもいざ迎えてみると、悲しさや寂しさって全然、減らないんです。皆そうなんだろうな、人前で泣かないようにしているだけなんだなと知って、私もそうするようにしました。20回目の月命日が過ぎても変わらず悲しいし、寂しいし、一日一回はお姉ちゃんのことを考えてしまう。まだ私は異常事態の中を生きているんだなって……」

それでも忍は、少しずつ前を向こうとしている。

「このままでは自分の時間が止まってしまう、姉のためにも私は元気でいなきゃいけないと思いました。それで最近……ピラティスを始めました! まだ、3回しか行ってないんですけどね。爪もお手入れしてなかったから、割れちゃいそうになっていたのでオイルを塗って。自分を一回、立て直さないといけないなって」

そんな忍の支えとなっているのが、22歳になった美穂の一人息子だ。

「今年4月、小泉今日子さんのコンサートに招待してもらったんですが、甥っ子と一緒に行ったんですよ。帰りの車の中で、『ママのコンサートも観たかったな』って。とても好青年に育って、『ぶーちゃん(忍の愛称)、僕と話すと、ママを思い出して悲しくなっちゃうんじゃない?』と私を心配してくれるんです」

今年6月には、アイドル時代以来、三十数年ぶりにファンクラブ「ゆりかご」を開設した。

「もう一回、皆で集まって、安心して泣いたり笑ったりできる、あったかい場所を作りたいなと思いました」

これから、中山忍はどこに向かうのか。

「女優になりたいって思ったときに、おばあちゃんになってもやりたいって思ったんです。犯人でもいいけど、捕まえるほうもやりたい。天使でも悪魔でもやりたい。それはいまも変わらない。

8月にお亡くなりになったのですが、『いのちの停車場』(’21年公開)でご一緒した成島出監督と、『白髪を隠さずに演じられるときになったら、また映画撮りましょうね』って約束していたんです。姉のこともあって連絡していなかったら、亡くなってしまって、すごくショックでした。人生思いがけないことの連続で、やりたいことを後回しにしちゃいけないんだなって。やりたいことはやって、会いたい人には会わないと。これからはそうやって生きていこうと思っています」

自分に言い聞かせるようにして、忍は優しく微笑むのだった。

〈なかやま・しのぶ:’73年、東京都生まれ。’88年にドラマ『オトコだろッ!』でデビュー。アイドル、タレントを経て女優として本格的に活動。’95年の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』で「ブルーリボン賞」助演女優賞などを受賞〉

『FRIDAY』2026年10月2・9日合併号より

取材・文:高橋大介