おい、部屋を掃除しろ。掃除は「終わらせるための小さな練習」
完璧を求めて妥協ができない。中途半端なものを出して「できない奴だ」と思われたくない。「先のばし」や「完璧主義」を脱するための方法を、『おい、とりあえず終わらせろ』を書いたエンジニアのnwiizo(ぬうぃぞう)氏が伝えます。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)
「終わりをひとつ作れた」という事実を作る
プロジェクトが炎上して、毎日深夜帰りだった時期がありました。
部屋は捨てるべきもので足の踏み場がなくなり、シンクには皿が積み上がる。
ある日曜の朝、何の気力も出ないまま、目の前のペットボトルをゴミ袋に入れました。
ただそれだけ。
でも、ひとつ捨てると、もうひとつ捨てたくなった。しばらくすると、机の上が見えるようになっていました。
不思議なことにその日は、止まっていた仕事も少しだけ進んだ。
今ならわかるけど、ペットボトルをひとつ捨てるという行為は、「判断して、実行して、完了した」という一連のプロセスそのものなんですよね。
捨てるか捨てないかを決めて、手を動かして、ゴミ袋に入れた瞬間に終わる。
この「決めて、動いて、終わった」のサイクルを一度回すと、次のサイクルが回しやすくなります。
つまり、仕事が進んだのは気分が変わったからじゃなく、「終わらせる」という動作パターンが、身体に再インストールされたからでした。
「今日はここまで」と線を引く
掃除の効果は「心が整う」ことではなく、「終わりをひとつ作れた」という事実が残ること。
散らかった部屋は「未処理のタスク」として頭に負荷をかけ続けます。それを片付けると、その分だけ頭が軽くなる。
それは、「自分は終わらせられる人間だ」という証拠が目の前に現れることでもあります。これが実は効く。
食事は空腹が催促してくれる。洗濯は着る服がなくなれば動かざるを得ない。でも掃除の合意者は、自分だけです。誰も急かさない。だから自分を騙し放題になる。
それは怠惰じゃなくて、自分を雑に扱い始めたサインかもしれないのです。
この「自分を雑に扱う」がどこに行き着くか。十数年エンジニアをやってきて見てきたのは、才能ある若者が燃え尽きて姿を消す、というパターンです。
一方で、最初は遅くても黙々と学び続ける人がいる。その人たちに共通していたのは、「今日はここまで」と線を引く習慣があったことです。
量は関係なく、小さくても、毎日ひとつ終わらせる。その「終わらせた」という行為そのものが、「自分は終わらせられる人間だ」という自己認識を作っていくのです。
1回1回は目に見えないほど小さい。
でも、小さな完了の積み重ねは複利のように効きます。
もちろん環境や運の要素も大きいですが、経験上、遠くまで行けるかは才能の差じゃなく、「終わらせる」を毎日繰り返したかどうかの差でした。
これは何も、掃除じゃなくてもいいです。日記でも、皿洗いでも、靴を揃えることでも。「これが崩れたら自分はちょっと危ないな」という小さな指標を、ひとつ持っておいてほしい。
