日本中が憧れた銀幕のヒロイン

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 8月7日、俳優の岸恵子さんが老衰のために亡くなった。岸さんはいったいどんな人物だったのか。岸さんをよく知る人物を通じて彼女の姿に迫る。(文中敬称略)【前後編の後編】

【写真】「美しく凛としている」 岸恵子さんアザーカット

自らをスタアにしたメロドラマとの決別

 岸惠子は、映画会社相手にも臆することはなかった。映画評論家の樋口尚文は「物申すスタア女優」の走りだったと語る。

岸惠子さんは、日本映画の黄金期に若くして撮影所にスカウトされた。当時の専属女優は自由度が低く、会社の方針で決められたスタアを演じるのが基本だった。その時代に『こういう映画はやりたくない。こういう企画はやりたい』と20代で物申しているんです」

 一方で、岸が選ぶ役柄は父権的な社会に翻弄される女性が多かった。

「特にデビュー当初は『君の名は』をはじめ、メロドラマ的な構造の中で"虐げられる女"を意外にも多く演じましたが、当時の大衆からは共感を集める象徴的な女性像のひとつでした。これはスタアとしての愛され方や自分自身の見え方を研究したうえでの選択では。会社と闘う姿勢と、演じる役柄は対照的だったとも言える。その二律背反なところが独特だった」

 さらに岸は有馬稲子、久我美子とともに立ち上げた映画プロダクション「にんじんくらぶ」では監督の小林正樹を招き、『からみ合い』(1962年)、『怪談』(1965年)に出演。そして『化石』(1975年)では新たな魅力を開放した。

「小林正樹は岸さんを静物のように冷たく美しく撮った。『化石』では、余命1年を静謐に生きる中年男性の前に現われる冷たい死神役を演じた。メロドラマと決別するようなこの役で、岸さん本来のクールな魅力が際立った」(樋口)

「あなたもいつか監督やったほうがいいわよ」

 イメージを自ら洗練していく岸の出演を、市川崑監督も何度も求めた。当時パリが拠点だった岸を呼び寄せ、多くの作品を共にした。『悪魔の手毬唄』(1977年)や『女王蜂』(1978年)、『細雪』(1983年)で共演した石坂浩二にとっても岸は見習う存在だった。撮影中に何度も助言をもらったと言う。

「市川監督の演出には、言葉ではすべて説明されない独特なところがありました。その奥にあるものを、こちらが汲み取らなければならない。岸さんは市川監督の心をよく分かっていらして、自分の感性で説明いただくことがあった。『あなたもいつか監督やったほうがいいわよ』とそう仰っていましたね。

 岸さんが最初の登場シーンにすごく神経を使うと話していたのも覚えています。『悪魔の手毬唄』では金田一が訪ねる旅館の女将として何気なく登場しますが、心の奥に隠した感情が何かあると自然に思わせる巧みな演技でした。美しくポツンと、凛としているだけで引きつける説得力があった。岸さんの芝居はそれまでの女優さんのお芝居とは違う異質のものがあった。私にとっては本当に教わることの多い方でした」

 岸の魅力は永遠だ。

(前編から読む)

取材・文/柳沢智夫 撮影/早田雄二

週刊ポスト2026年9月25日・10月2日号