「いや、十分おいしかったですよ!」という返事が相手をイラっとさせる理由…人間関係を静かに蝕む“ちょっとした言葉遣い”への違和感
ここ5年ほど付き合いのある同世代(50代)の男性・A氏の言葉遣いについて、ずっと違和感を持っていた。A氏とは友人関係で、なかなかの好人物ではある。しかし、なぜか彼と話をすると「イラッとする」ことがたびたびあったのだ。原因は、彼の言葉遣いのせい。そのせいで公私含め、普段から損をしているのだとしたらそれはもったいないと思い、嫌われることを覚悟で伝えた。【中川淳一郎/ネットニュース編集者】
【写真】「母親なら自分で作れば」で物議を醸した「ポテトサラダ」を筆者が実際に作ってみた結果
「“で”いいです」への違和感
伝える際、席には他に3人の友人がいたのだが、彼らもA氏に違和感を持っていたようなので、その場にいてもらい、私の話を聞いてもらうことにした。

さて、A氏のどんな言葉遣いに違和感があるのか。何かを訊ねると、必ず、「いやっ」「だから」「でも」などといった感嘆詞や接続詞を使い、否定のニュアンスで返すのだ。たとえばこんな具合である。
私:さっきのラーメン、好みでしたか?
A氏:いやっ、十分おいしかったですよ!
私:今回は休暇を長めに取れたんですね?
A氏:だから、オレの仕事って閑散期があるのでそれが可能なんですよ。
私:資産を米ドルベースで持っていると、円高に振れるとちょっと残念ですよね。
A氏:でも、オレもドルベースで持っているのでその気持ちも分かります。
いずれも「いやっ」「だから」「でも」の3つの言葉は不要なのである。だが、この3つの言葉を聞かされる側としては「なぜあなたは否定から入るのか」「『だから』という言葉は、こちらの認識不足に対して不満を持っているのか」と思ってしまうのである。
さらに、「『で』いいです」という言い方もよくするのだが、これにも問題があると感じた。たとえば「今晩はスナックBに行きませんか?」と言った場合「Bでいいです」と言われる。ただ「いいですね!」ないしは「おぉ、それは楽しみです」でいいではないか。或いは「いやっ、スナックCに興味があるのでそちらはいかがですか?」と自身の思いを伝えてもいい。
肯定的、ないしは自身の希望は特にない場合でも「『で』いいです」を使ってしまうのだ。こちら側はこの街の飲食店に詳しいから、そうした提案をする。独断で決めるのもナンだから、A氏にも確認をする。
ポテサラ騒動
私自身が編集者のため、普段から文章に接することが多いため過剰反応をしてしまったのかもしれないが、気になったのでこれらを説明した。
するとA氏ははっとした顔をしながら「今、指摘してもらわなかったら、オレは一生気づかなかったと思います。本当にありがとうございます。こちらはまったく意識していなかったので、指摘していただけて良かったです。時々出てしまうかもしれませんが、意識して喋りたいと思います」と語った。
確かに言葉遣い一つで不快に思ったことをSNSに書くと、それに同意する人が出て、その発言者を批判する意見が多数出てくることがある。その代表的なものが「今日のお昼ご飯、何にする?」と妻が夫に聞いた場合の「簡単に素麺でいいよ」の一言だ。
「簡単に」「で」は、夫は妻の負担を軽減するための配慮である、と感じている。だが、実際に料理を作る妻からすれば「ネギ切ったり錦糸卵作ったり、氷で麺を締めたり、麺つゆも薄めたりしなきゃいけないし、準備すること多くて簡単じゃねーよ」と思うのに加え「素麺『で』ってなんだよ!」と苛立ってしまうのだ。
だったら夫はどう言えばいいかといえば、一言、「素麺が食べたい!」、これである。何事もポジティブに発言することによって相手の不快感は減るもの。「素麺でいい」という言葉には、素麺には不満あるけど妥協をしてやるぜ、といった上から目線のニュアンスが付着してしまい、そうした気持ちを伝えたいわけでなければ、絶対に使わない方がいいのである。
2020年、X上で話題となったのが、「ポテトサラダ騒動」である。スーパーの総菜コーナーでポテトサラダを見ていた子連れの女性が通りかかった高齢男性から「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われたという件である。ここには3つのイラッとするポイントがある。
「母親なら」=母親は手間をかけて料理をするのが当たり前で、出来合いの総菜など買うべきではない、という(料理をしないであろう)高齢男性の不躾な発言への批判。
「ポテトサラダぐらい」=ポテトサラダを作るのは案外手間がかかる。ジャガイモは洗わなくてはいけないし、茹でるか電子レンジ過熱をしたうえで皮もむいてマッシュ状にする。人参も過熱しなくてはならない。ゆで卵も作り、細かく切る。キュウリ・タマネギ・ハムも切ってさらに味付けをする。そんなに簡単にできるものではない、という反論。
そもそも他人の家庭での食事にケチをつける必要はないだろう、という反感。なぜ売り物であるポテトサラダを買うことが「手抜き」「愛情が足りない」という文脈で批判されなければいけないのか? という疑問。
言葉一つで不快に思ったり違和感を覚えたりすることは多々あるわけである。その程度のことで嫌われたり損をしたりするのは勿体ない。時折、仲の良い人に「私にはイラッとする言葉遣いってあります?」は聞いておいた方がいい。
ネットニュース編集者・中川淳一郎
デイリー新潮編集部
