幕末から広がりを見せた言葉「国体」が意味する「日本の在り方」と「天皇との関係性」

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なぜ日本人は、あのとき国家に動員されたのか?

キリスト教由来の人権概念を「天皇の下の平等」と読み替えたことがもたらした、破局的結末とその後ーー。

8月24日発売『天皇と人権』(講談社現代新書)著者の気鋭の神学者・森島豊さんが、日本固有の「病」をあぶり出します。

(※本記事は、森島豊『天皇と人権』の一部を抜粋・編集しています)

「国体」という観念

これまで見てきたように、「天皇」という呼称は、単なる君主号ではなく、宗教的・政治的な特別な意味を担いながら日本社会に定着していきました。

では、そのような天皇を中心として、日本という国はいかなる構造を形づくってきたのでしょうか。その国のあり方、すなわち「国体」に注目していきます。

現代では「国体」という言葉を聞くとスポーツの祭典である「国民体育大会(現・国民スポーツ大会)」を思い出す人が多くいますが、かつては日本固有の伝統に基づく国家形態を表現していました。敗戦時の玉音放送(終戦詔書)の草案を作成した迫水久常(当時内閣書記官長。現在の内閣官房長官)は、当時を振り返る中で、国体が何を意味していたかを以下のように説明しました。

元来「国体」という観念は、これを維持することが、日本国民の誇りであり、使命であると国民ひとしく信念としていたところであって、国民結合力の基となり、国家興隆の基礎となっていたのである。……本来、「国体」というのは、日本民族が、天皇を中心として結合して日本国を形成し、天皇に対する深い尊敬と信頼の念によって、天皇を最高、最終の心のよりどころとしているという国柄をいうものと私は理解している。……すなわち、国民より天皇に対する尊敬と信頼に対して、天皇より国民に対する無私の仁慈があり、天皇は、国民の心をもって心とせられ、国民は、天皇の大御心〔天皇の心〕に帰一するという、相互信頼による渾然たる一体の関係が成立し、この間にはなんら対立する関係は存在しない。  (『機関銃下の首相官邸』204-205頁)

迫水は、天皇を中心とする国のあり方を「国体」と呼びました。天皇と国民との結びつきは「天皇に対する深い尊敬と信頼の念」によっていたと述べます。両者の間には対立する関係がなく、「一体の関係」でした。戦前はこの「国体」が示す国の構造を「一君万民」と呼び、国民を「天皇の赤子」と呼びました。

戦後、「国体」「一君万民」「天皇の赤子」は死語となり使われなくなります。しかし、この文言が意味する精神は現在も残っています。この言葉がいつ頃から使われるようになり、どのように広がっていったのか、この経緯を知ることで天皇を中心とする日本の国のかたちがどのような性質をもっているのかを確認していきます。

幕末に浮上した「国体」

「国体」という用語は中国の古典に由来し、『国史大辞典』(吉川弘文館)では日本の近世に「栗山潜鋒・新井白石・荻生徂徠らによって国体の語が用いられた例がある」(「国体論」)とされています。しかし、天皇を中心とする国家統一の理念としてこの言葉が用いられるのは幕末になってからです。それまで天皇は目立って表舞台に出ることがありませんでした。

江戸時代は徳川家が征夷大将軍として政権を握っていました。「征夷」という言葉の意味は「蝦夷」を「征伐」することです。「蝦夷」とはもともと北東日本の人々を指した言葉であり、朝廷(天皇の政治)に従わない人々を意味していました。

征夷大将軍は彼らを征伐するために臨時に全権を任じられた存在です。その存在は、時代とともに朝廷も支配し、武家政治の首長として天下を武力で統治するようになりました。それでもその政権の正当性を保証するには、宗教的権能を持つ天皇が必要でした。征夷大将軍としての政治権力の正当性は、この国を治める神さまとのつながりを継承する天皇の任命によっていたからです。

保ち続けた「象徴性」

このように、政権の正当性を保証する存在として、天皇は形式的に中心に位置していま した。江戸幕府は、政権の安定化を図るため、天皇の宗教的な権能を形式的に残しました。その中での一例が元号(年号)の制定権です。

元号は中国の思想に由来し、統治者が土地や人民だけでなく、時間をも支配するという概念が込められています。これは時代が誰によって支配されているかを象徴的に示しています。

江戸時代では元号の決定権が幕府にあり、天皇の元号制定権は形式的なものに過ぎませんでした。それでも、国土・人民・時間の統治を象徴する元号が現代まで受け継がれていることは、大きな意味を持っています。形式的であっても、日本では天皇が時代の支配を象徴しているのです。

江戸時代まで存在感が薄かった天皇は、幕末から明治にかけて政治の表舞台に登場します。その時代は国家の存続が危ぶまれる時期であり、日本を一つにまとめるために天皇の存在が重要視されました。この時期に用いられた言葉が「国体」でした。

本記事の引用元『天皇と人権』では、日本社会の深層に存在し、戦前・戦後に連なって繰り返して現れる「思考の癖」=「日本固有の病」を、神学者の視点で鋭く読み解いていきます。

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